[一 忠義]
息を吸った。身体に冷たい空気が入り込んでくる。それがひどく新鮮なことに感じられた。懐かしさすら感じる。
目が開かない。眩しい。
「お、目覚めたか?」
傍で男の声が聞こえる。他にも雑音が聴こえる。
「おい、聞こえっか?」
自分が言われているのだろうか。声の距離も判然としない。
「おい」
肩を揺すられた。やはり、自分に言っていたらしい。
「ああ、聞こえてるよ」
「いいね。人間で同国人か」
何を言っているのか。
どことなく浮遊感はあったが、身体は動くようだ。上体を起こした。
「雑音がうるさい」
「そりゃ、この世界に馴染んでいないからだろう」
「世界? 何を言っている?」
少しずつ光に慣れてきた。周囲を見渡す。小部屋のようだ。男と女が自分を見ている。話しかけてきているのは、男の方だろう。ちょんまげが目についた。かつらだろうか。
「おまえ、今、自分のことがわかるか?」
おかしなことを訊くものだ。
「そりゃ」
続く言葉が、口からは出てこなかった。
わからない。自分が何なのか、頭が空っぽだった。
「記憶がないんだろ?」
「どうしてわかる?」
「生まれたては、記憶がなくて当然だからさ」
生まれたてとは奇妙なことを言う。
「名前も年齢も、なんもわかんねーんだろ?」
名前。わからないはずがない。……が、わからない。頭の中にポッカリと穴でも空いてしまったかのようだ。
話しかけてくる男の顔を見た。三十代くらいの男だ。
「おいらが見えるか?」
「ああ」
「九郎様、お退き下さいませ。弱っているようでございます。そやつを、わたくしが成敗いたします」
女をよく見ると、少女と言ってもいいくらいの風貌だった。その少女が薙刀を振りかざした。敵意が向けられている。何にだ。自分にだ。
慌てたが、立ち上がることができず、必死に後ずさりをした。
「待てよ、姫。こいつが悪霊に見えるのか?」
「悪霊かもしれませぬ」
姫と呼ばれた少女が、薙刀を振り回す。なんて物騒な少女なのか。お手伝いさんだろうか。服装から、そんな印象を受けた。その割に呼び名は、姫、である。違和感。
「姫、よく見ろ。守護霊の顕現だ。しっかりと触れる。何も起きない」
九郎と呼ばれた男が近づいてきて、自分の手に触れてきた。それを見た少女が渋々と、薙刀の構えを解いた。
「まったく、姫は嬢ちゃんだなあ。人の顕現は初めてだっけか?」
「はい」
「おいらがいない時に勝手に滅したりしないでくれよな。貴重なんだから」
「念には念を、でございます」
男が肩をすくめ、軽く息を吐いた。
「で、お前に質問だ。おいらが何に見える?」
「痩せた相撲取り」
頭にちょんまげがある。今の御時世、ちょんまげだなんて相撲取りとしか思えない。
「ちげーよ」
「じゃあ、なんなんだよ」
「侍だ」
「侍?」
「そうだ。見てみろ、この立派な刀を」
言った男は、抜刀した。刀身が光を照り返し、切れ味を物語っている。空気が切れたかのような鈍い音がした。
慌てて、後退りした。こっちは何も持っていない。いや、持っていたとしても立ち向かう度胸がない。
「刀だよ。相撲取りではない、ってことが理解できたか?」
「助けてくれ」
両手を上げて降参の意を示す。
「誤解すんなって。別に害意はねーよ。話したいだけなんだ。落ち着いてくれ」
男が、血糊を飛ばすような素振りをし、刀身を鞘に収めた。
銃刀法はどうなっているのか。
刀が鞘に収まるのを見て、ようやく少し落ち着いた。
せめて鎧でも着ていれば、侍にも見えようが、着物姿だ。腰帯に刀を差している。
「侍というより、刀を持った町民だ」
町民という言葉に反応したのか、男が刀の柄を鳴らした。
「いや、侍だな。格好良い。憧れる。よっ、大将」
そう言うと、気を取り直したのか、男は傍に座った。
「良く見えてるようだな。おいらは、九郎ってんだ」
九郎は名乗ったが、自分は名乗り返せなかった。思い出そうとしても、名前が思い浮かんでこないのだ。
「ここはな、霊が住まう世界だ。普通の人間が生きる世界じゃない。ま、言ってみれば、現実の霊層って感じさ」
「霊層?」
周囲を見回す。自分がいるのは、どこかの部屋のようだ。整理されていて、女の子が好みそうな小物や人形があった。雰囲気からして、女の子の部屋だろう。
現実じゃない、などと言われても、いまいちピンと来ない。見える風景は、現実そのものだ。記憶がなくても、それはわかった。
