[三 椿姫]
忠義が、おかしなことを始めていた。
「雷線でガルーと繋がる。で、一緒に踊ろうね、と」
忠義が変な踊りを始める。すると、同じようにガルーが踊り出す。んがちゃんが、目を輝かせてその踊りを見ていた。
「幸大根も使えば、お祭りの真似事が出来そうでしょ?」
「それは、そうかも知れませぬが」
幸大根なるものは、椿姫にとっては不明な幸だった。おそらく大根のような形をしているのだろうが、椿姫は見えたことがない。
「これは、つまり、とても面白い技能だと思う」
「なぜでしょうか?」
「雷線で繋がれば、対象を操れる。意思が伝わるって感じでさ」
「はあ、そうですか」
突然、忠義と雷線で繋がった。
「つまり、こうやって姫と繋がって、姫も踊ろう、と意識すれば」
身体が、勝手に、動く。自分の意思とは無関係に、変な踊りをしてしまう。
「ね?」
「ね、じゃございません。忠義様、お辞め下さいませ」
「どこまで自由に操れるか、確かめたい。例えば、こう、裾をめくり上げてみる」
椿姫の手が、自らの衣服の裾を掴み、徐々に持ち上げていく。素肌が露出していく。
必死に抵抗した。奪われた全神経を自分に取り戻すよう、強く意識する。すると動きは止まった。
「忠義様」
「お、抵抗するね。じゃ、もう少し線を太くしてみようか」
雷線が太くなると、身体が全く言うことを聞かなくなった。指一本、自分の意思に従ってくれない。
「忠義様っ」
「ごめんごめん。冗談だって」
と言いながらも、やめてはくれない。
雷線だ。雷線さえ消えれば。そう思った瞬間、雷線が消えた。忠義が消したようだ。
「意思も操れるか、もう少し試してみたいところだけど」
薙刀を呼び出し、忠義の鼻先に刃先を突きつけた。きつく睨みつける。
「おおふ。冗談。イッツジョーク」
「わたくしに冗談は不要です」
土地守護霊とは、なんて悪逆非道な能力を持っているのだろう。土地と物質の従属する関係とは、こういうことか。
「ほら、今までって、いつもぶっつけ本番ばっかりだったじゃん?」
「左様でございますね」
「でも、ちゃんとテストして確認しておいた方が、やっぱり安心でさ」
「それは、良い試みと存じます」
ガルーという物質守護霊が増えたが、九郎という大きな支柱のような存在は欠けてしまった。対策を講じる意味は理解できる。
とは言え、そのテストとやらの実験台にはなりたくない。この調子だと、何をやらされるか見当もつかない。
「合体も、もう少し試したいんだけど」
「ガルー様がおります」
やや罪悪感はあるが、ガルーに押し付けることにする。そのガルーは、んがちゃんと階下にいることが多い。今もそうだ。
「ガルーじゃさ、知性がないからさ。強くなっても、機転が利かないことは実験済みなんだよ。それに、んがちゃんのお気に入りだし」
「それでは」
「いざって時には、姫様にお頼み申しますよって」
嘆息するしかなかった。
「大人バージョンの姫も良かったよ?」
そんなことを言われても。大人の姿が嫌なわけではない。むしろ、椿姫自身がなれなかった成長した姿を見られたのは、なんとなく感動もある。同時に暗い気持ちも僅かに芽生えた。死なず成長していたら。そう考えてしまう。
「せめて、小さい椿姫でお願い申し上げます」
「お、諦めたね。これからは、そうするね」
九郎が消滅してからの日々は、小さなガルーが創り出されていた。これからはまた、小さい椿姫が創られるということだ。
自分が沢山創り出されるのは、ひどく複雑だった。自分自身が唯一無二でなくなったかのような感情がある。小さな椿姫が消滅すれば、自分自身が消滅したかのような気分にもなる。それが見た目だけだと、分かっていてもだ。
悪霊からの防衛は、激しさを増している。
