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第7話:期待①

 ☆


「ナギサ様?」

 考え込んでいた俺はハッと我に返った。ミューレさんが俺の顔を覗き込んでいる。

「すいません、服まで洗ってもらって。ありがとうございます」

「いえ……ご記憶を失われていらっしゃるとのことですが、ご自身のことも思い出せませんか?」

「そう……ですね。名前以外は何も」

 本当は空白の1日半以外の記憶はあるのだが、日本とか言っても通じないだろうし、全部忘れていることにした。それに、記憶を失くしてると言った方が、この世界についてどんな初歩的な質問をしても不思議がられないだろう。

「そうですか……それはさぞご不安でしょうね。ナギサ様の身なりから出自を推測できればいいのですが、(わたくし)もあのようなお召し物は初めてお見受けしました」

 俺は苦笑いして、でしょうね、と心の中で言った。

「あの、もう一つ質問いいですか?」

「ええ。なんなりと」

「魔法とか魔導具って、この国では一般的なんですか」

 俺の質問に、ミューレさんはまた虚をつかれたような表情になった。

「えっと……この国で、と申しますか、魔法は世界中で普遍的に扱われている技術です。程度や特色は様々ですが、使われてない地域はほとんどないのではないでしょうか」

「あっ、そ、そうなんですね」

 やべえ。度を越してアホな質問をしてしまったらしい。俺の世界で言えば『車ってこの国では一般的に使われてるんですか?』って聞いてるようなもんだろ。

「えっと、そういえばこの国って……?」

「ああ。我が国のこともお忘れになってしまいましたか。我が国はリドス皇国(こうこく)と言いまして、皇都ヨークスを中心に、16の領地で構成されている国家です」

「領地……」

 歴史の授業でなんとなく聞いたことがある程度だった。

「領地はそれぞれ貴族が治めております。それぞれある程度自由な自治が認められていますので、同じリドス国内でもかなり特色が異なる地域もあります」

 なるほど……より権力をもった都道府県、みたいな感じだろうか。貴族ね。そういう階級がある社会なのか。

「ここはリドスのどこなんですか?」

「ここはヨークス(皇都)の北に位置する領地の一つ、ラナスタウト領です」

「へー。ラナス……えっ……?」

 俺は驚いてミューレさんを見る。

「ラナスタウト領の現領主は、私の父に当たりますね」

 ミューレさんはにっこり笑ってそう言った。


 −−−


「も、申し訳ありませんでした……」

 俺の名前は白崎渚。今、俺はベッドの上で土下座している。

「そんな位の高い方とは知らず……」

「どうか顔を上げてください。私はそこまで敬っていただけるような立場ではありません」

 ミューレさんは慌てたようにそう言った。

「で、でも……」

「本当のことです。たしかに私の父は領主ですが、私は本家といろいろありまして、こうして地方に左遷された身です」

「え……」

 家を追い出された、ということか?

「ですが、私にとっては好都合でした。ここはもともとおじいさま……前領主の別荘だったのですが、あんな窮屈な場所と比べたらここは快適ですし、監視されることもなく自由ですしね」

 ミューレさんはそう語ったが、俺にはどこか悲しげに見えた。何があったかは知らないが、当然だろう。

「ナギサ様」

「はっ、はい?」

 ミューレさんは、俺の手を取って言った。

「記憶がお戻りになるまで、ここで暮らしていただいて構いません。私もナギサ様がどこのどなたなのか、1日でも早くわかるように尽力します」

 なっ……

 俺は突如、巨大な感謝の気持ちに飲み込まれた。

 なんていい人なんだ……!

 そうだ。ミューレさんは命の恩人ではないか。彼女に拾われていなければ、俺はここがどこかもわからないままにのたれ死んでいただろう。

「命を助けていただいた上に、衣食住までお世話してもらえるなんて……なんとお礼を言ったらいいかわかりません」

「そんなことはありません。私が勝手にしていることですから。早く記憶がお戻りになられることを祈っています。それに……」

 ミューレさんは俺に顔を近づけた。俺はぞくりとする。

「ナギサ様が一体何者なのか、私個人としてもとても興味がありますので」

 ミューレさんはそう言うと俺の手を離し、立ち上がった。

「では、私はこれで。朝食はお部屋までお持ちします。それと、お昼にもう一度お医者様をお呼び致します」

「あ、は、はい」

「ごきげんよう」

 そう言ってミューレさんは部屋を出て行った。しばらく俺の胸は高鳴ったままだった。俺は気分を落ち着けるために、ミューレさんの話を頭の中で整理した。

 部屋の様子や、腕時計がまだ発明されていなかったりと、どうやらこの世界は俺の世界よりも文明が進んでいないらしい。とは言っても、大昔と言うほどでもないようだ。

「魔法、か……」

 俺はベッドの上で考える。

 改めて、今自分の身に起きている出来事の現実感のなさを感じた。

 目が覚めたらいきなり魔法が存在する異世界にいた、だって? そんなの……

 そんなの……


「僥倖すぎるだろ!!」


 僥倖【ぎょうこう】

 思いがけない幸運。偶然に訪れた幸運。

 –––日本国語大辞典より引用。


 まさか。まさかいつもしていた妄想が現実になろうとは。他にはどんな魔法があるんだろう。

 あっ! そう言えば聞き忘れてたけど、あの犬の女の子は!? そういう種族が普通にいる世界でもあるのか!?

 ダメだ、ドキドキが収まんねえ!

 ……いやいや、違うだろ俺よ。何も楽観的になれる要素がないだろ。

 この世界に来た時の記憶はなぜか失われている。その上あの大怪我だ。なにも思い出せないが、明らかに俺は穏やかじゃないことに巻き込まれている。

 ミューレさんに拾ってもらったのは不幸中の幸いだけど、現時点でなんの手がかりもない。俺は本当に元の世界に帰れるのか? 家族や友達にもう一度会えるのか……

 ……あ〜……やっぱ無理だ……

 不安よりも楽しさが圧倒的に勝る……!!

 そうだ。こんなこと一生でもう二度と起こらないだろう。それなのに楽しまないなんて正気じゃねえぜ。大丈夫だ。来ることができるんなら、帰る方法だってきっとあるはずだ。

 俺は決めた。いつか帰れるその日まで、俺はこの世界を堪能し尽くす!

 ……湊が聞いたらまた呆れられるかな。まああいつにたっぷり土産話を用意するためにも、楽しまねえとな。信じてくれないかもしれないけど……


 と、まあそんな風に、俺の異世界生活は始まったのである。

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