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幸に忠を。  作者: 夏雪あい
一章 誕生
2/17

[一 忠義]

 息を吸った。身体に冷たい空気が入り込んでくる。それがひどく新鮮なことに感じられた。懐かしさすら感じる。

 目が開かない。眩しい。

「お、目覚めたか?」

 傍で男の声が聞こえる。他にも雑音が聴こえる。

「おい、聞こえっか?」

 自分が言われているのだろうか。声の距離も判然としない。

「おい」

 肩を揺すられた。やはり、自分に言っていたらしい。

「ああ、聞こえてるよ」

「いいね。人間で同国人か」

 何を言っているのか。

 どことなく浮遊感はあったが、身体は動くようだ。上体を起こした。

「雑音がうるさい」

「そりゃ、この世界に馴染んでいないからだろう」

「世界? 何を言っている?」

 少しずつ光に慣れてきた。周囲を見渡す。小部屋のようだ。男と女が自分を見ている。話しかけてきているのは、男の方だろう。ちょんまげが目についた。かつらだろうか。

「おまえ、今、自分のことがわかるか?」

 おかしなことを訊くものだ。

「そりゃ」

 続く言葉が、口からは出てこなかった。

 わからない。自分が何なのか、頭が空っぽだった。

「記憶がないんだろ?」

「どうしてわかる?」

「生まれたては、記憶がなくて当然だからさ」

 生まれたてとは奇妙なことを言う。

「名前も年齢も、なんもわかんねーんだろ?」

 名前。わからないはずがない。……が、わからない。頭の中にポッカリと穴でも空いてしまったかのようだ。

 話しかけてくる男の顔を見た。三十代くらいの男だ。

「おいらが見えるか?」

「ああ」

九郎くろう様、お退き下さいませ。弱っているようでございます。そやつを、わたくしが成敗いたします」

 女をよく見ると、少女と言ってもいいくらいの風貌だった。その少女が薙刀を振りかざした。敵意が向けられている。何にだ。自分にだ。

 慌てたが、立ち上がることができず、必死に後ずさりをした。

「待てよ、姫。こいつが悪霊に見えるのか?」

「悪霊かもしれませぬ」

 姫と呼ばれた少女が、薙刀を振り回す。なんて物騒な少女なのか。お手伝いさんだろうか。服装から、そんな印象を受けた。その割に呼び名は、姫、である。違和感。

「姫、よく見ろ。守護霊の顕現だ。しっかりと触れる。何も起きない」

 九郎と呼ばれた男が近づいてきて、自分の手に触れてきた。それを見た少女が渋々と、薙刀の構えを解いた。

「まったく、姫は嬢ちゃんだなあ。人の顕現は初めてだっけか?」

「はい」

「おいらがいない時に勝手に滅したりしないでくれよな。貴重なんだから」

「念には念を、でございます」

 男が肩をすくめ、軽く息を吐いた。

「で、お前に質問だ。おいらが何に見える?」

「痩せた相撲取り」

 頭にちょんまげがある。今の御時世、ちょんまげだなんて相撲取りとしか思えない。

「ちげーよ」

「じゃあ、なんなんだよ」

「侍だ」

「侍?」

「そうだ。見てみろ、この立派な刀を」

 言った男は、抜刀した。刀身が光を照り返し、切れ味を物語っている。空気が切れたかのような鈍い音がした。

 慌てて、後退りした。こっちは何も持っていない。いや、持っていたとしても立ち向かう度胸がない。

「刀だよ。相撲取りではない、ってことが理解できたか?」

「助けてくれ」

 両手を上げて降参の意を示す。

「誤解すんなって。別に害意はねーよ。話したいだけなんだ。落ち着いてくれ」

 男が、血糊を飛ばすような素振りをし、刀身を鞘に収めた。

 銃刀法はどうなっているのか。

 刀が鞘に収まるのを見て、ようやく少し落ち着いた。

 せめて鎧でも着ていれば、侍にも見えようが、着物姿だ。腰帯に刀を差している。

「侍というより、刀を持った町民だ」

 町民という言葉に反応したのか、男が刀の柄を鳴らした。

「いや、侍だな。格好良い。憧れる。よっ、大将」

 そう言うと、気を取り直したのか、男は傍に座った。

「良く見えてるようだな。おいらは、九郎ってんだ」

 九郎は名乗ったが、自分は名乗り返せなかった。思い出そうとしても、名前が思い浮かんでこないのだ。

「ここはな、霊が住まう世界だ。普通の人間が生きる世界じゃない。ま、言ってみれば、現実の霊層って感じさ」

「霊層?」

 周囲を見回す。自分がいるのは、どこかの部屋のようだ。整理されていて、女の子が好みそうな小物や人形があった。雰囲気からして、女の子の部屋だろう。

 現実じゃない、などと言われても、いまいちピンと来ない。見える風景は、現実そのものだ。記憶がなくても、それはわかった。

「で、おいらは守護霊。お前もきっと守護霊」

 頭が混乱してきた。馴染みのない単語が出てきたからだ。

「おいらの言葉がわかるみたいだし、前世が人間で、言葉が通じるくらいの世代差なんだろうよ」

「意味がわからん」

「例えば、種族が違ったりすると、そいつの意思がひどい雑音に聞こえたりするのさ。声じゃなくて、意思で話すからな」

 言われている意味がわからない。冷静さは取り戻している。こんな話に付き合っているのも、馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「もういいから、帰してくれないだろうか?」

