18.コミュ障と布
依織の日常にイザークがいることに違和感がなくなってきたある日の事。
今日も今日とてイザークは依織がいる小さな屋敷に通ってきている。
この日の手土産は、小さなパイだった。何枚にも重ねられたパイ生地の間にナッツ類が挟まれ、生地には甘いシロップが染みこんでいる。かなり甘みが強く一口で大分満足出来るような品だ。しかし、一緒に持ってきてくれた花のような香りのするお茶と一緒だと、もう少しいける気がしてしまう恐ろしいシロモノである。主に、体重増加的な意味で。
織物を一段落つけ、持ってきてくれたお茶に手を付ける。お盆の上には小さな砂時計があった。おそらくこの茶菓子一式を用意してくれた侍女が用意してくれたのだろう。砂が落ちきったタイミングで、織物に一区切りつけられて良かった。これ以上蒸らすと渋くなってしまう。
お茶で一度喉を湿らせてから、依織は意を決して言葉を発した。
「あの…布、出来ました」
依織から話しかけるのはとても珍しい。普段は頼まれなくてもイザークが様々なことを話してくれていた。そうではない場合は、依織が布を織る音だけが響く静かな空間だ。それは、依織にとって割と嫌いではない時間に変化しつつあった。
その悪くはない時間を、自らの手で壊すような行為。ただ自分から話しかけただけではあるけれど、緊張で顔面が強ばった。その手には、新作の布がある。あまり握りしめると手汗がついてしまいそうだから、ふんわりと掌の上にのせている。
通気性を重視したそれは、実は織るのに結構苦労した。以前、見せて欲しいと言われたので、どんなものを織るべきかずっと考えていたのだ。それがようやく完成した。
「え? すごい。早くない?
織機で布織るのって結構重労働って聞いたんだけど、無理してない?」
「…頑張り、ました」
自己申告通り、結構今回の布は気合いを入れて織った。
一見すると普通の白色の布だ。だがよく見ると薄いグレーの糸で細かな模様がついている。通気性の良さと、透けないことを両立するために模様を入れてみたのだ。
「えっすごい。すごくない!?
軽いし、通気性良さそうだし、何よりこの模様どうやって作ったの?
めちゃくちゃオシャレだね」
イザークの声音が弾み、いつもの口調よりも少し幼くなっているのがわかる。掌に当てて透かそうとしてみたりする仕草もどことなく子供っぽい。
そういえば、彫りの深い顔立ちをしているので、それなりの年齢だと思っていたがいくつなのだろう?
(前世も合わせればそろそろアラフィフな私よりは確実に年下だろうけど…。
あれ? それ考えたら王様と私って年齢的には釣り合うんだ!?)
衝撃的な事実に一瞬依織は呆然としてしまう。
日々、どうやって人とのコミュニケーションを成り立たせるかに頭がいっぱいで、自分がアラフィフである事実には頭がいっていなかった。
つまり、依織は50年近くもコミュ障のまま進歩していないのである。
正直、結構凹んだ。
「ねぇ、イオリさん! この布、売って貰って良い!?」
そんな依織の心情を知る由もないイザークは、ウキウキと布の買い取り交渉をしてくる。余程その布を気に入ってくれたらしい。こんなにも喜んだ顔を見せて貰えるのは、制作者冥利に尽きるというものだ。コミュ障歴50年のショックも和らぐ。
「どうぞ」
「やった! んー、でも値付け難しいなぁ。おいくらくらいがいい?
