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ミツバの帰還  作者: 燈真
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後編2 読めば、わかるさ

「こんにちはー」

 一人きりで座り、愛想良く挨拶してくれたその女の人の首からは、「売り子」のプレートが下がっていた。視線に気づいたらしく、すみません、と軽く頭を下げられる。

「ここのヌシは今席を外していまして。しばらく戻って来ないと思うんですが……知り合いですか?」

「い、え、違います、けど……」

 声と共に気持ちがあっという間に萎んでいく。帰ってくるまで待つことも頭を過ぎったが、この会場に長居したくはない。けれど、ここに留まったら営業妨害になってしまう。逡巡と焦りとで棒立ちになってしまったその時、あの、と掛けられた声に、知らず下を向いていた顔を上げた。

「ここで、待ちます?」

 示されたのは、彼女の隣。主の帰りを待つ空席の椅子。

「……え」

「十分くらいで帰ってくると思うんですよ。私一人で暇だし。ちょっと付き合ってくれません?」

 ね? と満面の笑みと共に両手で招かれ、謎の歓迎モードに逆に断れなくなってしまう。通路に戻って机の間を抜けその女性の隣に辿り着く頃には、もう一つ「売り子」の札ができあがっていた。抜け目なさ過ぎる。

 二人並んで座り、目の前を行き交う人を眺めた。

「体調、大丈夫ですか?」

 ふと問われて、え、と声が出る。

「いやほら、初対面の人に言われるのもアレかも知れないけど、結構ひどい顔色しているから」

 それもあって招いたのだという。

「本当は救護室まで送ってあげたいんですけど、ここ離れるわけにはいかないんで」

「あぁ、いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 見ず知らずの人に気遣われるほどの顔をしているのか、私は。その事実に落ち込むあまり、つい口走っていた。

「ちょっと色々あって、この光景に絶望していた、というか」

 引かれるだろうな、と思って俯いていると、あぁ、と優しい声が降ってきた。

「なんとなくわかります、それ」

「え」

「ひどい現実ですよね、全く」

 言葉のわりに、声は明るい。思わず問うような目を向けてしまった私に、彼女は口元を緩ませた。

「私も、二年くらい前までは書いてたんですよ。でも、辞めちゃった」

「……どうしてか、聞いても良いですか」

 後ろに“彼”の佇む気配を感じながら、続きを促す。

「やっぱり、絶望しちゃったから、ですかね」

 どんなに書いても日の目を見ない。何を書いても誰の心にも響かない。この会場において、創作の世界において、自分の書いたお話なんて塵の一つでしかない。そんな物語に、一体どれほどの価値があるのだろうか。あとどのくらい頑張れば、どのくらい書けば、人が並んで買いに来るようなものができるのだろう。しかしそれでさえまだ、書店には並ばないのだ。

 その事実を並べ立て、発狂しそうになったのだという。

「そこで辛うじて我に返ったんですよ。このままでは、私は人としてダメになるんじゃないだろうかって。自分で書いたものを自分で楽しんで満足する。それができないのなら、この先書いていても苦しくなるだけだって」

 だから、思い切って手放したのだという。

「最初は本当にそれで良かったのかって自問したけど、でもやっと解放された安心感の方が大きかったんですよね。こういう場所にも、純粋に楽しんで来られるようになったし」

 ごめんなさいね、こんな場所でこんな話。そう笑う彼女に、首を横に振って答える。だって、彼女は数年後の私かもしれない。

「……後悔は、ないですか?」

 予想以上に切羽詰まったような声が出た。彼女は少し驚いて、それがねぇ、とからりと笑った。「ないんですよ、もうびっくりするくらい。よっぽど追い詰められていたみたいで、辞めてからは夢すら見ませんでした。一人くらい化けて恨めしそうな顔するかなとか思ったけど、全然。薄情だってこっちが恨めしくなりましたもん」

 思い出すように語るその顔は、純粋に懐かしんでいるようだった。綺麗に決別し、優しい過去の一つとしてアルバムに挟んでいる者の表情だった。

私は、私には、そんな表情は、できない。

「でも、たまーに、書こうかなって思う瞬間があるんです」

 その声に、引き戻される。

「どうするんですか?」

 尋ねると、彼女は机に並んだ本の表紙を撫でた。「この作者のことを思い浮かべて、諦めてます」

 これは内緒ですよ、と人差し指を口元に当てる。

「私ね、彼女にはどうあがいても勝てないと思っているんです。彼女を見ていると、つくづく思う」

 優しい声音で、優しい眼差しで、彼女はそれを口にした。

「本気を出す勇気がない時点で、私は既に誰よりも劣っていたんだって」

 ならもう、しょうがないんですよ。その声音が遠くに谺する。槍で一息に心臓を貫かれたような心地に、あぁと喘ぐ。痛い。その場で崩れ落ちてしまいそうなほど、痛くてたまらなかった。例え不審に思われても、大声で泣き喚いてしまいそうだった。

 私はそんな顔で、そんな残酷な事実を受け止められない。

「あ、来た」

 その一言で雰囲気がガラリと変わる。一人の女性がこちらを目指して小走りで駆けてくるところだった。


 どうやって家に帰ったのかは覚えていない。ただ、気がつけば西日が入りつつある部屋の中で、机を前に座り込んでいた。目の前には今日の唯一の戦利品がちょこんと一冊。

 本気を出す勇気がない時点で、既に誰よりも劣っている。

 彼女の声が蘇り、咄嗟にその本を払い落としたくなった。挙げた手を理性で押しとどめて膝の上に置き、拳になったそれを上から片手で包んで封じる。出口を失った感情が、代わりに目から溢れて手の上に落ちた。

 違った。彼女は私とは違った。きっと二年後、私はあの境地には至れない。

 気配を感じて見上げると、すぐ隣に“彼”が座ってこちらを覗き込んでいた。

「……何よ」

 ぐいぐいと袖口で涙を拭きながら答えると、ホッとしたような顔で一つ頷き、本を指さす。

「……この状態の私に、これを読めと?」

 そんな精神状態じゃないと非難するも、彼は笑みを浮かべるばかり。あぁ、そうだ。この笑みに、彼の仲間たちは皆諦める。

「……わかったわよ」

 もしも、と別れ際に売り子の彼女は言った。

 もしも、これを読んで悔しいと思えるのなら。 あなたはまだ、絶望していない、と。

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