「どこへ?」

 どこだろう。帰る場所も思い出せない。固有名詞や関連する情報が抜け落ちてしまったかのようだった。言葉はわかる。会話もできる。だけど、自分がわからない。

「わからない」

「おまえに、ここ以外へ帰る場所なんて、多分ねーよ?」

「俺は記憶喪失なのか?」

「そんなもんかな」

「そんなもんって」

「早けりゃ、今日中に何か思い出すかもしれないし、十年後かもしれない」

「十年?」

「そん時に名前も思い出すだろうが、今が不便だな。よし、おいらが名付けてやる」

「はぁ」

「おまえは、今から『忠義』と書いて、ただよし、だ」

「勝手なことを」

「忠義、良い名前だろ。この家の家主だった男の名前だ。お前の記憶がいつ戻るか、わからんし、使っとけ」

 不思議と、その名前に嫌悪感はなかった。馴染んでいる気がする。

「まあ、もういいや。忠義ね」

 考えても仕方がない。なるようになるだろう。よくわからないが、助けて貰っているようだし、好意として受け取っておけばいい。

 少女の方は、正座で味噌汁を飲んでいた。薙刀は見当たらない。

「で、九郎さんとやら。一体全体どうなってんだ?」

「忠義は多分、何かの守護霊として生まれたんだよ。人型は久しぶりだから、いやー、嬉しいね。帰ってきたら、お前、転がってたからさ」

 九郎は嬉しがる様子を見せるが、忠義は状況がわからず、苦い顔をした。同じ喜びを味わうことができないのだ。

 九郎の説明は、よくわからない。いや、言葉は理解できる。しかし、意味するところが理解できない。

「いや、すまん、すまん。多分、そのうち、使命感も湧いてくるだろうけど、拠り所を守るのが、おいら達の使命だ」

「で?」

「それだけだ」

 やはりわからない。生きるのに使命なんかない。記憶喪失だから理解できないのだろうか。確かに、何かが足りないような気はする。

「九郎様、それでは伝わりませぬ。見て下さい。忠義様が困惑されておられます。わたくしの時も、そんな雑な説明でございましたね」

「あんだよ、いいだろ」

 姫と呼ばれた少女が、ゆっくり近づいてきた。十代前半くらいの少女に見える。

「君は?」

「わたくしは、椿姫つばきひめと申します。姫とお呼び下さいませ。忠義様と呼ばせて頂きますね。わたくしは、そちらのリュックを拠り所としています」

 椿姫が指す先に、リュックが置かれていた。心の拠り所にしている、ということだろうか。よくわからない自己紹介だ。

「どこのどなたか存じませぬが、忠義様はきっと、亡くなられたのでしょう。そして、守護霊として生まれ変わったのだろう、と推測いたします」

「えっ、俺、死んだの?」

 言葉が出なかった。自分の身体を見ても、どこもおかしな様子はない。雑音が聞こえる以外は、元気な気がした。

 椿姫が続けて話す。

「まずは、拠り所が何かを、認識するべきです。それで使命がはっきりします」

「帰りたいなあ」

「忠義様の帰る所は、拠り所しかございません」

「その拠り所とは?」

 一応訊いてみた。心の拠り所、という意味合いで使われている言葉ではなさそうだ。

「守護対象となる何かでございます。大抵は生物か物品が拠り所となります。この佐伯家は現在、二人家族で、二名共に守護霊がついております。忠義様は、家屋か物品の守護霊でございましょう」

 そろそろ誰かが、ドッキリ宣言してくれないだろうか。そう思いながらも、会話に付き合うことにした。

「どうすればわかるの?」

「近くに参れば、忠義様だけがわかる、何かしらの反応があるかと存じますが」

「家の中をウロウロすればいいの?」

「はい」

「よし、じゃあ、行くか」

 九郎が身軽に立ち上がった。それとほとんど同時に、背後の扉が開いた。椿姫とは別の少女が入室してくる。

「うわあっ、すいません、お邪魔していますっ」

 不法侵入しているような気になり、即座に頭を下げた。土足でもある。

「忠義、落ち着け。見えてやせんよ」

「は?」

 少女は、土下座する忠義に見向きもせず、机の椅子に腰を掛けた。女子高生くらいだろうか。椿姫よりは、いくらか歳上に見えた。

「忠義様。守護霊は、現層に生身を持つ者には、認識することができませぬ」

 また、新しい言葉が出てきた。現層とはなんだ。

「見えない? 現層ってなんだ?」

「便宜上、そのように呼称されております。現実の中に、現層と霊層の二層があり、現層に存在する人間は、霊層を感知できませぬ。そういう区別でございます」

「そうだぞ、忠義。ついでに、この子がおいらの拠り所で、ゆり、という。佐伯ゆり」

 ふいに、芯のような何かを、心に感じた。次の瞬間には、使命感を感じた。それは抗いがたい使命感だった。抗う気もない。何よりも願ってやまない、待ち焦がれたような想い。ともすれば、持て余しそうな気持ちだった。