「で、おいらは守護霊。お前もきっと守護霊」
頭が混乱してきた。馴染みのない単語が出てきたからだ。
「おいらの言葉がわかるみたいだし、前世が人間で、言葉が通じるくらいの世代差なんだろうよ」
「意味がわからん」
「例えば、種族が違ったりすると、そいつの意思がひどい雑音に聞こえたりするのさ。声じゃなくて、意思で話すからな」
言われている意味がわからない。冷静さは取り戻している。こんな話に付き合っているのも、馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「もういいから、帰してくれないだろうか?」
「どこへ?」
どこだろう。帰る場所も思い出せない。固有名詞や関連する情報が抜け落ちてしまったかのようだった。言葉はわかる。会話もできる。だけど、自分がわからない。
「わからない」
「おまえに、ここ以外へ帰る場所なんて、多分ねーよ?」
「俺は記憶喪失なのか?」
「そんなもんかな」
「そんなもんって」
「早けりゃ、今日中に何か思い出すかもしれないし、十年後かもしれない」
「十年?」
「そん時に名前も思い出すだろうが、今が不便だな。よし、おいらが名付けてやる」
「はぁ」
「おまえは、今から『忠義』と書いて、ただよし、だ」
「勝手なことを」
「忠義、良い名前だろ。この家の家主だった男の名前だ。お前の記憶がいつ戻るか、わからんし、使っとけ」
不思議と、その名前に嫌悪感はなかった。馴染んでいる気がする。
「まあ、もういいや。忠義ね」
考えても仕方がない。なるようになるだろう。よくわからないが、助けて貰っているようだし、好意として受け取っておけばいい。
少女の方は、正座で味噌汁を飲んでいた。薙刀は見当たらない。
「で、九郎さんとやら。一体全体どうなってんだ?」
「忠義は多分、何かの守護霊として生まれたんだよ。人型は久しぶりだから、いやー、嬉しいね。帰ってきたら、お前、転がってたからさ」
九郎は嬉しがる様子を見せるが、忠義は状況がわからず、苦い顔をした。同じ喜びを味わうことができないのだ。
九郎の説明は、よくわからない。いや、言葉は理解できる。しかし、意味するところが理解できない。
「いや、すまん、すまん。多分、そのうち、使命感も湧いてくるだろうけど、拠り所を守るのが、おいら達の使命だ」
「で?」
「それだけだ」
やはりわからない。生きるのに使命なんかない。記憶喪失だから理解できないのだろうか。確かに、何かが足りないような気はする。
「九郎様、それでは伝わりませぬ。見て下さい。忠義様が困惑されておられます。わたくしの時も、そんな雑な説明でございましたね」
「あんだよ、いいだろ」
姫と呼ばれた少女が、ゆっくり近づいてきた。十代前半くらいの少女に見える。
「君は?」
「わたくしは、椿姫と申します。姫とお呼び下さいませ。忠義様と呼ばせて頂きますね。わたくしは、そちらのリュックを拠り所としています」
椿姫が指す先に、リュックが置かれていた。心の拠り所にしている、ということだろうか。よくわからない自己紹介だ。
「どこのどなたか存じませぬが、忠義様はきっと、亡くなられたのでしょう。そして、守護霊として生まれ変わったのだろう、と推測いたします」
「えっ、俺、死んだの?」
言葉が出なかった。自分の身体を見ても、どこもおかしな様子はない。雑音が聞こえる以外は、元気な気がした。
椿姫が続けて話す。
「まずは、拠り所が何かを、認識するべきです。それで使命がはっきりします」
「帰りたいなあ」
「忠義様の帰る所は、拠り所しかございません」
「その拠り所とは?」
一応訊いてみた。心の拠り所、という意味合いで使われている言葉ではなさそうだ。
「守護対象となる何かでございます。大抵は生物か物品が拠り所となります。この佐伯家は現在、二人家族で、二名共に守護霊がついております。忠義様は、家屋か物品の守護霊でございましょう」
そろそろ誰かが、ドッキリ宣言してくれないだろうか。そう思いながらも、会話に付き合うことにした。
「どうすればわかるの?」
「近くに参れば、忠義様だけがわかる、何かしらの反応があるかと存じますが」
「家の中をウロウロすればいいの?」
「はい」
「よし、じゃあ、行くか」
