[一 十郎]
呼ばれた気がした。誰だ。
眩しい。温かい。うるさい。
随分と長く漂っていた気がするが、その揺れがおさまった。身体が重い。何も動かない。動かす必要もない。
「おーい、起きろ」
頬を触られているようだ。少しずつ感覚を得てきた。いや、これは、触られているわけではない。
「痛いわ!」
跳ね起きた。しかし、手足がうまく動かない。また倒れてしまった。
「おう、起きたか。もう夜だからね。起きないとね」
視界の中央にいるサラリーマン風の男が言う。メイドのような少女もいた。
「わたくし共の声は、聞こえますか?」
「聞こえる。けれど、ここはうるさい。そこら中で叫んでる」
叫ぶというより、悲鳴だろうか。何人もの悲嘆の声が聞こえる。自分に向けられた声ではないようだが、ひどく不愉快で耳障りだった。
「最初は、誰でも雑音みたいな声が聞こえるんだよね?」
「左様でございます。認識できない意思は、全て雑音に聴こえるのではないでしょうか。どんな雑音かまでは存じませぬが」
状況がわからない。目の前の二人は知り合いのようだ。自分は?
「俺以来の、人型だなあ」
「最近は、動物ばかりでございましたね」
目が大分慣れてきた。周囲を認識できてきた。人間は三人いるだけだ。一人の少女は、こちらに興味がなさそうだ。こちらに見向きもせず、部屋を出ていった。
「ここは、どこですか?」
明らかに年上の男に向け、質問をした。
「阿東家でございます」
しかし回答は、隣のメイド少女からだった。真面目な表情をしている。
「阿東家?」
「あなた様は、恐らく、亡くなられたのでしょう」
「え?」
よくわからない。何を言っているのか。頭がおかしい人達なのだろうか。
「そして、守護霊として、この世に顕現なさいました」
「意味がわからない」
「生前の記憶は、いずれ取り戻されるでしょう。明日か、十年後か」
「何を言っている?」
よく見ると、このメイド、可愛いなあ。
「拠り所を見つけないとね」
「その前に、わたくしは、椿姫、と申します。姫とお呼び下さいませ」
「俺は、忠義ね」
「はあ」
相変わらず、何が起きているかさっぱりだが、自己紹介をされた以上、自分も自己紹介をしようと思った。だが、自分の名前が出てこない。まるでど忘れをしてしまったかのようだ。自分の名前を忘れるなど、奇妙なこともあるものだ。
口を開け閉めし、なんとか自己紹介をしようとしたが、二人は興味がなさそうだった。それはそれで、どうなのだろう。
「もうすぐ夜でございます」
「話せるなら、拠り所を特定できそう?」
そもそも拠り所とはなんだよ、と言おうとしたところで、急に力が抜けてきた。
「それでは、探しに参りましょう」
「よし、行こう」
二人が立ち上がる。
どうにもならない虚脱状態だった。動けそうにない。喋るのも億劫だ。
「あれ、もしかして今、力が入らない?」
「は、はい」
忠義が手を叩いた。
「俺、わかったかも」
「はい、試してみましょう」
「担いで、付いてきてくれる?」
一瞬、電気のような光が見えた後、忠義が言った。次の瞬間、担ぎ上げられた。
「うわあっ。……ゴリラ?」
「そう、ゴリラのリラちゃん。メスだから、優しくね」
優しくしてほしいのはこっちだ。とても怖い。
のっそのっそとリラが歩き始める。扉が迫ってくる。
「扉、扉っ」
「はいはい」
なぜかぶつからず、通り抜けた。わけもわからず、今度は階段を下り始める。
「ぎゃああああ」
自分の足で降りない階段ほど怖いものはない。逃げようにも力は入らない。
「うるせーなあ」
「忠義様が顕現された時のことが、思い出されますね」
「過去は忘れた」
階段を降りると、カンガルーが飛び跳ねてきて、目の前で止まった。
「おう、んがちゃん。仲間かもだよ」
「んが、んが」
カンガルーの腹に、人間の赤子が入っている。なぜだ。
そもそも、なぜ、一般家庭らしき室内に、動物がこんなにいるのだろう。新しい動物園の試みだろうか。
「浴室でしょうか?」
「だね」
再び移動していく。また扉を通過した。目をつむり、扉を見ないようにした。再び目を開くと、脱衣所のようだった。誰かが浴室に入っている。
「おし、そろそろ動けるんじゃないかい?」
忠義に言われた。そんなすぐに。思ったが、手が動いた。
「あれ、動く?」
「なんか、変なのが身体から出てない? こっちの方に」
忠義が浴室を指差した。
変なのってなんだよ。思ったが、それは見えた。
「金色の糸のような」
その糸は、浴室へ向かって伸びており、中の人が動くと、合わせて揺れ動いた。
瞬間、パズルのピースがピッタリと埋まったかのように、強く使命を感じた。この人を守らなくてはならない。守りたい。それは、願いとも言えるほど、強い気持ちだった。一方で、理解しがたい気持ちの変化に、戸惑いもした。
「ゆり様でございますね。待望の生命守護霊でございます」
「だねー。よかったよかった。これでゆりは元気になるかな?」
「わかりません。様子を見てみないと」
もう本当に意味がわからない。だが、守りたい人の名前は分かった。ゆり。
「君の名前を決めよう。十郎。それが君の名前だ」
はあ?