九郎消滅直後は、分担で悩みもした。忠義を守らなくてはならない。すると、ガルーか椿姫のどちらかは、孤立してしまう。孤立すると、雷線の援護が受けられない。
結論としては、一階に忠義は不要だった。
ガルーのポケットに入った、機動型んがちゃんが、一階の全域を防衛している。固定砲台に足がついたようなものだ。侵入してきて、あの破壊神に飛び迫られる悪霊の気持ちを思うと、察するに余りある。もっとも、直接二階に侵入してきたとしても、誰に滅されるかの違いがあるだけだ。
椿姫は、傍に忠義がいる限り、負ける気がしなかった。忠義と協力することで、生命守護霊のような強さになれる。つまり、忠義を守ることが、自分を活かすことであり、ひいては拠り所の防衛につながる。
今朝、ゆりが倒れた。救急車にゆりが乗せられていくところまでは見ていたが、リュックは持っていってもらえず、ついていくことが出来なかった。心配は募ったが、さくらと共に、んがちゃんはついて行っているし、救急車の上には、守護霊が何霊か乗ってもいた。家にいるより、逆に安全かもしれない。
ゆりは、昼頃には帰ってきた。それからは、落ち着かない様子で横になっている。不安なのだろう、と思えた。さくらが部屋に来た時だけ、普段の様子を取り戻す。ゆりが不安を感じているのは、自分の守護霊の不在を、なんとなく感じているのかもしれない。
忠義を見かけないので、居間へ様子を見に行ってみると、ガルーと踊っていた。
来客の気配があった。聴こえる声からして藤枝美香だと分かった。
忠義が玄関方向を気にしている。
「藤枝美香様です。ゆり様のご学友です」
「ああ、なるほどね。その守護霊ってことか」
守護霊らしき生物が入ってきた。
「あんたら、何やってるの」
居間で踊る一霊と一頭を見た猫が言った。そう、猫だ。
「うお、猫が喋ったっ」
「別に喋っちゃいないよ」
そうだ。喋ってはいない。そう聞こえるだけだ。顕現したばかりの守護霊だと、意思は伝わってこず、雑音にしか聞こえない。
「美香様の生命守護霊で、アドリーナ様です。こちら、忠義様とガルー様です」
「ふうん。拠り所は?」
「ガルー様は不明です。忠義様は土地です」
ガルーの拠り所は不明とはいえ、おそらく鏡だろう、と忠義とは話し合っていた。本人の意思表明がない限り、確認が出来ないだけだ。
「えー、こんなのが土地守護なの? びっくりするくらい弱そうだけど?」
「実際、ご本霊は衝撃的な貧弱さでございます。討滅数も未だございません」
「おい。少しは立ててくれよ、姫」
先程の仕返しだ、と一瞥を送った。
アドリーナは周囲を見回した。んがちゃんが瞳を爛々と輝かせ、アドリーナを凝視している。その瞳は無視すると決めているようだ。ある程度以上は近付こうともしない。んがちゃんが苦手なのだろう。
「九郎はいないの?」
「先日、消滅されました」
「やっぱりそうなんだ。学校でも見なかったしね。新しいのは?」
「おりません」
「それは、まずいわね」
「ですが、どうすることも」
「そうだね。幸を溜めて、待つしかないわね」
アドリーナの言葉に、忠義が反応した。
「幸が溜まれば、生まれるの?」
「さあ。授かりものだからね」
そう言うと、アドリーナは二階へ上がっていった。初めての来訪ではないので、特に迷う様子もない。忠義と椿姫もついていった。
「なあ、姫」
「いかがなさいましたか?」
何やら思案する忠義。過去に何度か見た。新しいことを試そうとしている。
「人に幸を送る方法はないのかな?」
「申し訳ございません。わたくしは存じませぬ」
「そっかあ」
ゆりの部屋に入ると、忠義がまた変な踊りを始めた。
「これ、何をやってるの?」
同じように不思議に思ったのか、アドリーナが訊いた。
「幸を、ゆりの傍に集めているのさ」
「幸を?」
「やっぱり見えない?」