「あれ、なんだろう。この子が大事な人だ、と思う」

「まさか、ゆりが拠り所か?」

「いえ、生物の守護霊は、必ず一霊までのはずです。九郎様がおっしゃられたのですよ」

「そりゃ言ったが、見たことがないって意味で言ったんさ。いるかもしれんだろ」

「とにかく、少し歩いてみませんか。あまり時間がございませぬ」

「時間がなんなの?」

「夜が更けると、悪霊が出やすい時間となりますゆえ」

「おう、そうだな。このままじゃ役立たずだ」

 九郎が豪快に笑う。忠義には、何が面白いのかわからなかった。

「さ、忠義様。参りましょう」

 椿姫は先を歩き始めると、扉へ向かって行き、扉にぶつかった。いや、そう見えたが、扉へ吸い込まれるように消えていった。

「あっ、え?」

 続く九郎も扉へ吸い込まれていった。

 どうなっているのか。

「忠義様?」

 ドアから椿姫の顔だけ出てきた。遅れて九郎の顔も出てきた。

「そこ、ドア、だよな?」

「そうでございます。同じようにすり抜けることが、忠義様にもおできになります。どうぞご安心を」

「えっ」

「ほら、いいから来い。言葉で説明するのは疲れる。とっとと体験しろ」

 九郎に腕を引き込まれ、そのままドアに衝突しそうになる。目を閉じた。

「うわあああっ」

 と、叫び数歩を歩いたところで、九郎の手が離された。

「ほら、通ったぞ」

「あれ?」

 そこは通路だった。振り返るとドアがある。

「忠義様。わたくし共、守護霊は、現層の物質に関与することが叶いませぬ。ですが、生物が通る場所は、通過することが可能でございます。扉の他に、窓なども通過可能でございます」

 改めて扉に触れると、腕が突き抜けていった。抵抗もない。

 思い切って頭を突っ込んでみる。顔だけを、反対側へ出すことができた。

「おお、すごいな」

 どこかから映像を描写していたりするのだろうか。

 室内のゆりは、何事も起きていないかのように、机に向かっている。

 後ろ首を捕まれ、引っ張り戻された。

「時間がないんだって。行くぞ、忠義」

 驚きも束の間、自分の現状を認識できてきた。冗談やドッキリの類ではないのかもしれない。それとも、よっぽど特殊な演出をされているのだろうか。そんなわけがない。本当に霊となってしまったのか。足はあるのだが。

 それからは、各部屋をまわった。居室。台所。トイレ。脱衣所。浴室。寝室。物置。

「見つからんなあ」

「なあ、拠り所が見つかると、どうわかるんだ?」

「おそらく、繋がりが見えるかと存じます。細いかもしれませぬが」

「そんなもの、ないなあ」

「明らかに異質なので、絶対お気付きになるかと存じます。本霊にしか見えませぬが」

 本霊。本人ってことか。人でないから霊。そういうことか。

「あとは、外くらいか?」

「左様でございます」

 三霊で歩き始める。

 忠義は、ある疑問を持ち始めていた。それは吐き出してしまおうと思った。

「あんたら、親切なの?」

「おかしな聞き方だな。親切だぞ」

「なんで?」

「そりゃ、これから仲間になるんだろうしな」

「仲間?」

「そう、仲間」

「忠義様、わたくし共は、拠り所を悪霊から守ります。ですが、自分の拠り所だけを守っていても、その拠り所の周りが朽ちてしまっては、結果的に拠り所を守れなくなるやもしれませぬ。また、協力した方が防衛もしやすいです。そのため、他の守護霊と協力もいたします」