「なんで、そんなことを、あなたに決められなければ」
「どうせ、名前を覚えてないだろ?」
「そんなわけが」
僕の名前は。名前は。なんだったろうか。やはりど忘れしている。
「ほらね。十郎で決まり。思い出したら、変えてもいいよ。とにかく、呼び名がないと不便だからさ。便宜上の呼称ってやつ」
「はあ」
「良きお名前かと存じます」
「生前の名前が分かれば、その名前を付けてあげるんだけどね」
他に九人の兄弟でもいそうな名前だ。
「では、十郎様。ご説明差し上げます」
椿姫が、何やら色々話し始めた。
にわかには信じられないが、十郎は生命守護霊というもので、先程部屋から出ていった、ゆりという女の子を守るのが、十郎の使命らしい。その使命だけは、砂に水が染み込むように理解できた。しかし、世界観については、にわかに受け入れられなかった。
しばらくすると、浴室からゆりが出てきた。
椿姫の話だと、普通の人間にはこちらが見えない。その言葉通り、少女の裸を凝視していても、何の反応も示されなかった。まるで夢の世界で、透明人間にでもなった気分だ。ただし、興奮するような感情は湧かない。
「じゃ、部屋に戻るか」
忠義が言うと、二階の部屋に向かった。
階段を上がっていると、途中で虚脱がまた始まった。落ちる。思ったが、ゴリラに受け止められ、担ぎ上げられた。
部屋に入ると、身体を転がされた。元いた部屋だ。
「ここは?」
力ない声で質問した。
「ゆり様の部屋でございます」
「そのうち戻ってくるから、ここでいいだろ」
その言葉の通り、椿姫から説明の続きを受けていると、ゆりが戻ってきた。やはり十郎に見向きもしない。身体は動くようになった。
「やっぱり、ゆりの守護霊で確定だな」
「十郎様、戦えそうですか?」
守るとか守護とかって単語が出ていたので、なんとなく予想していたが、やはり、戦う、という単語が出てきた。
「戦うっていっても、どうやって戦えば?」
「何か馴染みのある得物は、ございませんか? あれば、強く思い浮かべて下さいませ。こんな風に出てきます」
宙に出現し落ちてきた薙刀を、椿姫が掴んだ。
「おお、すごい」
「おそらく、十郎様も出来るかと存じます」
「よし、やってみる」
使命は感じつつも、まだ夢の世界のように思えていた。夢ならなんでもありだろう。武器も出てくるに違いない。剣と盾が欲しい。出てこい。
出ない。
「何か、呪文とかは?」
「と言いますと?」
「合言葉みたいな。こう言えば武器が出てくる、みたいな」
そんなことを言うと、忠義がニヤニヤしだした。気持ち悪い。
「はて? そのような言葉はございませんが」
念じ続けた。心に、かなり明確な剣と盾を思い描きもした。それでも何も出ない。都合通りにならに夢だな、と十郎は思った。
「出てこないね」
「生命守護霊で、得物を出せないと、能無しでございますね」
能無し。丁寧な口調でえぐるようなことを言ってくる。このメイド。
「本当に出るの?」
「お見せした通りでございます」
「好きなものは出せないのかな?」
「さあ。縁のある得物でないと、難しいのではないでしょうか」
「どういうこと?」
「生前、頻繁にお使いになられていた、武器などでございます」
「思い出せないんだけど?」
「記憶になくとも、縁があれば出るようです」
「もう素手でいいんじゃない? 俺と一緒だな。仲間だな!」
忠義がとても嬉しそうにしている。表情には出さなかったが、イラッとした。
「ちなみに、その戦う悪霊ってのは、どんなので?」
素手で戦えるなら、それでも構わない。夢の世界ならなんとかなるだろう。ピンチになると、眠った力でも目覚めるかもしれない。
「九郎の気持ちが分かってきた。説明が面倒くさい」
