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幸に忠を。  作者: 夏雪あい
ニ章 守護する者
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[一 ゆり]

「佐伯さん、僕と、付き合って欲しい」

 ゆりは、自分の耳を疑った。

「はい?」

「佐伯さん、僕と、付き合って欲しい」

「あの、どちらへでしょうか?」

「違う。そうじゃない。交際をしよう、と言っているんだ」

 こうさい、とは、なんだろう。自分に縁のある言葉だとは、ゆりには思えなかった。高裁。光彩。公祭。高菜。子産祭。交差胃。

 ゆりは、目を瞬かせ、首を傾げた。

「男女交際だ、佐伯さん。男女が交際することだよ」

 交際、らしい。しかし、目の前の男性と交際する理由が思い浮かばなかった。

「なぜですか?」

「僕が君を好きだからさ。気持ちを通わせたいんだ」

「それは、必要なことなのでしょうか?」

「必要かどうかじゃない。そうしたいんだ」

 どうしよう。

 ゆりには興味がない。突然のことすぎて、ていよく断る言葉が思いつかなかった。

 目の前の男性は、一応顔見知りだ。友達が所属する部活の先輩なのだ。友達と一緒の際に、少し会話をしたことがある。直接の交友関係はない。

 そもそも、なぜ、ここに先輩がいるのだろう。友達と待ち合わせていたはずだ。しかし、待ち合わせ時間にやってきたのは、この先輩だった。見渡す限り、友達の姿はない。

 考えても仕方がないので、素直な気持ちを口にするしかない。

「興味がありません」

 目を合わせて言葉を返したところ、大きなショックを受けている様子だった。

「お付き合いをする理由もありません」

「最初は、理由も興味も必要ない。試してみなければわからない。友人じゃない特別な関係であると思えば、それは嬉しい。触れ合うことだってできる。喜びにもなる。試すことでそれらが実感できる」

「それは、あたしの望むところではありません」

 先輩の顔がやや引きつっていた。

 こういうことは初めてではないが、慣れているわけでもない。居心地が悪い。

 どんな内容であれ、応じる気はなかったので、早々に諦めてほしい。そのつもりで、明確な拒絶の意思を示した。しかし、表現を変えつつ食い下がってくる。一歩近づかれれば、一歩下がった。そうやって距離を保つ。

