1-8 雪丸は敵ね
未来のお椀にご飯をよそう縁ちゃんはこんなことを言い出した。
「短い期間とはいえ、住むのなら呼び名を改めた方がいいんじゃないですか?」
「‥‥‥マリーさん住むことになったの?」
まだ、2テンポぐらい話しが遅れている未来は放っておいて、確かに一つ同じ屋根の下に住む以上ずっと敬語だと硬いよな。
「いい考えですわね! というよりも実はわたくしは既にマリーさんの渾名を考えていたのですわ」
「呼び名を渾名にするって、いきなり距離近すぎないか?」
「仲良くすることはいいことですの」
やけに自信満々になっている雪丸を見ていると、その渾名からは嫌な予感しかしない。
というよりも既に考えているということはこの流れになることがわかっていたからか? 話しを切り出したのも雪丸からだったし、こいつ本当に見た目は天真爛漫な笑みの癖にいろいろ考えているんだな。渾名まで考えているとはな‥‥‥
そう思うと、嫌な予感は続くも止める気はしないな。
「じゃあ、聞かせてくれ」
「わたくしも早く言いたくて仕方がないのですが、まずは皆さんのがつける渾名を聞きたいですわ」
なんだ、この流れは。人の渾名をまじまじと考える会なんて恥ずかしい催しをする気か? 正気なの?
流石に縁ちゃんもそれは恥ずかしいらしく、自分と目線を合わせながらお互い苦笑いをしていた。縁ちゃんの気が進まないのなら、止めに入った方がいいと思うのだが......
「渾名って、その、二つ名みたいなものと聞きました! 是非皆さんにつけてもらいたい!......です」
渾名と聞いてかなりテンションが上がっているマリーさんを見ているとやめらるわけもなく、こうして「マリーさんの渾名を考えるの会」が始まってしまった。てか、呼び名じゃなかったの?
「渾名と言われても、兄さん何かありますか?」
「そうだね......急に言われても思いつかないな」
「意外ですね」「意外ですわね」「......意外」
と、縁ちゃんと雪丸、未来の3人が口を揃えて言った。
「そこまで意外かな!? 自分はあまり発想力が豊富な方じゃないよ」
自分がそういうと、まるで打ち合わせをしたかのように、再び声を揃えて言った。
「「「紅瑠栖 雷炎」」」
「やめろぉぉおお!! それでもお前たちは人間か!!??」
なんて奴らだ! 初対面の人を目の前にして、人の黒歴史を簡単に暴露するなんて、とんだ悪魔たちだ!
しかし、マリーさんはというと
「カッコイイ......」
と純粋な気持ちで瞳を輝かせていた。
その反応もやめてく、死にたくなるっ! 一体どこに感動したんだ......
それはそうと、何故皆知っているんだ!?......さては! と、縁ちゃんの方を見てみた。
「......てへ♡」
くそっ、可愛い! これじゃあ怒れないよ!
自分は後でこの行き場のない怒りを、おっさんに八つ当たりすることで発散することに決めた。
「コホンッ! それで、マリーさんの渾名についてだが」
無理やり話題変えるため、というよりも無理やり話題を元に戻した。
「自分は金髪っ子かな......って何?その反応は」
自分の渾名の提案を聞いた4人は呆れ気味にため息を吐いていた。この人達の仲の良さ半端ねぇな、マリーさんも既にそっち側にいるし。
「兄さんのセンスのない渾名値しない呼び名はともかく」
と言いながら、縁ちゃんは空いた皿を台所へ運んでいた。それについて行くように雪丸も後を追う。
「ここは無難にマリ、というのはどうでしょう?」
「親しみやすい......」
「確かに親しみやすいけど、安牌すぎn......」
「兄さんには言われたくありません」
「さいですかぁ〜」
きっぱりと否定され落ち込む兄。
「流石はお姉様ですわ。未来さんは何かありますかしら?」
雪丸のやつ、縁ちゃんの案で止めずに強引に自分の番まで回す気だな。
「......アンちゃん」
「「「「......えっ?」」」」
どこから出てきたか分からない「アンちゃん」に、4人とも一瞬だけ固まってしまった。
アンちゃんって、そういう意味だ? 未来の思考パターンを読んで......いや、考えないようにしよう。
「アンってどこからきたんだ?」
素直に未来に聞いてみることにした。未来は暫く自分の目を見て、そして少しだけ口端を上げた。
「??」
少しだけ不思議な静寂を置いて「......アントワネット」と答えた。
「相変わらずのマイペースですわね」
少しだけ困ったように笑う雪丸に、未来が首を傾げていた。
そして、いつの間にか2杯目を食べ終わり、自ら3杯目のおかわりをよそいに炊飯器に向かっていた。
それと交代するように縁ちゃんと雪丸は席に戻ってきた。
「それで? 雪丸の既に考えてきた最高の渾名ってやつを聞かせてもらおうか?」
ようやく順番は一番気になっていた雪丸に回ってきた。
「さりげなくハードルを上げてきましたわね......いいでしょう、これを聞いたら壁なんて簡単に無くなりますわ......クスクス」
待て、今不気味笑い方をしなかったか? あと、壁を無くすってどういうことだ? 初対面の人の壁を消すなんて、よっぽどの仲良くなるキッカケがあるか、逆に......おい、まさかっ!?
