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幸に忠を。  作者: 夏雪あい
三章 生前の縁
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[ニ ゆり]

 身体に力が入らなかった。それでも起き上がり、顔を洗おうとすると、倒れてしまった。救急車で病院に運ばれたようで、気がつくと病室で点滴を受けていた。断片的に記憶がある。

「あなたは、娘さんにどんな生活を送らせているんですか」

 近くで誰かが声を荒げている。

「本当に申し訳ございません。よくやってくれるもので、つい」

「つい、で済ませられる程度ではありません。こんなになるまで放っておくなんて。虐待と変わりませんよ」

 傍らでは、母が医者に怒られていた。何度も頭を下げている。申し訳なさそうな様子を見せているが、そう振る舞っているだけだろうと思えた。

 何にせよ、母に嫌な思いをさせたくはない。

「先生」

「おお、目覚めたかね」

「母は、悪くありません」

 普通に喋ったつもりだったが、自分の声は、消えてしまいそうな小声だった。

「うるさくして申し訳ないね。お母様は、別室でお話をしましょう」

「あっ」

 ゆりの言葉は、聞いてはもらえないようだった。しかし、悪戯な笑顔を、さくらがこっそり向けてくれた。さくらも聞いてはいないようだ。

 静かになると、天井を見上げた。今までどれだけの患者が、この天井を見上げたのだろう。今は自分もその一人だ。

 病気なのだろうか。

「あんた、過労なんだって? その歳でまあ」

 声のした方を見ると、老婦人が同じように点滴を受けていた。

「過労なんですか?」

「先生が、そう仰ってたよ」

 過労。つまり、働き過ぎ、ということだろう。

「働いては、いないのですが」

「家事や勉強とか、頑張りすぎなんじゃないのかい?」

「そんなことは、ありません」

 確かに家事はしている。勉強もしている。しかしそれを、負担と感じたことはない。

「ちゃんと休まなきゃね」

 どうなのだろう、と自分の生活を振り返ってみた。やはり、釈然としない。

「あの、お婆ちゃんはどうして?」

「あたし? あたしゃ、ただの貧血だよ。あんたより、よっぽど元気だよ」

 本当に元気そうだ。

 しばらく話していると、さくらが戻ってきた。さくらの手が顔に触れてくる。

「どう?」

「なんともないつもりだよ」

「点滴が終わったら帰ってもいいって。入院しての検査も勧められているけど」

 さくらは、選択肢を狭めるような物言いをしばしばする。ゆりの気持ちを汲んでいるのだ。この物言いなら、検査をするべきと言われているのだろう。しかしさくらは、不要だと考えている。

「どうせ寝ているなら、お家で寝たいよ」

「じゃあ、帰ろう」

 点滴が終わると、さくらと共に病院を出た。出際も、病院の先生が、何やらさくらに言い募っていた。はいはい、と明らかに聞き流している。

 外では義父が待っていた。近くに車がある。

「大丈夫かい、ゆり」

「はい、大丈夫です、お義父さん。ご心配をおかけしました」

「今日はゆっくり休もう」

「はい」

 義父である由紀夫の運転する乗用車に乗り、三人で帰宅した。

 新しい父は優しい。きっと、さくらの良い夫だ。良い父かどうかは、判断ができない。どちらかというと、苦手だった。なぜか。考えても判然とはしなかった。

 帰宅すると、横になった。半ば無理やり、義父に寝かされた格好だ。顔を洗いたい、と訴えると、濡らしたタオルを持ってきてくれた。

 やはり、病院で寝るより、家で横になっている方が落ち着く。見たことのある天井。慣れた枕の感触。タオルケットの裏地。

 眠くはなかったので、目を閉じるだけにした。義父が何度かやってきたが、目を閉じたままやり過ごす。落ち着かないのは、義父の様子見くらいだった。

 母の気配の時だけは、扉が開かれる前から笑顔で迎えた。

「苦手?」

「何が?」

「お義父さんよ。避けてるんじゃないの?」

 おかしい。そういう素振りを、さくらに見せたつもりはない。

 さくらが布団の傍に座った。髪の毛が撫でられる。嬉しい。

「なんで分かったの?」

「あの人が、一階に戻ってくるたびに、寝てたって言うからよ。でも、あなた、寝ていた気配ないじゃない」

「お母さん、すごい」

 見られていなくても見られている。もっと気をつけなければならない。

 話題を変えよう。

「お母さん、あたし、病気なのかなあ?」

「そんなわけないでしょう」

「そうだよね。でも、なんだか、力が入らないの」

「気疲れでもしたんじゃないの?」

「えっ」

「だって、同居するようになったあたりからでしょ。ゆりが元気をなくしてきたのは」

「そうかな?」

「そうよ。ゆっくり慣れてくれればいいのよ。お母さんは、付き合いがそれなりに長いけれど、ゆりにとっては、馴染みのない男性が、突然同居するのと変わらないのだから」

「そう、かもしれないけれど」

「何にせよ、もう少し様子を見ましょ。本当はもっと早く、ゆりが気持ちの整理を出来ていないことに、気がつくべきだったけれど」

 確かに、再婚に乗り気な様子を、ゆりは見せた。さくらがゆりの心中を推し量っているのが、よくわかったからだ。自分が足かせになってはいけない。そう思った。

 しかし、一緒に暮らし始めてみると、気遣うことが色々増える。お父さん以外の人がいる。男性がいる。見られている。言われてみれば、気疲れしたかもしれない。

「様子見ても駄目だったら、どうにかするわ」

「どうにかって?」

「離婚とか?」

「そんな簡単に決められるの?」

「まっかせなさい」

 良かった。母は、ゆりの味方だ。そう思えた。でも、重荷にはなりたくない。

 ゆりの額を軽くひと叩きし、さくらが出て行こうとする。

「あ、お母さん」

「ん?」

「友達を呼んでも良い?」

「いいわよ。美香ちゃん?」

「うん」

「じゃあ、電話しちゃいなさい」

「ありがと」

 さくらから携帯電話を受け取り、友人の藤枝美香に電話をかけた。泊まりに来てくれないか、頼んでみるつもりだった。

 美香が来てくれれば、少しは気が紛れる。呼び出し音を聴きながら、どうお願いしようか考えた。



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