「だから、仲間ってことか」

 仲間というより、同盟。いや、ただの協力者と考えても良いかもしれない。

「ですが、このまま拠り所が見つからないと、仲間とはなれないかもしれませんね」

「つまり、別の何かかもしれないってこったな」

「そっか」

「害がなけりゃ、多少は面倒を見てやるよ」

「そりゃどうも」

 どこまで本気なのか。少し、投げやりな気持ちも湧いてきていた。

 突然、こんな世界に生まれ、今も受け入れられない。二霊は助ける気持ちがあるようだが、それが何になるのか。そんなことを忠義は考えた。

 玄関口にたどり着くと、ウサギがいた。僅かにぼやけて見える。近づき、撫でてみた。逃げはせず、むしろ興味を示された。手の匂いを嗅がれる。

「可愛い兎だ」

「生まれて間もない守護霊でございます。昨夜、少しやられてしまいました。いつもこの辺りにいるので、拠り所が近いのでしょう」

「守護霊は、他にもいるのかい?」

「はい、あと一霊、いらっしゃいます。他の方々は消滅してしまいました」

「なぜ?」

「悪霊に対抗できなくてな。自分の拠り所を守るだけで精一杯。守れない場所の幸は、奪われる一方なんでな。もう佐伯家を守れなくなりそうだった」

 あんたら、そんな弱いのか。冗談で言おうとした時、玄関の扉が開いた。

「あー疲れた、疲れたっと」

 女性が独り言を呟きながら入ってきた。頭の上に赤ちゃんが乗っている。

「この方が、残りの守護霊です」

「女の人?」

「いいや、乗ってる方だよ。おいら達は。んがちゃんって呼んでる」

「守護霊って、赤ちゃんじゃないか」

「馬鹿にするな。まともに意思疎通はできないが、この家で最強なんだぞ」

「はあ」

「んが、んが」

 んがんが言っているから、んがちゃんってことだろうか。手に持つガラガラと音する玩具を、忠義に向けて振っている。忠義は、口を半開きにして見送った。

「女は、さくら。佐伯さくら。ゆりの母だ」

 また、心の芯が強くなった気がした。女性に強く惹きつけられる。ゆりの時と似た、愛しさにも似た気持ちがある。

「俺、この人を守りたい」

「またかよ」

「さくら様も、んがちゃん様が憑いております」

「忠義。おまえ、女好きなだけじゃないだろうな」

「そう思えたってだけだ」

「念のためお訊きいたしますが、何かさくら様に、特別な反応はございますか?」

「いいや、何も」

「ではやはり、気のせいですね」

 軽やかに階段を降りてくる足音が聞こえた。ゆりだ。

「お母さん、おかえり。お風呂、先に入るでしょ?」

「うん、そうする」

「ご飯、用意しておくね」

「ありがと、ゆり」

 んがちゃんが、つぶらな瞳で忠義を見つめていた。物珍しいのか、現れてからずっと見られていた。手を振ると、嬉しそうな様子で、さくらの頭を叩いていた。さくらは反応しない。