九郎が身軽に立ち上がった。それとほとんど同時に、背後の扉が開いた。椿姫とは別の少女が入室してくる。
「うわあっ、すいません、お邪魔していますっ」
不法侵入しているような気になり、即座に頭を下げた。土足でもある。
「忠義、落ち着け。見えてやせんよ」
「は?」
少女は、土下座する忠義に見向きもせず、机の椅子に腰を掛けた。女子高生くらいだろうか。椿姫よりは、いくらか歳上に見えた。
「忠義様。守護霊は、現層に生身を持つ者には、認識することができませぬ」
また、新しい言葉が出てきた。現層とはなんだ。
「見えない? 現層ってなんだ?」
「便宜上、そのように呼称されております。現実の中に、現層と霊層の二層があり、現層に存在する人間は、霊層を感知できませぬ。そういう区別でございます」
「そうだぞ、忠義。ついでに、この子がおいらの拠り所で、ゆり、という。佐伯ゆり」
ふいに、芯のような何かを、心に感じた。次の瞬間には、使命感を感じた。それは抗いがたい使命感だった。抗う気もない。何よりも願ってやまない、待ち焦がれたような想い。ともすれば、持て余しそうな気持ちだった。
「あれ、なんだろう。この子が大事な人だ、と思う」
「まさか、ゆりが拠り所か?」
「いえ、生物の守護霊は、必ず一霊までのはずです。九郎様がおっしゃられたのですよ」
「そりゃ言ったが、見たことがないって意味で言ったんさ。いるかもしれんだろ」
「とにかく、少し歩いてみませんか。あまり時間がございませぬ」
「時間がなんなの?」
「夜が更けると、悪霊が出やすい時間となりますゆえ」
「おう、そうだな。このままじゃ役立たずだ」
九郎が豪快に笑う。忠義には、何が面白いのかわからなかった。
「さ、忠義様。参りましょう」
椿姫は先を歩き始めると、扉へ向かって行き、扉にぶつかった。いや、そう見えたが、扉へ吸い込まれるように消えていった。
「あっ、え?」
続く九郎も扉へ吸い込まれていった。
どうなっているのか。
「忠義様?」
ドアから椿姫の顔だけ出てきた。遅れて九郎の顔も出てきた。
「そこ、ドア、だよな?」
「そうでございます。同じようにすり抜けることが、忠義様にもおできになります。どうぞご安心を」
「えっ」
「ほら、いいから来い。言葉で説明するのは疲れる。とっとと体験しろ」
九郎に腕を引き込まれ、そのままドアに衝突しそうになる。目を閉じた。
「うわあああっ」
と、叫び数歩を歩いたところで、九郎の手が離された。
「ほら、通ったぞ」
「あれ?」
そこは通路だった。振り返るとドアがある。
「忠義様。わたくし共、守護霊は、現層の物質に関与することが叶いませぬ。ですが、生物が通る場所は、通過することが可能でございます。扉の他に、窓なども通過可能でございます」
改めて扉に触れると、腕が突き抜けていった。抵抗もない。
思い切って頭を突っ込んでみる。顔だけを、反対側へ出すことができた。
「おお、すごいな」
どこかから映像を描写していたりするのだろうか。
室内のゆりは、何事も起きていないかのように、机に向かっている。
後ろ首を捕まれ、引っ張り戻された。
「時間がないんだって。行くぞ、忠義」
驚きも束の間、自分の現状を認識できてきた。冗談やドッキリの類ではないのかもしれない。それとも、よっぽど特殊な演出をされているのだろうか。そんなわけがない。本当に霊となってしまったのか。足はあるのだが。
それからは、各部屋をまわった。居室。台所。トイレ。脱衣所。浴室。寝室。物置。
「見つからんなあ」
「なあ、拠り所が見つかると、どうわかるんだ?」
「おそらく、繋がりが見えるかと存じます。細いかもしれませぬが」
「そんなもの、ないなあ」
「明らかに異質なので、絶対お気付きになるかと存じます。本霊にしか見えませぬが」
本霊。本人ってことか。人でないから霊。そういうことか。
「あとは、外くらいか?」
「左様でございます」
三霊で歩き始める。
忠義は、ある疑問を持ち始めていた。それは吐き出してしまおうと思った。
「あんたら、親切なの?」
「おかしな聞き方だな。親切だぞ」
「なんで?」
「そりゃ、これから仲間になるんだろうしな」
「仲間?」
「そう、仲間」
「忠義様、わたくし共は、拠り所を悪霊から守ります。ですが、自分の拠り所だけを守っていても、その拠り所の周りが朽ちてしまっては、結果的に拠り所を守れなくなるやもしれませぬ。また、協力した方が防衛もしやすいです。そのため、他の守護霊と協力もいたします」
