追放万歳
「地に足を着けろ」という言葉が、オットー・ロングは何よりも嫌いだ。
理由は三つある。
一つ目。これが彼の実家の家訓だから。これほどくだらない家訓もない。
二つ目。そんな生き方はつまらないから。夢物語にあこがれて何が悪い?
そして、三つ目は――。
- - -
街外れに立った小高い塔の上から、オットーが下を覗いた。
人は魔法無しで空を飛べる、と主張する彼の実演を見るため、野次馬が集まっている。
「集まってくれてありがとう! 宣言通り、魔法なしで空を飛んでみせるよ!」
オットーは手を振った。見に来た野次馬たちの反応は悪い。
むしろ、彼のことを小馬鹿にしている者が大半だ。
……そういう反応にもなるだろう。
貴族の子供が、自分は翼を背負えば魔法なしで飛べると言い張っているわけで。
笑われても仕方がない。
ふと風が強く吹き、一枚のビラが飛ばされてきた。
「オットー・ロング、また落ちる!」という文字が踊っている。
彼が作った滑空機械、”グライダー”の試作品が空中分解した時のビラだ。
記事の中身を、オットーは知っていた。
彼の実家である名門貴族ロング家を叩く内容だ。
「オットー・ロングの頭がおかしくなったのは実父フランツが悪い」とか何とか。
でも、違う。彼の頭はおかしくなんかない。
実験を繰り返し、データを集め、努力の末にここまで来た。
「頼むぞ、〈リリエンタールⅡ〉。人間は翼で空を飛べるって、証明してやろう」
中空の木材に薄布を張って作ったグライダーへと、そっとささやく。
鳥の翼を思わせるような形状だ。
「行くよー!」
彼はグライダーを背負い、塔の上から助走をつけて飛び出した。
頭から真っ逆さまに地面へと降下する。
「地に足を着けろ」という言葉が、彼は何よりも嫌いだ。
三つ目の理由、それは。
(だって僕は、空が飛びたいから……!)
風を切る音に混ざり、野次馬に来た女性の悲鳴が聞こえた。
心配はいらない。空を飛ぶための揚力は、速度の二乗で増えていく。
まず加速して風を掴む。それが彼のプランだ。
ぐんぐんと迫ってくる地面を見つめ、タイミングをはかり、翼のワイヤーを引く。
軌道が変わった。引き起こされたグライダーが、上昇に転じようとする。
翼がばたばたと震えながら空を滑り、失速寸前の角度で踏ん張った。
落下が止まる。十分な速度がある。
(あと少し……あと少しで、空に……!)
「〈ダウンバースト〉」
「うわっ!?」
翼が揚力を失う。
誰かが魔法で生み出した風が、彼を地面に叩き落とした。
「ぐっ!」
腹を打ち付けられて、なすすべもなく彼は地面を転がった。
バキバキと、グライダーの壊れる音がする。
その音を聞いた彼は痛みも忘れて立ち上がり、グライダーの残骸に駆け寄った。
「……誰だ、僕を邪魔したのは……!」
「私だ」
野次馬の中から、貴族の男が歩み出てきた。
飾りっ気のない高級な衣装。人生の全てに興味を無くしたような、無機質な表情。
どこを取ってもつまらない男、オットーの実父フランツ・ロングだ。
「ふん。お前の玩具はばらばらに砕けたようだな。こんなものが何の役に立つ?」
馬鹿にしきった表情で、フランツが言う。
「仮に空を飛べたとして、魔法使いが〈マジックミサイル〉の一つでも放てば叩き落されるのがオチだろうに」
「……謝れよ。こいつを作るのに、僕がどれだけ努力したと思ってる」
「いいや。むしろ感謝してほしいものだ。お前がどれほど無駄なことに血道を上げているのか、実感させてやったのだからな」
フランツが魔法の杖で地面を叩いた。
「魔法をやれ。貴族の価値は魔法にある。いいか、オットー。現実の脅威に立ち向かうためには、確かな力が必要だ。魔法すら使えん貴族に価値などない」
「興味ない。……だいたい、僕が持って生まれた才能の〈大空の支配者〉なんて、弱いじゃないか。極めても空をフワフワ浮かぶのがせいぜいだ」
〈大空の支配者〉というのは、彼が持って生まれた才能だ。
この世界の人間は、必ず一つ何かの特殊な才能を備えている。
それは農作業であったり剣術であったり、あるいは魔法であったりする。
……そして、魔法の才能を持つ者は圧倒的に強い。
貴族の血筋は、魔法使いの血筋だ。
そこそこの名門ロング家に生まれたオットーも、例外ではない。
〈大空の支配者〉というのも、魔法への適性を示す才能だ。
風を操り、空を飛ぶ魔法使いの才能……といえば聞こえはいいが。
実際のところ、先駆者の記録を見る限り、この才能は弱い。
必死に努力して”才能のレベル上げ”をやって、ようやく風で飛べる程度。
扱える魔法はどれも弱く、攻撃の能力も防御の能力も皆無だ。
平民にもよく生まれる〈風使い〉のような下級魔法の才能にすら負けるとされている。
生まれ持った才能を諦め、ファイアボールのような簡単な魔法を覚えたほうがまだマシな魔法使いになれるというのが一般的な評価だ。
オットーが〈大空の支配者〉の才能を持っていると分かった瞬間から、フランツは冷たくなった。
「そうだな。お前と同じ〈大空の支配者〉の才能を持って生まれた連中は、弱い」
フランツはつまらなさそうに言った。
「それでも、魔法の才能は魔法の才能だ。貴族としての最低限ではある」
「……そんな事より、僕は空に興味があるんだ」
「オットー。魔法は義務だ。貴族としての責務を果たせ」
「いいや。魔法なんかやらなくたって、貴族としての責務は果たせる。そもそも、民を助けるのが貴族の責務なんだから。例えば、僕が空を飛ぶための研究の副産物で、効率的な水車とか風車が作れたじゃないか。水も空気も、同じ流体だからさ」
彼は発明家でもある。いくつか産業絡みの特許を取ったぐらいだ。
それでも、フランツに言わせればそんなものは無駄らしい。
「オットー! いい加減にしろ。二度と言わんぞ」
フランツの顔には軽蔑の色が浮かんでいる。
……貴族といえば魔法、という常識に囚われすぎて、何を言っても無駄だ。
(「地に足を着けろ」っていうのは、あんたみたいな生き方をしろってことなのか? なら、そんなのは嫌だ……!)
「くだらん趣味を辞めて今すぐ魔法に打ち込むか、追放されるか! どちらかを選べ!」
「くだらなくなんかない!」
彼は言い返した。
「……いいだろう。オットー。お前は今日を持って、ロング家から追放とする」
「追放? 望むところだね」
彼は父親を睨みつけると、グライダーの残骸を拾い集めて歩き出した。
これでもう、オットーが父から邪魔されることはない。
彼が無理やり通わされていた魔法学園も、この機会に辞められる。
「僕は自由だ。追放万歳!」