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ミツバの帰還  作者: 燈真
2/5

前編2 どうして、それを僕に言うんだい?

 それからは、同僚や先輩後輩の話を聞きながら、一般市民の生活を少しずつ真似してやってみた。

 休日はカフェで読書。パソコンがなくなった鞄はとても軽く、本屋に立ち寄りながら歩いても全然肩が痛くならなかった。漫画喫茶にも入ってみた。あんな便利な宝物庫があったのなら、もっと早く使えば良かったと心底後悔した。ウィンドウショッピングにも挑戦した。思い切ってアウトレットモールに行き、何も考えずにふらふらと歩いてみると、案外時間がすぐに過ぎていくことを知った。

 同僚とのおしゃべり、学生時代からの友だちとのカラオケ、誘われてネイルサロンにも行ってみた。自炊をしっかりしようと買った圧力鍋が思いの外優秀で、料理のバリエーションも少し増えた。実家に帰った時に母に見せたら、少しは見直されるかもしれない。夜は流行のドラマを見て、翌日の昼にその話で盛り上がってみたりもした。

 なんだ。笑い合いながら思う。

 なんだ、できるじゃん、私にも。

 創作から離れた、一般市民の生活が。

 小説なんて書かなくたって、私は普通に生きていける。


 それなのに。

 どうして今になって、こんな状態に陥っているのだろう。


「え、本当にお祓いしてもらったんですか?」

 数日後、再び先輩と同僚、後輩と共に外で昼食を取りながら、そう言えばと報告をすると、三人は一斉に目を丸くした。

「相当夢見悪かったんだ」

「私お祓いとかしてもらったことないなぁ」

「で、で、どんな感じだったんですか?」

 撮っておいた写真を見せながら説明をし、それを聞いてあぁだこうだと言っている三人の声を聞きながら、そういえばと思う。

 “彼”と天空の孤城を目指して旅をするパーティの中には、和風の女の子を入れる予定だった。ちょうどこのくらいの寺社の巫女さんのような立場だったらありかも知れない。アニメやゲームの中には忍の里や鳥居の島なんて設定もあるから、そこを参考にーー

「先輩?」

 割って入った後輩の呼び声に、引き戻される。見れば彼女だけではなく、同僚も先輩も、心なし気遣い顔でこちらを見ていた。

「ご、ごめんなさい、ちょっと、ぼーっとしてた」

「えぇ、お祓いしてもらったんだよね? ちゃんと眠れてるの?」

「あ、はい、それは大丈夫です」

「わかった、調子に乗って遅くまで本読んでたんでしょ」

「あー、なるほど。先輩、本読むの好きですもんね」

「あー、うん、ちょっと、止まらなくなっちゃって」

 すみません、と笑う裏で、愕然とする自分がいた。

 私はさっき、一体何を考えていた?

 ここにきて、まさか、あの話を進めようとしている?

 書かないと決めた、あの話を?

 ありえない。ありえるはずがない。馬鹿にも程がある。いまさら、いまさらあの地獄へ再び足を向けようとか、欠片でも考えるなんて。

 私はもう、ただの一般市民なのに。


 動揺を、帰宅まで残してしまったらしい。部屋への扉を開けた瞬間いつものように現れた“彼”は、おかえりとばかりに振りかけた手をはたと止めた。浅葱色の髪を揺らして小首を傾げる。淡い金の瞳が気遣わしげに揺れる。それが、何故か癪に障った。

「もういい加減、諦めなさいよ」

 鞄をベッドに放りながらツカツカと歩み寄り、少しだけ高いところにあるその目を睨みつける。「何回現れたって、そんな顔をしたって、私は書かないわよ。だから、さっさと諦めて消えて」

 彼の性格を考えれば、ここでショックを受けて青ざめるか、困ったように笑って肩を竦めるかのどっちかだ。

「あんたのお節介を、作者にまで使わないで。不愉快だわ」

 多少傷つけても構わない。所詮幻。所詮創られた存在。否定されれば、最終的には消えるしかない、はずだ。

 けれど、彼の表情は、予想とは遥かに異なるものだった。まるで、諦める、という言葉を、捕らえあぐねているような、ものすごく怪訝そうな顔。そして。

「どうして?」

 かつて台詞を考えるときに脳内で再生していた声で、そう言った。

 まさかしゃべると思わず硬直した作者を前に、“彼”は再び言葉を紡ぐ。

「どうして、それを僕に言うんだい?」

 これまで沈黙を保ってきた彼が話し出した理由も、問いの意図もわからぬまま、言葉の継げない私を淡い金の瞳で見下ろし、“彼”はまるで当然とばかりに、それを口にした。

「だって、諦めていないのは、僕じゃない。そうだろう?」

「……る、さい」

「諦められていないから僕がいるんだ。僕がここにいることそのものが、諦められていない証拠なんだよ、作者さん」

「うるさい!」

 今、それを、言うな。制止するより早く、宣告が下る。

「諦めていないのは、作者さんだ」

 自分の喉からヒュ、と息を呑む音がした。とっさに振り上げた手がガタガタと震えている。その手を見ても、“彼”は顔色一つ変えやしない。

「私は、もう書かないのよ……!」

 絞り出した声はおぼつかず、悲鳴のように高く掠れていた。

「もう疲れた。もうあんな、惨めな思いはしたくないの……!」

 ただただ見下ろしてくる“彼”はそれでもくゆることはない。その事実に、絶望する。耐えきれず座り込んだフローリングは、敷布ごしにもなお固かった。


 お話を考えることが好きだった。絵で、漫画で描こうとして、描けないとわかってから文章に表すことに思い至った。

 幸せなお話を書きたかった。希望のある話を、誰かの心に優しい火を灯すような、そんな物語が書きたかった。

 もはやこれは過去形でしか語れない、甘やかで愚かしい、哀れで無謀な夢だ。己に現実と限界を突きつけてしまってから、物語を綴ることに楽しみなんて見出せなくなってしまった。

 SNSで見る仲間の活躍が辛かった。自分の甘さに吐き気がして、彼らに並ぶことすら到底できないと思い知った。見ていられなくて、逃げ出した。

 本当は。

 本当はずっと、書きたかった。“彼”らの世界を、ただ、書いていたかったんだ。


 けれど、それは赦されないことだから。

 誰よりも私自身が、赦さないから。

 だから。

「消えてよ……!」

 どうか、お願いだから。

「消えてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 ぼやけた視界で見上げた“彼”は困ったように頬を掻くと、ゆっくりと透明になっていった。淡い金のブローチが光だけを残して見えなくなる。自分の身体が傾いでいくのを止められず、ベッドの端に寄りかかる。膝頭に頭を埋めて、強く抱えた。何も、考えたくなかった。


 数日後、SNSを開くなり告知が目に飛び込んできた。

 たった一人だけ、フォローして追いかけていた小説作家さん。仲間の誰ともつながっていなかったから、唯一今のアカウントにも残していた。

 その人が、今度の一次創作同人誌即売会、通称「イチフェス」に出展するというものだった。

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