「以上、四体が、ここ佐伯家に残った守護霊だな。忠義を数えれば、だが」

「多いのか少ないのか、わからないんだが」

「他の家は、多いところだと、数百からの守護霊がいる」

「はあ?」

「我が佐伯家は、風前の灯火でございます。幸は悪霊に奪われ続け、家屋や物品は、朽ち始めてございます。これで忠義様が守護霊でなかったら」

「滅びが近いな」

「そんな大げさな」

 言ったが、冗談の雰囲気ではなかった。

「それでは、外へご案内いたします」

 三霊で玄関から外へ出た。

 陽は落ちかけている。住宅街をオレンジに彩っていた。

 通りには、人が歩いている。その後ろを、ゾウが歩いていた。

「おい、こんなところにゾウが」

「守護霊だろ。別に問題ない」

 問題しか感じない。よく見れば、空に怪鳥が飛んでいるし、違和感だらけだ。ここはどこだ。そう思わざるを得なかった。

「それより、忠義。どうだ?」

 忠義は首を横に振った。そもそも何を探しているかも、よく分かっていない。

「ってことは、家屋でもないのか」

 振り返っても、家との間には、何もなかった。

「忠義様。周囲の家をご覧下さい。そして、目を凝らしてご覧下さいませ」

 目を凝らせと言われても、どう凝らすというのだ。思ったが、なんとなくぼんやりと、家並が光を発していた。

「なんか、光ってる?」

「それは、幸の全体量が、見えているのでございます。慣れますと、小物の幸も見えるようになられるでしょう」

「ほうほう。すごいな。綺麗だな」

「では、続けて、佐伯家をご覧下さい」

 言われるまま、佐伯家に目を向けた。

「暗っ」

 目を凝らすと、先程までとは違って見えた。他の家と比べ、陰りが濃かった。

「左様でございます。この家の幸は、枯渇しているのです。このままでは、家とそこで生きる物が、死んでしまいます」

「その幸ってのは、結局なんなのさ?」

「生物や物品が生きる力、とでも申しましょうか。幸がなければ、物品は朽ちてしまいます。大事にされることで、幸は溜まりますが、悪霊の好物でもございます」

 力。エネルギー。電池みたいなものだろうか。

「それより、忠義の拠り所が見つからんな」

「困りました」

「元気そうだし、そうは離れていないはずなんだが」

 九郎が忠義をまじまじと見つめて言う。なんだろう。拠り所を離れると、体調不良にでもなるというのか。

「せっかくだし、散歩でもしてみるかな」

「わたくし達は、これ以上、拠り所を離れません」

「え、そうなの?」

「もう来る頃だしな。戦わなくちゃならん」

「まぁいいや。どうせ戦えないっていうか、戦いたくない。良くしてくれたのに、力になれず、すまんね。気が向いたら戻ってくるよ」

 手を振って外扉を通過し、道路に歩き出た。どうしようか。

 しかし、敷地を出た途端、急に虚脱を感じた。立ってもいられない。へたり込んだ。指先すら動かせそうにない。そのまま地に伏した。

「どうされましたか、忠義様」

「なんか急に力が抜けて」