あ、でもイオリさんずっとオアシスにいたし物価とかもあんまりわかんないよね。鑑定とかかけて貰った方が適正価格になるかなぁ」
「いえ、あの…」
この布の材料は支給して貰ったモノばかりだ。糸しかり、織機しかり。
依織のオアシスの小屋を見たイザークが、恐らく気を利かせて揃えてくれたのだろう。依織がしたことと言えば布を織ったことだけだ。
それであんなにも喜んでくれたのだから、お代はもういただいたようなものだ。
あんなに手放しに感心してもらえたのはいつぶりだろうか。モノを作り始めた最初の頃の気持ちを思い出す。
だから自然と言葉が出た。
「喜んで貰えたから、それでお代は十分です」
余り深く考え込まなかったからこそ、自然に出た言葉。嘘偽りない本心だ。だからこそ、噛まずどもらずすんなり言えた。
その言葉を聞いてイザークは
「は? 何言ってるのイオリさん!」
怒った。
いや、正確に言えば怒ったのではないのかもしれない。けれど、先程までの無邪気な少年のような表情は消え、目元が吊り上がっている。キラキラしい顔面は、目を吊り上げると凄みを増すらしい。少なくとも依織には怒ったように見えて、思わず謝罪の言葉をたどたどしく口にした。
「え、あ…ご、ごめんなさい…」
ヒヤリ、と胃の腑が縮こまるような感覚。
相手が怒ったときに怯えて謝ってしまうのは、もう条件反射のようなものだ。そのことが更に相手を苛立たせるのが頭ではわかっていてもやめられない。それ以外の方法を知らないのだ。ただ謝って、嵐が過ぎるのを待つだけ。
何故? という言葉が依織の頭の中をグルグルと巡る。今のやりとりで何がまずかったかサッパリわからない。
さっきまで温かだった依織の気持ちが一瞬にして萎む。
その様子が伝わったようで、一度自分の気持ちを落ち着けるように、イザークが深く息を吐いた。
「まず、怒鳴ってごめんなさい。
怖かったでしょう?」
依織はフルフルと首を振る。だが、自分の顔から血の気が引いてしまっているのがわかる。明らかに嘘にしか見えないだろう。けれどここで頷くほど依織は愚かではない。イザークは、王族だ。きっと、きちんと線引き出来なかった自分に非がある。
(親しくなれた、とか…思い上がっちゃダメだったんだ)
「えぇと、それから…。
まずね、俺は王族に名を連ねる人間なんだけど…」
「はい…」
だから、機嫌を損ねるようなことはしてはいけないのだ。
依織のような人間が気安く話すのが間違いだった。
そう結論づける依織に、意外な言葉が振ってきた。
「そういう人間にね、タダでモノをあげちゃダメだよ。
ていうか、むしり取らないと」
「……へ?」
思わずポカンと口を開けてしまう。
フェイスベールもつけていないため、依織の間抜けな顔はイザークに丸見えだ。
「王族はね、ただエラいんだってふんぞり返ってるだけじゃダメ。
きちんと国が適切に動く様にしなきゃダメなんだ。
だから国が動いて欲しい方向に率先して動かなきゃならない。
戦があれば兵を率いるし、国が豊かになって欲しいときは率先してお金を使う。そういう役目なんだ。少なくとも俺はそう教わって、そう行動してるつもり」
イザークの言葉に依織は面食らった。
依織が抱いていた王族像と何もかもがかけ離れすぎているから。
(なんかもっと…身勝手だと思ってた。
…やだ、私、肩書きだけでイザークを判断してたんだ…恥ずかしい)
青くなったり赤くなったりする依織に苦笑しながら、イザークは言葉を続ける。
「だからね、イオリさんがちゃんと労働して作った布には、ちゃんとした価格をつけて買い取らせて欲しい。
それと、自分を安売りしちゃダメだよ?
この国は…うん、まあ気の良い奴もいるけど、悪どいヤツはほんとすごいから。そういうのに食い物にされちゃうよ?」
イザークが怒ったように見えたのは、依織を心配したから、というのもあるらしい。勿論、王族としての自分の信念に泥を塗られた、というのもあるだろうが。
「イオリさんの布も、こんな布織れちゃうイオリさん自身も、本当に凄いんだからもっと自信持って。
ちゃんとしかるべきところに持ってって鑑定して貰って…それからお代払わせてね」
一度冷え切ったと思った心臓が、またドクドクと動き出したような、そんな感覚に陥った。
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