「それでは、発表しますわ!」
「兄さん? どうしてそんなに冷や汗をかいてるんですか?」
自分は昨日の夜中に玄関で起きたことを思い出していた。そして、そのせいで雪丸を止めることを忘れてしまっていたのだ。
「『Petits seins』はどうでしょう?」
と、不敵に笑う雪丸。
「ぷちさん? って何ですか、兄さん?」
「えっとな、フランス語で貧n......」
自分が説明し終える前にマリーさんは昨日の夜中みたいに、ユラっと立ち上がりゆっくりと雪丸の方を向いた。
その姿はまさにスプラッター映画の殺人鬼である、金曜日のなんちゃらに出てくるJさんに匹敵するほどの恐怖感を醸し出していた。右手に斧ではないけど、両手にお箸を握りしめていた。
「なんでそのワードを言ったんだ!?」
自分が問い詰めると、
「昨日の仕返しですわ......よくも、昨日はわたくしの前でお兄様と......」
そして、こちらも既に臨戦態勢で、右手でおたまを逆手に持ちながら腰を下ろしていた.......昨日からの腹いせかよ。
こういう時は男の自分が止めに入るのが、ライトノベルでよく見る展開なのだろうが、そんなことしたら確実に巻き込まれて死ぬ.......
これは冗談ではなく、雪丸一人でもキツイのにマリーさんも多分、雪丸と同レベルぐらいの戦闘力なのだろう。その証拠に危機感地スキルが高い未来は、いつの間にか食器ごとリビングから消えている。本当にいついなくなったんだ?
「.......壁を無くす? いいわ、それがお望みならこっちだって遠慮しないんだからっ!」
沸点をとうに超えていて、無意識に素が出ているマリーさん。
「兄さん.......」
縁ちゃんは不安そうに自分の袖を引っ張っている......なんなんだ、この可愛い生き物は? あっ、妹か。
「って、冗談を思っている場合か!?」
自分は慌てて庭に繋がるスライドドアを開けた。
「お前らぐらいの規模の喧嘩は庭でやることがこの家のルールだ! ルールを破ると夜中の縁ちゃんの部屋に放り込むぞ!」
「兄さん!」
自分の発言に縁ちゃんは抗議しようとしたが今はそれどころではない。自分の説得という名の脅しが効いたのか、二人ともポーズは臨戦状態のまま静かに庭へ向かった。その絵面はとてもシュールだった。
「大体なんですのその眼は? それが噂に聞く中二病というものかしら?」
庭に着くなり、笑顔で怒っている雪丸が早速言葉で攻撃を始めた。
「中二!? コヤツ言ってはならんことを......これはこの封印されし眼を使いし時がきたようだ。小学生ありがたく思え、我の1/3の力を見せてやろう」
そう言いながら、右手で自分の右目を覆い、左手は右肘を支えて、よくあるお年頃のポーズを取っていた。
そして、対するその小学生はというと、マリーさんが言った禁句を受けて更に笑顔にキレが増していく。どうやらこの凸凹コンビは火と油を超えた、キノコ派とタケノコ派並みに合わせたらいけないようだ。
「おほほほ、あなたは本当にわたくしの機嫌を損ねるのが上手ですわね。今すぐそのお粗末なお胸を更にへこまして、盆地にしてあげますわ」
「やれるものならやってみるがいい、その前に貴様の身の丈を我の魔力で縮め、茶碗とつまようじを持たせて川に流してやる」
「......マリーさんは一寸法師も知っているんですね」
縁ちゃんはマリーさんの日本の知識に対して、妙に感心をしていた。
そして、暫くの沈黙が続き、お互い間合いを図りつつ先に仕掛けたのは雪丸で、持ち前のスピードを生かして、大袈裟ではなく、本当に常軌を逸した速さでマリーさんの頭部へ逆手で持ったオタマを振る。
しかし、マリーさんもそれに追いついてしまうほどの動体視力を持っており、対処しながらではあるが、時々相手の急所を的確にお箸を刺していこうとする。
お互いを罵倒しながら凄まじい戦闘を繰り広げる二人に、凡人である縁ちゃんも驚いていた。
「兄さんが喧嘩を止めないということは、マリーさんもそれほどだと思っていましたが......凄いですね......」
「あぁ、俺らとはレベルが違うな......」
自分の言葉に縁ちゃんは少し首を傾げるが、二人の戦闘の音にすぐに気を取られてしまい、リビングの外をボーッと見ていた。
自分はもしものことがあってはいけないと思い、リビングのスライドドアを閉めて隔離した。
「こんなものですの? 攻撃が遅くて眠たくなってしまいますわ」
「貴様こそ、我の本気を出させたいなら、更なる力を出すがいい、ククク」
自分はマリーさんの表情を見て少しホッとした。
今まで肩身が狭い暮らしをしていて窮屈だったのだろう。家出にしろ、何にしろ、女の子が1人でいる時に弱さを見せることなんてできない。そんなことをしたら、悪い奴に付け込まれるかもしれない。
だから、窮屈で溜まったストレスを発散できる機会が出来て、今のマリーさんは心なしか気分が晴れているように見える。
「......マリー、か......なるほどね」
2人を放っておいても大丈夫だろうと思い、自分は小さな声でそう呟くと、リビングを去ることにした。
「......兄さんは嘘つきですね......」
去り際に、縁ちゃんも小さく呟いて、それは自分の耳に届いたが、一体どの言葉に対しての発言なのか分からず、自分はそれを聞かなかったことにした。