「そう、仰らずとも」
「じゃあ、姫が」
「あ、もう数時間もすれば、夜も更けますね。準備をしないとなりませぬ」
「数時間後だからね。すぐ、じゃないからね。姫は準備するようなこともないよね」
結局、色々説明はしてもらったが、やはり冗談で夢みたいな話だった。受け入れられたのは、ゆりを守るということだけだ。その気持ちも夢なのかもしれない。
「ま、段々と理解していくだろ。実体験するのが一番だ」
忠義は、十くらいは歳上に見える男だった。土地守護霊らしい。よくわからないが、すごいらしい。椿姫の説明だと、そういう印象を受けた。
椿姫は、十郎よりも数歳若く、中学生くらいの若さに見えた。物質守護霊だということだった。十郎にとっては、土地守護霊も物質守護霊も、違いがよくわからなかった。
机で勉強をしているゆりは、若く見える。女子高生くらいだろう。
納得できるゆりを守る理由が、十郎にあるわけではない。しかし、こんな可愛らしい子が、どうにかなってしまうのは、寝覚めが悪そうだ。気持ちとしても、強い使命感が湧いている。守るのはやぶさかではなかった。そういう夢だろう、とも思う。
一家には他に、ゆりの母親と義理の父親がいるらしい。その義父がゆりの部屋に入ってきた。
「ゆり、具合が悪いんだろう? 勉強なんてしてないで、休んでないと駄目だよ」
「はい、お気遣い、ありがとうございます。でも今日は、調子が良いので大丈夫です」
「油断してはいけない。何しろ過労なんだから」
「はい、わかりました」
「キリの良いところで、寝るんだよ」
「はい」
親子という風には見えなかった。作ったような表情が、ゆりの顔に出ている。
しばらくすると、忠義達が出ていき、部屋に誰もいなくなった。やることもなく、ゆりの傍でジッとしていた。とても落ち着く。
ボーッとしていると、雑音も次第に聞こえなくなっていった。無音。寂しさを感じ始めると、今度は賑わいが伝わってきた。太鼓の音と金属音が聞こえる。
扉の外の通路に出てみた。
「はーあっ、よいしょっ、よいしょっ、どっこいしょー!」
「ソレ、ソレ、ソレ、ソレ!」
「んが、んが、んが、んが!」
忠義と椿姫、んがちゃんの声以外は全て動物の鳴き声で、騒がしいとしか言いようがなかった。太鼓は、数匹のたぬきが叩いている。金属音は、猿が鍋のようなものを叩いて発している音だった。
全て守護霊なのだろうか。
「何をやっているんですか?」
「祭り囃子の演奏でございます」
「おう、十郎。動けるなら、一緒にやるか?」
演奏というより、合唱みたいなものではないだろうか。
「いえ、いいです」
「硬いなあ。姫ですら、こんなだってのに」
「こんな、とはなんですか。やらないと強制する、と忠義様が仰るから」
「あれー、そんなこと、言ったっけかなあ?」
「言いました」
床を強く踏み直して椿姫が言う。忠義は、わざとらしく首を傾げていた。
「雷線で繋がりたくなってきた、とは言ったけど」
「同じことです!」
物質守護霊は、土地守護霊に隷属しているらしい。なので、抗いがたい。十郎は生命守護霊なので、そういう強制力は発生しない。そういう話だった。この時ばかりは、ゆりの守護霊となった幸運に感謝した。誰が見ているわけでもないが、こんな恥ずかしい行進、夢でもやりたくはない。
ゆりの傍に戻り、座って過ごした。ゆりの傍が一番落ち着く。
さらに夜が更けると、忠義と椿姫は戻ってきた。ゆりは眠りについている。
「十郎様、悪霊がきました」
「自殺霊が五。浮遊霊が三百程度。因縁霊が一かニかな。外ではもう始まってる」
「えっ、今、来ているのですか?」
「うん、来てるよ。窓から顔を出してみ?」