「だから、仲間ってことか」
仲間というより、同盟。いや、ただの協力者と考えても良いかもしれない。
「ですが、このまま拠り所が見つからないと、仲間とはなれないかもしれませんね」
「つまり、別の何かかもしれないってこったな」
「そっか」
「害がなけりゃ、多少は面倒を見てやるよ」
「そりゃどうも」
どこまで本気なのか。少し、投げやりな気持ちも湧いてきていた。
突然、こんな世界に生まれ、今も受け入れられない。二霊は助ける気持ちがあるようだが、それが何になるのか。そんなことを忠義は考えた。
玄関口にたどり着くと、ウサギがいた。僅かにぼやけて見える。近づき、撫でてみた。逃げはせず、むしろ興味を示された。手の匂いを嗅がれる。
「可愛い兎だ」
「生まれて間もない守護霊でございます。昨夜、少しやられてしまいました。いつもこの辺りにいるので、拠り所が近いのでしょう」
「守護霊は、他にもいるのかい?」
「はい、あと一霊、いらっしゃいます。他の方々は消滅してしまいました」
「なぜ?」
「悪霊に対抗できなくてな。自分の拠り所を守るだけで精一杯。守れない場所の幸は、奪われる一方なんでな。もう佐伯家を守れなくなりそうだった」
あんたら、そんな弱いのか。冗談で言おうとした時、玄関の扉が開いた。
「あー疲れた、疲れたっと」
女性が独り言を呟きながら入ってきた。頭の上に赤ちゃんが乗っている。
「この方が、残りの守護霊です」
「女の人?」
「いいや、乗ってる方だよ。おいら達は。んがちゃんって呼んでる」
「守護霊って、赤ちゃんじゃないか」
「馬鹿にするな。まともに意思疎通はできないが、この家で最強なんだぞ」
「はあ」
「んが、んが」
んがんが言っているから、んがちゃんってことだろうか。手に持つガラガラと音する玩具を、忠義に向けて振っている。忠義は、口を半開きにして見送った。
「女は、さくら。佐伯さくら。ゆりの母だ」
また、心の芯が強くなった気がした。女性に強く惹きつけられる。ゆりの時と似た、愛しさにも似た気持ちがある。
「俺、この人を守りたい」
「またかよ」
「さくら様も、んがちゃん様が憑いております」
「忠義。おまえ、女好きなだけじゃないだろうな」
「そう思えたってだけだ」
「念のためお訊きいたしますが、何かさくら様に、特別な反応はございますか?」
「いいや、何も」
「ではやはり、気のせいですね」
軽やかに階段を降りてくる足音が聞こえた。ゆりだ。
「お母さん、おかえり。お風呂、先に入るでしょ?」
「うん、そうする」
「ご飯、用意しておくね」
「ありがと、ゆり」
んがちゃんが、つぶらな瞳で忠義を見つめていた。物珍しいのか、現れてからずっと見られていた。手を振ると、嬉しそうな様子で、さくらの頭を叩いていた。さくらは反応しない。
「以上、四体が、ここ佐伯家に残った守護霊だな。忠義を数えれば、だが」
「多いのか少ないのか、わからないんだが」
「他の家は、多いところだと、数百からの守護霊がいる」
「はあ?」
「我が佐伯家は、風前の灯火でございます。幸は悪霊に奪われ続け、家屋や物品は、朽ち始めてございます。これで忠義様が守護霊でなかったら」
「滅びが近いな」
「そんな大げさな」
言ったが、冗談の雰囲気ではなかった。
「それでは、外へご案内いたします」
三霊で玄関から外へ出た。
陽は落ちかけている。住宅街をオレンジに彩っていた。
通りには、人が歩いている。その後ろを、ゾウが歩いていた。
「おい、こんなところにゾウが」
「守護霊だろ。別に問題ない」
問題しか感じない。よく見れば、空に怪鳥が飛んでいるし、違和感だらけだ。ここはどこだ。そう思わざるを得なかった。
「それより、忠義。どうだ?」
忠義は首を横に振った。そもそも何を探しているかも、よく分かっていない。
「ってことは、家屋でもないのか」
振り返っても、家との間には、何もなかった。
「忠義様。周囲の家をご覧下さい。そして、目を凝らしてご覧下さいませ」
目を凝らせと言われても、どう凝らすというのだ。思ったが、なんとなくぼんやりと、家並が光を発していた。
「なんか、光ってる?」
「それは、幸の全体量が、見えているのでございます。慣れますと、小物の幸も見えるようになられるでしょう」