 顔には出さないように努めたが、やり取りが億劫になってきた。それでも、かけられる言葉の一つ一つに反応した。真っ直ぐな気持ちは感じるのだ。

「はいはい、先輩、もういいでしょ。ゆり、いこっ」

 友人の藤枝美香ふじえだみかが、突然横から現れ、ゆりの背中を押した。

「う、うん」

 先輩を置いて、美香と少し歩いた。先輩と距離が開いたと思えたところで、美香へ咎める視線を送った。気まずそうに頬を指先で掻く美香。

「それにしても、断っちゃったかあ」

「知ってたの?」

「あの人、部活の先輩じゃん? せがまれると断れなくってさー」

「やめてよね、もう」

「でもほら、うちら、もう高校生じゃん。機会があるなら、男を知っておいてもいいかな、って思ってさ」

「美香と一緒にいる時に、少し喋ったことがあるだけの人だよ。無理だよ」

「顔はかっこいいじゃん」

 格好良い、というのがどういう顔か、ゆりには判断がつかない。美香にとってはそうなのだろう。その価値観の否定はしなかった。

「それでも、嫌なの」

「今回は許してよ。ほんとにしつこくって。わたしを助けたと思ってよ」

 高く手を重ね合わせる美香。ゆりは一つ息を吐いた。

「じゃあ、しょうがないね」

「ありがと」

 それからは二人で映画を鑑賞し、洋菓子店でケーキを食べながらお喋りをした。休日は、ちょっとした夢の時間だ。

 楽しい時間を過ごしたが、暗くなる少し前に美香と別れ、買い物をして帰った。

 身体を洗ったあとは、台所で夕食を作った。だまこ鍋だ。何度か作ったことのある料理なので、特に難しいものでもない。味見を一度すると、いつも通りの味だった。

 料理が出来上がると時計を見た。そろそろ母が帰って来ても良さそうな時間だ。

 居間でテレビの電源を入れたが、放送画面が映らない。壊れてしまったようだ。仕方なくテレビを諦め、昼間に観た映画のパンフレットを広げた。

 今日観た映画は、恋愛映画のようだった。時代劇風のもので、嫁を見つけるために旅へ出た青年が奮闘する物語だった。美香が観たがった作品である。

 玄関から物音がした。母のさくらが帰ってきたのだろう。玄関に向かう。

「おかえりなさい、お母さん」

「うーん。良い匂いね」

「うん、だまこ鍋にしたよ」

「どれくらい腕を上げたか、あとで評価してあげるわ」

「やだ、こわい」

「社会は評価の連続よ」

 もっと夢のあることを、言って欲しい。社会生活のことなど、まだ考えたくもない。

 台所に戻ると、鍋は温め直したり、皿を出したりし、食事の準備を整えた。

「はあ……。良いお湯だった」

「お酒は飲む?」

「ううん、今夜はいいわ」

 食卓で向かい合って座った。

「よし、食べよう。すごい量ね」

「うん、ちょっと作りすぎちゃった」

「こんなに食べたら、お腹が六段になるわよ」

「お母さんなら大丈夫」

「あのね、お母さんだから大変なのよ。歳のせいか、食べるとすぐ肉になるのよ」

 そう言って腹の肉をつまむさくら。

「あれ、ちょっと太った?」

「あんたが九割、食え」

「無理だよー」

 それは、さすがに食べきれない。二人で食べて、十分以上の量があるのだ。

「そうだ、ゆり。今日は、話があるの」

「なあに?」

「お母さん、再婚しようと思ってて」

「ふうん」

 どういうことになるのだろう。苗字が変わるのだろうか。

「言ってる意味、わかってる?」

「ううん」

「ゆりにとっては、新しいお父さんが出来るってことよ」

「そ、そうなんだ」

「だからね、その人、阿東さんって言う人なのだけど、会って欲しいのよ」

「お母さんは、その人のことを好きなの?」

 昼間の先輩の顔が思い浮かんだ。異性を好きになる、といった感情は良くわからない。それが新しい父であっても、同じだろうと思えた。強いて好きな異性をあげるとしたら、亡くなった父だけだ。

「そりゃ、再婚を考えているくらいだからね」

「じゃあ、会ってもいいよ。会わないで決めてくれてもいいけど」

「それは駄目よ。ゆりにとっても、大事なことなんだから。ゆりが納得してくれないなら、お母さんの気持ちがどうであろうと、再婚の話はなかったことにするわ」

 そう言われてしまうと、嫌だ、とは言い辛い。

 昼間の先輩からも、こういう言い方をされていたら、内心渋々でも、交際を決めたかもしれない。それは良い未来とは想えず、少し身体が震えた。

「わかった。会うよ」

「ありがと。今度、家に連れてくるから。それとも最初は外がいい?」

「ううん、家でいいよ。美味しい料理、作るね」

 母の手がのびてきた。頭をワシャワシャと撫でられ、嬉しさが募った。

「よし、いい子だ」

「エックスデーが決まったら教えて?」

「何よ、エックスデーって。何か事件でも起きそうじゃない」

「だって、お母さんがフラれる可能性もあるわけでしょ?」

「こやつ、全然良い子じゃないな」

 母と二人、笑いあった。

 父が亡くなったあとも、この母がいたから、なんとかやってこられた。変わらぬ暮らしで、ゆりが明るくいられるのは、さくらのおかげだ。

 本音を言うと、新しい父親は、欲しいとは思っていなかった。実の父親が心にいる。その存在は今も大きく、別の父と言われても、受け入れ難い。しかし、実の父を気にする素振りは、表に出さないようにした。そういうゆりの気持ちを、さくらは敏感に察知する。再婚するのであれば、これからも秘するべきと思えた。

 母が望むのであれば、その願いは叶えたい。母の幸せが、ゆりの幸せでもある。

「うまくいくと、いいね」

 ゆりは、精一杯の笑顔で、本心を伝えた。さくらが静かに頷いた。



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