カーテンの閉まった窓に、意を決して顔を突っ込んでみた。外が見えた。
空を覆うような数の何かが浮いている。輪郭がはっきりせず、人型の上半身は視認できる。太ももあたりから薄くなって、膝下はほとんど視認できない。
これが悪霊か。
隣の家の屋根を見ると、複数の守護霊が十郎に気が付き、呑気に手を振っていた。
室内に顔を戻した。
「すごい数なんですけど」
「だから言ってるでしょ」
忠義は落ち着いた様子だが、十郎は、同じ落ち着きを持てなかった。
「隣の霊達は、手伝ってくれないんですか?」
「基本は自衛しかしないからねぇ。自分の拠り所が第一だし」
「そんな。それじゃ、どうやって守るんですか?」
「わたくし達で防衛いたします」
椿姫も落ち着いている。状況を分かっているのだろうか。
「自殺と因縁は中に入れてしまおう。んがちゃんか、この部屋で迎撃。他の悪霊はその場でなんとかするだろう。あとは臨機応変。どうかな、姫?」
「良いかと存じます」
迎撃。それは決まっているようだ。
「何を落ち着いているんですか。逃げないと」
「ゆりを守らないのか?」
「う……。でも、数が多すぎて」
それは、そうだ。守らなくてはならない。だけど、いくらなんでも、悪霊の数が多すぎる。しかも思っていたより怖い。
「逃げたって、拠り所がやられたら死ぬ。さっき姫が言ってただろ」
「十郎様、数の多い浮遊霊は、特に問題ございません。初陣ですので、あまり無理をせずご活躍下さいませ」
「そんなことを言われても」
何が、問題ございません、だ。ご活躍下さいませ、だ。出来るわけが。
あの悪霊達を見た後では、何一つ、できる気がしない。剣と盾で戦おうとしていた自分も馬鹿だ。必要なのは、重火器だ。ガトリングガンだ。
ゆりが眠る傍で、十郎は膝を抱えた。少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
忠義が何かやっていた。何かを引き抜くような動きをすると、小さな椿姫が飛び出てきた。守護霊のようだ。
飛び出た守護霊が、さらに次の守護霊を引っ張っている。大小様々な小さな椿姫があっという間に三十体となった。そのうちの一体は、部屋の外へ出ていった。
三十近くの数が揃うと、小さな守護霊は、ゆりを覆うように整列していく。
ゆりは、重くないのだろうか。物理的に重くなくとも、気分的に重そうだ。そんなことを十郎は考えた。
「外にズーズ。中に機動戦士んがちゃんと椿ーズ。まあ、大丈夫だろう」
椿ーズ、はなんとなくわかる。ズーズ。なんだろう。訊く気にならなかった。
「その、椿ーズ、と呼ぶのは、おやめ願いたいです」
「他に代案があればいいけど」
「忠義様とゆかいな仲間達」
「却下」
「そんな」
「長いんだよ」
「三日、考えました」
「また三日後に聞こう」
忠義と椿姫は、のんびりしすぎだ。
十郎は、改めて念じ続けた。武器。
使ったことはないが、やはり銃が欲しい。手ぶらはひどく不安だ。せめて現層の物質を持てれば。そう思い試しても、ピクリとも動かないため持てなかった。
ふいに、破裂音と共に室内が明るくなり、十郎は激しく驚いた。忠義と他の守護霊達とで、電気が繋がっている。呆然と見た。バチバチと破裂音を発し続けている。
「十郎様。これは雷線です。物質守護霊は、土地守護霊と繋がると強化されます」
「あ、明るくて便利だね」
「同感でございます」
窓から何かが、室内へ入ってきた。外にいた悪霊だ。椿姫が薙刀を一閃させ、霧散させた。
すごい。見とれる格好良さだ。
次々と悪霊が侵入してくるが、椿姫が舞うように滅し続ける。
「自殺霊が二匹、上がってくる。合体しとこう」
「承知いたしました」
合体、だと?