「変な踊りをしているようにしか」
「わたくしもです、忠義様」
「そっか。よく見れば、結構浮いてるんだけどね」
忠義が言うには、そこら中に幸は浮遊しているらしい。椿姫には、生命や物質に定着した幸の輪郭が見えるだけだ。
「うちの土地守護霊は、そんなこと、言ったこともないけど。幻覚じゃないの?」
「忠義様は、少し、変わっておられる方なので」
「ふうん」
「おい」
忠義は何か言いたげだったが、変な踊りを優先するようだ。
藤枝美香は、泊まっていく気配だった。
「今夜は、アドリーナ様もお泊りに?」
「美香がいるからねぇ」
「では、今夜は心強いですね」
「しかし、よくこんな少霊数で守れてるね。四霊?」
「はい、四霊です」
「生命守護霊は一霊だけでしょ?」
「今は、そうなりますね」
「結構広い家なのに、よくやってるもんだわ。うちなんて、ここより狭いマンションの部屋だけど、うちだけで五十体はいるわよ」
「羨ましいこって」
夜が更けると、ゆりと美香は、布団を並べて眠った。健やかなものだった。
アドリーナがビクンと立ち上がり、毛を逆立たせた。尻尾もピンと伸びている。
「おかしい」
「何がでございますか、アドリーナ様?」
「ザワザワする。すごいのが来そう」
動物の本能的なもので、何かを感じているのだろうか。正解を求めるように、椿姫は忠義を見た。
「よくわかるね。さすが、と言うべきなのかな。来たよ。飛んでるのが十程度。地にいるのが、うーん、これは百以上かな」
数えるような仕草をした忠義が、他人事のような様子で言った。落ち着いている。
「はあ? 多すぎでしょ」
「今夜は、少のうございますね」
椿姫は、アドリーナとは真逆の反応だった。これが慣れなのだろう。
最近の悪霊の数は、増える一方だった。それだけ幸が蓄積されている。
「守護霊側より多いとか。冗談でしょ?」
確信はしていたが、やっぱり異常なまでに、佐伯家の守護霊は少ない。佐伯家ではなく、今は阿東家か。
「冗談ではございません、アドリーナ様」
「あんたら、どんな毎日を過ごしているのよ」
「どこの家も、こんな程度なんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ。悪霊の襲来なんて、多くて数十よ」
やっぱり、そうなのか。
「羨ましく存じます」
「あー、怖くなってきた。わたしは動かないからね。美香を守るからね。悪いけど」
「かしこまりました」
「んじゃ、抜くか」
忠義が小さな守護霊を作っていく。物質から引っこ抜く動きを忠義がすると、小さな椿姫が引っ張り出されてくる。ゆりの部屋だと、三十体が限度だった。
二十匹を抜いたところで、アドリーナが目を丸くし始めた。
「ちょっと、どんだけ抜けるの?」
「え、多くないと不安でしょ?」
「うちの土地守護は、十も出せば、もうお疲れモードよ」
「忠義様は、さらに百は出されます」
「はぁぁぁあ?」
「その代わり、ご本霊は一匹も倒せないくらい、お弱いのです」
「まだ言うか」
コツン、と忠義から頭を小突かれる。全く痛くはないが、なんとなく叩かれた箇所を撫でた。
悪霊襲来まで、まだ余裕があるのか、忠義が部屋を出ていった。階下の幸大根を抜きに行ったのだろう。
椿姫は、薙刀をしごいた。刃に異常もない。
しばらくすると、忠義が戻ってきた。
「いつなりと」
「ここはアドリーナさんがいるし、数の多い下に行く?」
「かしこまりました」
「危なくなったら呼んでね。アドリーナさん」
「それはいいけど」
呼ばれなくとも、忠義が危機を察知したら、戻ってくればよい。
「じゃ、椿ーズのみんな、アドリーナの言うことをよく聞いてくれよ」
小さな守護霊達が、薙刀を掲げ、元気よく返事をする。
