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Phase.19 ふいに消えたあるはずのもの

「問題はどうやってカイリーチがレシピを盗んで、どうやってダニエルさんがそれを取り戻して、なんでカイリーチがそんなことをしようとしたか、ですよね!?」

「は、はい、そうですね…」

「ちょっ、ちょっと整理しようか」

 間違っては無いが、話が雑になっただけである。せっかく九王沢さんが一個ずつ分かりやすく書いてくれたものを、合体させてどうする。

「考えるなら、一個ずつじゃないかなあ。まず、今まで話してきた結論から言って、やっぱりレシピは正真正銘オーナーのダニエルさんがフィオナさんから譲ってもらった本から、盗まれたんだ。そっくりすり替えた、と言う話が無しなら、『どうやって』…つまり実際、五百年前のインクで書かれている文字はどんな手段で消されたのか、まず、そこから考えなくちゃいけないんじゃないかな?」

「それは…何か特殊な薬品とかで…?」

 涼花が自信なさげに、言った。ここは、九王沢さんだろう。

「一般的にインクは、アルコールなどの揮発性の薬品や牛乳などで消すことは出来ますが、消すのには時間と手間が掛かります。また紙に落としたてのインクはともかく、定着して染み込んだインクを、綺麗に消すのは、非常に難しいです。カイリーチが何らかの細工を施すチャンスが、ほんの二、三分だったとすると、現実的にはほとんど不可能に近いですね…」

 九王沢さんは残念そうに、美しい眉をひそめた。僕たちは念のため、お店のブログなどで公開されている、『盗まれた後の本』の空白のページを確かめたが、紙の表面はのっぺりとしていて、初めからそこに何も書かれてはいなかった、とでも言うようだ。

 ごく単純に考えても、インクは染みて馴染む。時間が経ったものであるほど、全く無地の状態に戻すことは難しい。真っ新にしたければ紙の繊維をほどいてもう一度、()き直すくらいしか方法はなさそうだ。

「いずれにしても、カイリーチには無理ですね…」

 また何より本は、梱包材でぐるぐる巻きにされていたのである。天地は空いていたにせよ、ページを開くことはほぼ不可能だ。ほんの二、三分で漂白作業など、出来るわけがない。

「やっぱり無理かあ…」

 やっとやる気になったのに、涼花も、かわいそうだ。何か、突破口があればいいのだが。

 僕と涼花が知恵を絞っている(悶えている?)間、九王沢さんはしきりに、スマホとお店のモバイルを操作して何かを見比べていた。

 パソコンの方にはダニエルさんからもらった、レシピを盗まれる前の動画がある。ダニエルさんが契約時にフィオナさんから送られてきたものだ。盗まれる前と後で、本の状態を比較しようと言う考えなのだろう。ううん、こっちを見るとページには、確実にチキンスープのレシピの文字が入っているが。

「ん…?」

 九王沢さんの麗しい唇から、小さな疑問符がこぼれたのはそのときだった。彼女はマウスを操作してしきりに、同じシーンをリピートしていた。見たところ、消しようがないくらいしっかりとレシピの文字が入っていると言うことしか分からないが、他にも何か発見したのだろうか。

「…スピンが…無くなりましたね…?」

 スピンとは確か、栞に使うために背表紙につけられている紐のことだ。なるほど、動画ではフィオナさんがチキンスープのレシピのページにしっかりと、そのスピンを挿しこんでいるのだが、九王沢さんのスマホに映っているレシピ本には、それが映っていない。

「別のページにあるんじゃないですか?」

「ついていないのかも、知れません」

 九王沢さんは慎重に、レシピが盗まれた本にスピンがついているかどうかを、確かめている。確かに見たところ、フィオナさんが動画を送ったときにあったはずの紐は、現在の本にはついていないように見える。

「たまたま写真では確認できないのか、それとも脱落してしまったのか…」

 九王沢さんは、人差し指を唇に当てて考え込む。その様子は恐ろしく真剣だ。

(でも、そんなことが一体なんだって言うんだ…?)

 文字が消えてしまったと言う魔法のような事態に比べれば、そんなの些細なことじゃないか。しかし九王沢さんの瞳は潤って澄み渡り、好奇心に輝いている。

「…そんなに気になります?」

「はい、とても気になりますね」

 画面から目を離さぬまま、九王沢さんは肯いた。

「…この点はダニエルさんに、はっきりと確認しないといけません」




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