 声はかろうじて出る。

「とにかく、こちらへお戻り下さいませ」

「無理。うごけなひ」

 九郎と姫に、引きづられるようにして戻った。すると、虚脱もなくなった。

「あれ、治った」

 立ち上がれる。急に感じた脱力は、嘘のようになくなった。

「おまえ、まさか」

「あん?」

「足元をよく見ながら、その場で跳ねてみろ」

 さっきの虚脱が嘘のように、身体は軽い。なんともなかった。

 九郎に言われた通り、足元を見ながら飛び跳ねてみた。

「おっ、なんか光ったぞ。静電気みたいな」

 飛んで足が地を離れた瞬間、地と足を繋ぐように、青光する線が見えた。現実離れした電気の光。そんな印象だ。痛みはないが、認識したその時から熱を感じた。

 瞬間、身体中を痺れるような刺激が駆け巡った。足元から頭へ抜ける。同時に、守るべきものを知覚した。ここだ。ここが、俺の守護すべき場所だ。はっきりとした芯を心に感じる。それは紛れのない確信だった。

 忠義は、足を一度踏み鳴らした。痺れは刹那の出来事だった。触覚は元に戻り、地との繋がりをはっきり感じられる。地の熱を感じることもできた。

「それだ。すげーぞ。土地守護霊ってことじゃねーか」

「えっ、忠義様が?」

「土地守護霊?」

「土地の守護霊ってことだよ。ざっと五年ぶりだぞ。うおおおおっ」

 身体では使命を強く感じていた。しかし、それがどういうことなのか。何をするということなのか。

 九郎はちょっとした興奮を見せていたが、姫は真顔だった。

「なんだよ。わからないぞ。説明してくれよ」

「土地は、家屋や全ての物品が従属する、上位の拠り所です。土地の守護霊は、その土地で絶対的な力を持ち、土地を守護すると聞き及んでおります」

「へえ」

「古くは、広大な土地を守護したそうですが、昨今の土地は、人によって細かく区分けする考え方が定着しております。つまり、より適切な表現としましては、敷地守護霊でございましょう。他の敷地にも顕在するかと存じます」

「なるほどねえ」

 椿姫は、若そうに見えるが、九郎よりよっぽど丁寧に話してくれる。

「これで今日からの防衛は楽勝だな。忠義、頼んだぞ」

 九郎に肩を叩かれたが、やはり、何をどうするかがさっぱりだった。

「よくわからんが、俺は、ここの敷地から出られないってことね」

「うはは。出るな、出るな」

 二回三回と背中を叩かれた。その顔には、喜びが満ちていた。

「馴染めば、今のわたくし達のように、少しは離れられるかと存じます」

 九郎は、何か忠義の顕現を喜んでいるようだが、忠義自身には、そういう喜びはなかった。しかし、今理解しているこの状況を、受け入れるべきなのかもしれない。確かな使命を感じているのだ。この使命感が、真実を告げている。そうとも思えた。

 そうか。俺、死んだんだ。と忠義は思った。

 思い出せもしない事実を受け入れ始めると、暗い気持ちになった。



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