小さな守護霊の勢いに気圧されたのか、アドリーナが言葉を無くしていた。猫の表情は読み取れないが、初見だと、驚く気持ちはよくわかった。仲間が増えたようで嬉しい。多少の優越感もあったが、それは押し殺した。
一階に忠義と移動したが、さほど仕事はなかった。んがちゃんがガルーの前袋に入って無双している。椿姫達は、玄関から入ってくる悪霊を、撃退するだけで充分だった。
階に腰を下ろし、椿姫を眺めていた忠義が、階上を気にし始めた。
「上が苦戦しているかもしれない」
「戻りましょう」
忠義が十霊、小さな椿姫を玄関に残す。玄関以外にも小さな椿姫は駆け回っていた。
椿姫はまだ、拠り所の危機を感じてはいなかった。しかし、忠義に言われると気が急いてきて、忠義を押し急いで戻った。後ろに小さな椿姫達が、ぞろぞろと続いている。
忠義の言葉通り、アドリーナが苦戦していた。動きの速い悪霊で、アドリーナが的を絞れないでいた。せわしなく顔で追ってはいるが、飛びつけないでいる。
小さな守護霊達は、美香とゆりを、身を挺して覆っていた。二人の姿が見えない程になっている。犠牲を厭わないのであれば、有効な壁だった。ただ、ここの小さな守護霊達は、部屋の物質に宿る幸だ。あまり犠牲にはしたくない。
「忠義様」
「うん」
あとから入ってきた小さな守護霊に、雷線がつながれていく。忠義は、小さな守護霊を誘導するかのように、腕を回していた。
「はい、順次合体ねー」
一匹ずつ小さな椿姫が飛びついてきた。光を放ち、染み込むように融合した。融合した箇所から全身にさざなみが広がる。幸のさざなみだ。楽しい夢を見ているかのような心地良さだった。その夢が終わった時、忠義の言う合体とやらは終わっていた。
合体を見たアドリーナが、一目でそれとわかるほど、驚愕の表情を見せていた。猫の驚愕など、初めて見た。
「よーし、姫、綺麗だ。二十五歳くらいかなあ」
二十五歳。つまり、十歳程度、見目が成長しているということだ。
「姫、太くするよ」
「承知いたしました」
バチバチと音を立てて雷線が太くなる。力がどうしようもなく漲ってきた。
アドリーナが部屋の隅っこへ飛び逃げ、感電したかのように毛を逆立てていた。
動き回る悪霊を見た。忠義の支援を完全に受けられている状態の椿姫にとって、悪霊の動きを捉えることは容易い。狙いを定めるまでもない。無造作に薙刀を振るった。それで終わりだった。
静寂が訪れた。
「よーし、かいさーん」
小さな守護霊達が、次々と椿姫の身体から抜け出る。それぞれの拠り所へと潜り入っていく。騒々しいが、自分の一部だったかと思うと、微笑ましさも感じた。
小さな椿姫が抜け出るたびに、拠り所から離れすぎた時のような脱力がある。どこまでも衰えていく。そんな不安も感じるが耐えた。元に戻る。それだけのことだ。
最後の小さな椿姫が抜け出ていった。天井が遠くなっている。手も小さくなった。薙刀も重くなった。その薙刀は、手を離し、消した。
合体が終わったことに、少し心残りを感じていた。忠義を見ると、目を伏せて動きを止めていた。悪霊の残りがいないかを確認する時の癖だ。
今更、自ら望んで合体をしたい、とは言えない。このやり場のない気持ちを、どこに向けたら良いのか。
「なんなの?」
アドリーナが近づいてきて言った。
「何がでございましょう?」
とぼけてみせた。
「あんたら、無茶苦茶よ」
「そうかあ?」
「下はどうなったの?」
「全て終わっております」
途中で上がってきたとでも思ったのだろう。実際には、行かなくても、それほど被害はなかったはずだ。忠義の様子を見るに、悪霊は残っていないのだろう。
「藤枝家より、佐伯家の方が、安全な気がしてきた」
「おほほほほ」
口を押さえた。つい、変な笑い声を出してしまった。
もう佐伯家ではないが、訂正はしなかった。佐伯家と呼ばれる方が、しっくりする。