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Phase.23 カイリーチの身の上

「次に聞きたいのは、あなた自身のことです」

 すかさず九王沢さんは、第二の質問に移った。さっきは彼氏に定時連絡したり、のんびりしていたのに、まるで別人になったようだ。

「わたし自身?」

 再び、不可思議な問いかけに、目を丸くしたカイリーチは自分の唇のあたりに人差し指を当てた。

「言っている意味が分からないけど。つまり…わたしのことを知りたいってこと?」

「その通りです」

 九王沢さんはいつもの天使の笑みを浮かべた。

「あなたはとても魅力のある人です。わたしが見る限りでは、人のものを盗んだ挙句、盗んだものを使って脅迫するような人には、とても見えません」

「それは、光栄ね。じゃあそれについては、ありがとう、と言わなきゃいけないかしら?」

 カイリーチは芝居がかって子供っぽく、胸を張ってみせた。

「確かに普段のわたしは、悪いことをするような人間じゃないかな。…まあ、ここはニューヨークだから駐車違反くらいはするかも知れないけど。でもきちんと税金は払っているし、投票にも行ってる。差別的な発言や不穏な社会活動もしてない。犯罪なんて論外よ」

「でも、あなたはレシピを盗んだ」

「ええ、そうね。でも、わたしは魔女だし、スウィンムーアのレシピを手に入れるのは使命でやっていることなんだから、仕方ないことよね?」

 カイリーチは悪びれずにうそぶいた。

「それに、言葉に気をつけて欲しいの。…実際に起こったことは、古い本の紙から文字が消えてしまったと言う、ただそれだけのことなんだから。法的には、わたしがレシピを盗んだと言う証拠はないし、何か方法があったとしてそれは判明しない限り、わたしがやったかどうかすら立証もできない」

「はい、実に計算されていると思います」

 しかし、九王沢さんは、もちろん引き下がる様子も見せない。

「ところでさっきのあなたの言うことに従うとするならば、あなたが目的とするレシピを盗んだ目的は、『レシピの完成』のはずです」

「その通りよ。わたしは、嘘は言ってない」

「なるほど。…でも、それは魔女のあなたがしなければいけないことでしょうか?…レシピの『完成』を望むのは、やはりプロの料理人だと、わたしは思うのですが」

 そのとき九王沢さんは目敏く、カイリーチが自分の唇に添えている人差し指を指摘した。カイリーチは何気なく自分の指を見たが、何かに気づいたのか、あっ、と声を上げそうになった。その反応で僕たちもようやく分かった。なんと傷があるのだ。

 カイリーチの人差し指にまだ少し皮が張ったばかりの、小さな切り傷。そして薄い血がにじんだ絆創膏(ばんそうこう)。幼い頃から飲食店の手伝いをやってる僕にも、身に覚えがある。お料理の失敗などでよくやってしまう包丁傷じゃないか。

「なるほど。…分かった、白状する。わたしは確かに、プロの料理人じゃないわ。でも、誤解しないで。普通の台所仕事くらいなら、ちゃんとこなせるんだから。スープも作れるの。ただ」

 そこで九王沢さんはなぜか、くすくす笑いを漏らした。

「大丈夫です。…その辺で、分かります。何をおっしゃりたいのかは」

(んん?)

 と、僕がふと思ったのは、今のやり取りだった。カイリーチがあわてて何か口走りそうになったのをなぜかこのときの九王沢さんは、留めたのだ。魔女がうっかり、何かを漏らそうとしたなら、それは僕たちにとっては、してやったりのチャンスのはずなのに。

 (どういうことなんだ…?)

 もちろん九王沢さんは沈黙を守っている。

 かくしてこの期に及んで不可解な態度を取った九王沢さんだが、後で僕と涼花はそれがくしくも真相の一端をえぐり出そうとしていたのだ、と言うことを知ることになる。このときは、九王沢さんの態度を疑問には思ったが大した話題じゃない、と思って深く考えはしなかった。その、

「カイリーチは料理が得意じゃない?」

 と、言う取るに足らない情報が。


「少し、質問を変えましょうか。あなた自身のことについて、まだ聞くべきことが残っています」

 そこで九王沢さんはさりげなく、仕切り直した。

「あなたは、日本語がとても堪能(たんのう)です。短い間ではありますがわたしたちはこうして、日本語の会話をしました。が、その間、意志の疎通について取り立てて不自由は感じませんでした」

「ざっと、見たところはそうね。…わたしが話そうとしていることを、あなたが正確に読み取っていれば、の話だけどね」

 にっこりとカイリーチは笑った。

「それは問題ないでしょう。今の会話のやりとりも、順調に出来ています。わたしが『上手』と言う言葉の代わりに使った『堪能』と言う表現や、『コミュニケーション』と言う外来日本語の代わりに使った意志の疎通、と言った言い回しにも、あなたは的確な理解を示していました。ただ単に日常会話を習得しただけでは、反応が難しいレベルだと思います」

 すかさず九王沢さんは切りこんだ。そう言えば九王沢さんもイギリスから来たのだ。母国語が、日本語じゃないが上手だと言う点は、カイリーチと同じなのだ。おっとり話しているようでいて、実に抜け目ない。

「ちなみに日本には、お仕事でいらしていたのでしょうか?」

 カイリーチは圧倒されたのか、少し言葉に詰まった。

「ええ…仕事で来た。…正確には、最初に来たのは学生のときだったんだけど、それを差し引いても五年は東京にいた」

「お仕事は、外食関係ではありませんね?」

「…製薬関係。内服薬の開発研究員だった。…けど、紙に書かれたインキを消してしまう薬の研究をしていたわけじゃないから、安心して」

「はい。その点は、こちらでも検討しましたから」

 九王沢さんは自信たっぷりに言い切る。

 確かにさっきも三人で話したがあれほどの短時間に、それもエアマットで梱包された状態からインクの文字を消し去るのは、生半可な科学技術では不可能だ。九王沢さんはこの問題に結論を出していないが、事実、どう考えているんだろう。

「これでいいかしら。わたしについてもう、聞くことはない?」

 カイリーチは九王沢さんの反応の鋭さに面喰ったものの、それほどその立場が脅かされたようには感じない。しかし九王沢さんはここでももう、聞くべきことは聞いたとばかりに質問を打ち切ってしまう。

「以上で大丈夫です。二つ目の質問を終わります」





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