第2話:喪失②
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目を覚ます。
まったく眠った気がしない。重苦しい疲労感は私に纏わりついたままだった。
枕元に置いてあった携帯を開くと、すでに午後4時だった。私は新着メッセージの有無を確認する。ここ数日の起床後のルーティンだった。友達から何件か届いていた。
『大丈夫? ちゃんと食べなきゃだめよ。無理そうだったらいつでも言ってね』
『元気出してや……なんて簡単に言えへんけど、ウチらも渚くん探すで。少しでも湊ちゃんの力になりたい』
『あいつは絶対帰ってくるよ。その時はこんなに心配させたお詫びに何か高いものおごってもらおうね!』
みんな私を励ましてくれていた。唯一桂吾くんだけは『今日は西区を探す』という事務的な報告だったけど。彼が必死に渚を探してくれていることはよく知っていた。
みんなの気持ちが嬉しかった。だけど私には感謝の意を伝える体力もなくて、ただ一言『ありがとう』だけのそっけないメッセージを送ってしまった。
今日も、一番報せを欲しい人は沈黙したままだ。
ベッドから起きて、リビングに向かう。すでに部屋の中は薄暗くなり始めていた。
ダイニングテーブルにはラップをかけられた皿と茶碗が置かれていた。その傍らにはお母さんの置き手紙があった。
『こんなものしか用意できなくてごめんね。あっためて食べてね。お母さんも今日から仕事に戻ります。ごめんね』
謝ることなんてなにもないのに、二回も『ごめんね』と書いてあった。
正直食欲はない。でも、ここ何日かまともな食事を取れておらず、さすがにマズいかなと思ってなんとか口につめこんだ。だけど結局、半分ぐらいしか食べることができなかった。
昼食にしては遅すぎ、夕食にしては早すぎる食事を終えた私は、顔を洗うために洗面所に向かった。
カチューシャで前髪を留め、蛇口をひねり、両手で水をため、顔を濡らす。それを2、3度繰り返したあと、タオルで顔を拭いた。
鏡を見る。ひどい顔だった。
私は目つきが悪い。他人からそう言われたことがあるわけじゃないけど、自分ではそう思う。ただでさえそうなのに、今は目の下にクマが深く刻まれ、余計にひどくなっている。
『いやあ? そんなことないぜ? むしろチャームポイントだろ。ジト目ってやつだ』
私の背後で兄の渚がそう言った。だけど鏡には何も映っていない。私と渚は双子だが、二卵性なので顔はそんなに似ていない。もちろん目もだ。
「適当なこと言うな」
いない兄に向かって私はそう言った。
目つきも悪いが、何より今の私の目には光がなかった。いわゆる「死んだ魚の目」とはこのようなものだろうと思うほどに。
『いやいや。お前の目は鮮魚みたいに生き生きしてるさ』
「なんにせよ死んだ魚じゃねえか……」
私は言う。返事はもちろんない。
−−−
私の兄、白崎渚が突如行方不明になってから、今日で8日が経過した。
警察に捜索願が出され、今もなお捜査が続けられているはずだが、未だなんの進展もない。
単身赴任中だったお父さんが帰ってきて、お母さんも仕事を休んだ。
私も授業に出る気分にはとてもなれず、学校を休んで、お母さんとお父さんと一緒に街中のいたるところに渚の特徴と連絡先が書かれた紙を置いていった。一日中歩きまわって、夜には足が棒のようになった。
渚が行方不明になったことを知った私や渚の友達も手伝ってくれたが、それでもなんの手がかりも見つけることができなかった。
そして昨日、7月21日。ついに私の通う菱ヶ丘高校も夏休みに突入した。
お父さんは昨日仕事に戻った。できることがないのだから、それもしかたないだろう。
顔を洗い終えた私は自分の部屋に戻り、服を着替えた。スカートではなく動きやすいパンツスタイルにした。
無駄だと分かっていても、家でただじっと待つだけなんて考えられなかった。何もしないでいると、言いようもない不安で心が押しつぶされそうになるし、最悪の想像が頭をよぎって吐きそうになる。
お父さんもお母さんも、きっとそうなのだろう。仕事でもなんでもいいからなにかで気を散らして、なんとか精神を安定させているのだ。
私は玄関に立つ。歩きやすいスニーカーを履いて、ドアを開ける。
夏の夕方の熱気が私に絡みつく。今は晴れているが、昨日は一日中雨が降っていたので、空気が湿っぽく蒸し暑かった。
ドアを閉めようとして、私は部屋の中を振り返る。誰もいなくなった部屋は、ひっそりと静まり返っている。
渚は家族の中でも、友達の中でも特によく喋る。くだらないことをペラペラと喋って、自分で言ったことに自分で笑ったりする。とにかくやかましい。
その渚がいなくなって、私たちの生活はとても静かになった。人が一人減ったのだから、その分静かになるのは当然だが、静寂に包まれるたびに、私たちは渚が消えたことを実感させられた。
私はドアを閉め、鍵をかける。渚を探して、さまよい始める。
−−−
それから数時間後、家の近くの間賀公園まで帰ってきた時は、すでに陽は沈んでいた。公園の入り口の横に設置されている掲示板にも、渚に関する張り紙が貼ってある。
私は誰もいなくなった公園のブランコに腰かけた。あちこち歩き回ってへとへとだった。公園の地面には、昨日の雨で大きな水たまりがいくつもできていた。
私は携帯を開く。新着メッセージは一つもない。自然に、私の指はアルバムを開いていた。スワイプして一枚の画像を表示する。
それは、渚の自撮りだった。馬鹿みたいに笑っていた。横には私も写っていて、迷惑そうに眉をひそめている。
渚が携帯を機種変した時、カメラを試したいと言って撮ったあと送られてきた写真だ。私の携帯に保存されている写真の中で、渚が写っているのはこれしかない。
「……」
両親にも、友達にも、警察にも、誰にも言っていないことがある。
私は渚が『消える』ところを見た。
なぜ、そんな重要なことを言わなかったのか。
「渚は何もない空中に飲み込まれるようにして消えました」
そんなことを言っても誰も信じてくれないだろうし、私自身も自分の見たものが未だに信じられなかった。だが、事実として渚は行方不明だし、一週間経っても手がかりの一つも掴めない。
「渚……」
私は、画面の渚に視線を落とす。その顔に、水滴が落ちる。
「渚ぁ……」
ねえ、渚。
あんた今、どこで何してんの?
私、どうやってあんたを探せばいいの?
いっつもうるさいくせに、なんでこんな時に限って黙ってんだよ。
「ざけんなよ……」
その時だった。
私の背後に、誰かが立った。
近づいてくる足音も、気配も感じなかった。突然、今この瞬間、なんの脈絡もなく私の後ろに現れたように感じた。
「な……」
私は振り返る。
こんな感じで、渚視点の異世界パートと湊視点の現世パートが交互に続きます。