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ミツバの帰還  作者: 燈真
3/5

後編1 目的は、まだ果たされていないから

その、イチフェス当日。海からの風に吹かれながら、待機場所の駐車場に並ぶ。入場証代わりのマガジンから、黒猫の付箋がこちらを覗いていた。

 結局、来てしまった。好きな作家さんに会える誘惑に抗えなかった。

 もちろん、葛藤はあった。正直昨晩は眠れた気がしない。いくら会場が大きく人も多いとはいえ、ひょっこり出会ってしまうのが縁というものである。昔の知り合いとどんな形で顔を合わせてしまうかもわからない。特にオフ会で三~四回会っている人には流石に顔を覚えられているだろうから、目が合えば無視するわけにもいかないだろう。出展サークルもざっと確認して、地雷になりそうな場所には極力行かないことにしたが、完全には追い切れていない。客として来ているかどうかは完全に賭けだ。加えて、お目当てに辿り着くには小説ブースにどうしても足を運ばなければならず、それだけで気が滅入る。

 けれど、仕方がないのだ。毎回出展される方ではなく、次がいつになるかはわからない。通販もあるだろうけれど、直接彼女の手から買いたいという欲求の方が勝った。要は極力周りと目を合わせず、目的だけを果たせば良いのだと、最終的にはどうにか渋る自分を納得させて、過去にオフ会で身につけていたものは一切避け、念のため髪型も変えて、行くことにした。

 誘導で列が動く。前の人の膝の裏あたりを見ながら、後についていく。階段を上って降りて、施設内を出たり入ったりして、あとどのくらいだろう、と、ふと顔を上げたとき、蛇腹になっている列の、すれ違う人と目が合った。既視感に思わず視線が固まってしまったその隙に、相手の女性の方が声をあげる。

「え、ミツバさん!?」

 口元だけに咄嗟の笑みを浮かべたまま固まる自分の腕に手を当てながら、半ば強引にこちらの列に入り込んで並び歩く。

「お久しぶりですー! 突然いなくなっちゃって、びっくりしたんですよ!? お元気ですか!?」「すみません、ちょっと、バタバタしてて」

「そーなんですね! アカウントまで消してしまわれて、寂しかったんですよー!?」

 SNSで仲良くしてもらい、オフ会でも何度かお会いしていた小説書きさん。パワフルさと賑やかさは健在で、それから入場口までの間、歩きながらひたすらにSNSの近況を教えてくれた。

 例えば、ある人のネット小説の書籍化が決定したこと。例えば、最近できた新しい賞への応募状況。例えば、先日の企画であった珍しいできごと。例えば、最近グループに入ってきた人のこと。別グループにいたころ私が苦手としていた人だ。それから、かつて共に組んでいた彼女が、他の方と新たにサークルを作ったことまで。

「次のイチフェス目指すって言ってましたよー! 今日もフォロワーさんの手伝いで来ているはずです!」

「そうなんですね」

 返答の冷ややかさに我ながらギョッとしたが、幸い彼女は気にならなかったらしい。今日はどのサークルが目当てだだの、誰々も出ているから顔を見せたら喜ぶだの、始終ニコニコとよく話す。それからふと、別に憚る人もいないのに小声で問いかけてきた。

「あの……、空のお城のアレ、続き書かないんですか?」

 一瞬、何のことを言われているかわからなかった。

「私、けっこう好きだったんですよ、あの、お兄ちゃんポジの彼」

「……イバヤですか」

 そう、その子! と明るい声が列の間を抜けていく。

「あの主人公との絡みが楽しかったんですよねー!」

 それ以上聞いていられなくて、すみません、と割って入った。

「ありがとうございます。でも、ごめんなさい、今は、ちょっと、未定で」

「そうですかー……残念です」

 係員の入場証確認の声が、生じた無言の間を覆い隠した。お話しているとあっという間ですね、なんて実のないやりとりをしながらマガジンを掲げ、通過する。

「じゃ、私こっちなんで! お互い楽しみましょうね!」

「えぇ」

 手を振って別れた瞬間、自分の顔から表情がごっそり抜け落ちたのがわかった。もし前を歩いている人が振り返ったらギョッとするくらいには、ひどい顔をしている自覚がある。

 好きだった、楽しかった。過去形の言葉たち。もはやまともに覚えられていない、名前たち。

 きっと真心だ。裏はないはず。それだけに、節々に見える忘却の欠片に打ちのめされる。わかっている。過去形で語らせたのは、紛れもなく自分自身だ。

 本当なら曲がる予定の通路を通り過ぎ、何とか端まで辿り着くと、背中をコンクリートの冷たい壁に預けてずるずると座り込んだ。壁サークルの人がこちらに目を向けたような気がするけれど、気づかないふりをして、ぼんやりと人の往来を眺める。立ち止まった瞬間を逃さず無料配布を渡す人、さっそく列ができはじめたサークル、早々に知り合いと出会えたのか盛り上がるスペース。ここからでもこんなにたくさんの机が見えるのに、これが左右に三会場分ぎっしり詰まっているのだ。そしてその上には、一人一人がゼロから生み出した物語たちが、手に取られることを夢見ながら並んでいる。

 なんて恐ろしい光景なのだろう。

 やっぱり、来るんじゃなかった。こんな場所。

 帰るべく重い腰をあげた、その時。ふと影が差したような気がして顔を上げると、目の前に“彼”がいた。

「は!?」

 思わず声を上げてしまってから、慌てて口を押さえる。再び隣から向けられた怪訝そうな視線に軽く頭を下げて詫びながら、とりあえずその場から歩き出す。チラリと横を見ると、当然という顔でついてくる彼の半分を、すれ違う人たちがすり抜けていく。

「……なんで、ここに出てくるのよ」

 小さく低い声で問いかけると、キョトンとしたまま軽く首を傾げられた。ため息をつきながら、思い当たる可能性を口にしてみる。

「あんたの生みの親……育ての親? とにかく、あんたを描いた人、来ているみたいよ。会いに行けば?」

 パチリと淡金の目を瞬いて、こちらを指さしてくる。今日はしゃべらないらしい。

「私? 行かないわよ。会うつもりないもの」

 納得したように頷くと、彼は人を避けもせず隣を歩き続ける。ますますもって訳がわからない。きょろきょろと辺りを見回し、顎に指を掛けながら机の上を眺めるその顔は、この場所に強い興味を示しているようでもあった。

「もう帰るんだけど」

 思わず訴えたその時、彼がパッとこちらを向いた。立ち止まって指さす先を、邪魔にならないように端に寄りながら追いかける。通路を四つほど挟んだ先、角から二つ目のスペースに、SNSでチェックした美しい海のポスターがあった。

「あ……」

 思わず漏れ出たその声に、彼がゆるりと微笑み、手元を指さす。抱えたままのマガジンから、黒猫の付箋がこちらを見上げている。

「……行かなきゃ」

 彼のちょいちょいと腕を引くような仕草に引かれるように、その目印へと向かった。

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