71.閑話4:戦場
森の中に、その部隊は展開していた。
展開とは言っても、普通の部隊とは異なる形であった。木々に紛れ、シンプルな服をまとった人々がひざまずき、ただひたすら祈りを捧げている。周囲を地味な色をした兵士たちが取り囲み、周辺に視線を巡らせているのは警戒のためだろう。
彼らの中心では、黒いローブを纏った女がいらいらと親指の爪を噛んでいた。反対側の手に持った馬を働かせるための鞭を閃かせ、手近な者の肩口をびしりと打つ。
「ひっ!」
「まったく。祈るしか脳のない役立たずども、早く魔力をチャージなさい!」
「は、はい!」
鞭に怯える者たちは、だが組んだ手に力を込めた。真剣な表情で目を閉じ、一心に祈る。
彼らの身体から淡い光が漏れ、女の胸元に下げられた大型のペンダントへと吸い込まれていく。
「守りの聖女、だったかしら。まさか、不意打ちの長距離魔術を受け止めるなんて」
きしきしきし。
爪を噛み続けながら女は、情報として得ていた聖女ピュティナ・セイブレストの名を思い浮かべて自分の顔を歪めた。
胸元のペンダントは、かつてワリキューア帝国が戦の際に使用し、危険として封印されていた禁じ手のひとつである。多くの民から魔力を搾取し、装着者の魔術を増幅させるもの。この女の能力を持ってすればそれは、この世界ではあり得ないレベルの超長距離攻撃となる。
だから、女の奇襲は成功するはずだった。幾度の特訓を繰り返し、この距離からなら女が撃ち出した魔力は間違いなく王都を直撃することができるとわかっていたから。祈る者たちも忠誠心厚く魔力の高い神官たちを選び、できるだけ充填時間を短縮できるようにして。
それを、守りの聖女ピュティナは受け止めきった。超長距離から高速で接近する魔力を察知し、ピンポイントでその魔力を受け止める結界を展開させて。
「グランブレストの聖女は化け物かしら、ねえ……私だって、帝国の秘宝使わなければならないってのに」
はあ、とため息をつく。先だっての攻撃に使った魔力を充填しきるには、二十四名の人間の五時間に渡る祈りが必要だった。それから三時間、いくら急かしても再充填には最低後一時間半はかかるだろう。もっとも、さすがにその間にここを王国軍に発見される可能性は低い、はず、だ。
どおおおん、という地響きとともに周囲の木々が吹き飛ぶまで、女はそう考えていた。
「ぎゃああ!」
「え?」
衝撃波により、神官や兵士たちが吹き飛ぶ。どうやら何かが、自分たちのすぐそばに落下したらしい。さて、何が。
「そちらと同じことをやっただけなのに、なぜ驚かれるのかね?」
「しかも、圧倒的に距離短いですしね」
衝撃波でなぎ倒された木々の向こうに、別の集団が姿を表す。彼らがまとう物は、グランブレスト王国軍の武装にほかならない。
先頭に立つ、隊長と思しき青年は、長い剣を手にぶら下げていた。ただ、よく見るとその剣には刃がないのが分かる。
その隣に立つのは、まだ幼い顔をした緑の髪の少年。彼以外の兵士たちはいずれも、歴戦の戦士と女には見えた。
「グランブレスト王国、国王直属隊第一部隊である。王都への攻撃、王国への敵意ありとみなし鎮圧する」
「おほざき遊ばせ。魔女のお力を受けた私たちが、負けるとでも!」
青年の名乗りに、女はまっすぐに答えることはなかった。自分たちの素性を知られたくはなかったし、返した言葉は本音であったから。
だが、彼女の言葉に青年は目を細め、少年と顔を合わせた。
「聞いたな? レックス」
「はい、はっきりと」
「では、レックスにはこの情報を王城に伝えてもらおう。聖女ピュティナ様のお側付きを、無闇に離れたところで散らせるわけにはいくまい」
「いいのですか?」
「聖騎士は聖女を守るが役目、我ら近衛兵は王族を守り敵に立ち向かうが役目だ。それぞれの役目に殉じようではないか」
「……ご武運を」
「ありがとう」
女たちに目をくれることなく、青年と少年は会話を終えた。そうして少年は一人、くるりと身を翻して走り去っていく。
「ま、待ちなさい!」
「させん!」
慌てて女が指先から放った光の矢は、だがあっさりと弾き返された。青年が掲げた手のひらから浮かび上がった、光の盾によって。
「聖女ピュティナ様には及ばんが、このくらいの芸当は私にもできる」
そうして握られた剣にも同じ光をともし、青年は名乗りを上げてみせた。
「我こそは近衛隊第一部隊隊長、セーブル・クラッパ。戦の聖者なり」