「ほうほう。すごいな。綺麗だな」
「では、続けて、佐伯家をご覧下さい」
言われるまま、佐伯家に目を向けた。
「暗っ」
目を凝らすと、先程までとは違って見えた。他の家と比べ、陰りが濃かった。
「左様でございます。この家の幸は、枯渇しているのです。このままでは、家とそこで生きる物が、死んでしまいます」
「その幸ってのは、結局なんなのさ?」
「生物や物品が生きる力、とでも申しましょうか。幸がなければ、物品は朽ちてしまいます。大事にされることで、幸は溜まりますが、悪霊の好物でもございます」
力。エネルギー。電池みたいなものだろうか。
「それより、忠義の拠り所が見つからんな」
「困りました」
「元気そうだし、そうは離れていないはずなんだが」
九郎が忠義をまじまじと見つめて言う。なんだろう。拠り所を離れると、体調不良にでもなるというのか。
「せっかくだし、散歩でもしてみるかな」
「わたくし達は、これ以上、拠り所を離れません」
「え、そうなの?」
「もう来る頃だしな。戦わなくちゃならん」
「まぁいいや。どうせ戦えないっていうか、戦いたくない。良くしてくれたのに、力になれず、すまんね。気が向いたら戻ってくるよ」
手を振って外扉を通過し、道路に歩き出た。どうしようか。
しかし、敷地を出た途端、急に虚脱を感じた。立ってもいられない。へたり込んだ。指先すら動かせそうにない。そのまま地に伏した。
「どうされましたか、忠義様」
「なんか急に力が抜けて」
声はかろうじて出る。
「とにかく、こちらへお戻り下さいませ」
「無理。うごけなひ」
九郎と姫に、引きづられるようにして戻った。すると、虚脱もなくなった。
「あれ、治った」
立ち上がれる。急に感じた脱力は、嘘のようになくなった。
「おまえ、まさか」
「あん?」
「足元をよく見ながら、その場で跳ねてみろ」
さっきの虚脱が嘘のように、身体は軽い。なんともなかった。
九郎に言われた通り、足元を見ながら飛び跳ねてみた。
「おっ、なんか光ったぞ。静電気みたいな」
飛んで足が地を離れた瞬間、地と足を繋ぐように、青光する線が見えた。現実離れした電気の光。そんな印象だ。痛みはないが、認識したその時から熱を感じた。
瞬間、身体中を痺れるような刺激が駆け巡った。足元から頭へ抜ける。同時に、守るべきものを知覚した。ここだ。ここが、俺の守護すべき場所だ。はっきりとした芯を心に感じる。それは紛れのない確信だった。
忠義は、足を一度踏み鳴らした。痺れは刹那の出来事だった。触覚は元に戻り、地との繋がりをはっきり感じられる。地の熱を感じることもできた。
「それだ。すげーぞ。土地守護霊ってことじゃねーか」
「えっ、忠義様が?」
「土地守護霊?」
「土地の守護霊ってことだよ。ざっと五年ぶりだぞ。うおおおおっ」
身体では使命を強く感じていた。しかし、それがどういうことなのか。何をするということなのか。
九郎はちょっとした興奮を見せていたが、姫は真顔だった。
「なんだよ。わからないぞ。説明してくれよ」
「土地は、家屋や全ての物品が従属する、上位の拠り所です。土地の守護霊は、その土地で絶対的な力を持ち、土地を守護すると聞き及んでおります」
「へえ」
「古くは、広大な土地を守護したそうですが、昨今の土地は、人によって細かく区分けする考え方が定着しております。つまり、より適切な表現としましては、敷地守護霊でございましょう。他の敷地にも顕在するかと存じます」
「なるほどねえ」
椿姫は、若そうに見えるが、九郎よりよっぽど丁寧に話してくれる。
「これで今日からの防衛は楽勝だな。忠義、頼んだぞ」
九郎に肩を叩かれたが、やはり、何をどうするかがさっぱりだった。
「よくわからんが、俺は、ここの敷地から出られないってことね」
「うはは。出るな、出るな」
二回三回と背中を叩かれた。その顔には、喜びが満ちていた。
「馴染めば、今のわたくし達のように、少しは離れられるかと存じます」
九郎は、何か忠義の顕現を喜んでいるようだが、忠義自身には、そういう喜びはなかった。しかし、今理解しているこの状況を、受け入れるべきなのかもしれない。確かな使命を感じているのだ。この使命感が、真実を告げている。そうとも思えた。
そうか。俺、死んだんだ。と忠義は思った。
思い出せもしない事実を受け入れ始めると、暗い気持ちになった。