魅惑の単語だ。何気ない様子を装いながら、二人に視線を向けた。
「椿ーズ、合体だっ」
小さな椿姫が一斉に動き出す。椿姫へ飛び込んでいった。光を纏ったかと思うと、次の瞬間には、大人の椿姫が現れた。美しい。他の言葉が出なかった。そして。
「すげえええええええ」
興奮し、叫んだ。合体。なんて甘美な響きなのか。
忠義から再び雷線が伸びると、大人椿姫に躍動感が備わった。
「上がってきたぞ」
忠義の言葉で扉を見た。呼吸にして、二つ、三つと待った。
扉から何かが入ってくる。その姿に恐怖を覚えた。汚れた少女だ。
「ほ、ほとんどゾンビじゃないかー!」
生きていれば可愛かっただろうに、怖さの方が勝る姿となってしまっている。
慌てて扉と反対側へ逃げ出した。とにかく離れたい一心で、カーテンへ飛び込む。すると、下へ落ちていった。二階であることを失念していたのだ。
地まで落下する前に、何かに捕まることが出来た。動いている。その先を見上げていくと、肉食的な生物の顔が振り返っていた。その口に、悪霊が咥えられている。噛み砕かれ、霧散した。
「恐、竜……?」
十郎が落ちた場所は、恐竜の尻尾の上だった。
これか? これをズーズと言っていたのか? んな馬鹿な。
恐竜は、十郎と目が合うと、肺腑をえぐるような唸り声をあげた。
「ラノサ様、ご近所迷惑ですよ」
頭上から椿姫の声が聞こえてきた。最初はわからなかったが、恐竜に声をかけたようだ。そんな場合か。
次の瞬間、放り出された。地面を転がる。力が入らず、うまく受け身がとれなかった。庭のようだ。
うめきながら上半身を起こすと、ゴリラの臀部が目の前にあった。
「ウホ?」
ボフッ、と屁の音が眼前から聞こえた。臭っ。
さらには、浮遊霊が迫ってきた。絶体絶命。思ったが、横から何かが飛び込んできて、浮遊霊を噛み滅した。ギロりと視線が向けられた。記憶が確かなら、虎と呼ばれる生物だ。
虎なんて冗談じゃあない!
悲鳴をあげながら、動物をかき分けるように走り、ほうほうのていで家の居間へ窓から飛び込んだ。脱力を感じているが、力を振り絞って走った。
ここでも悪霊が室内を飛んでいる。恐怖はあったが、もっと恐ろしい存在が、視界に入ってきた。
グローブを装着したカンガルーが、そこかしこを飛び跳ね、暴れている。お腹からビームも飛ばしている。いや、お腹にいる赤子の口からだ。
飛んできたビームが、十郎の髪の毛を焦がした。
「ぎゃああああああ」
こんなの、やってられるか。どれが悪霊で、悪霊じゃないかもわからない。むしろ悪霊でない存在の方が、凶暴に見えて恐ろしい。
通路へ転がり出た。階段を四つん這いで駆け上がる。
ゆりの部屋に駆け込んだ。
激しく呼吸していると、美女椿姫と目が会った。
「失念しておりました。十郎様も戦われますか? 何事も経験でございますし」
「い、いえ、結構です」
無理。無理すぎる。
すぐ近くでは、忠義も薄笑いを浮かべて十郎を眺めていた。
鬱陶しい。
「では、終わりにします」
椿姫が連続で薙刀を振ると、部屋に悪霊がいなくなった。
「下も外も終わってる」
「お疲れ様でございます」
「え、終わり?」
「左様でございます」
返事をする椿姫は、少女の姿に戻っていった。なんて残念な姿なのだろう。そんなことを考えながら、ゆりの傍で寝転んだ。しばらく動きたくない。非常に疲れた。
それにしても、夢が覚めてくれない。深く息を吐きながら思った。