1-15 私と勇と喫茶店
というわけで、こうしてマリーを家から外に連れていくことになったわけだが、これからどうしたものか。
「んー、マリーのことを考えるとやはりあそこかな......」
自分は家に背を向けて一人、次の行き先について考えていた。
当のマリー自身はというと、家の扉を過ぎた途端に思い出したかのように、口元に手を当てだして「ごめん、ちょっと忘れものしたから」と家の中に戻って行ったのだ。かなり慌てた様子で周りの様子を伺っていたものだから、マリーの素性のこともあるし、恐らくマスクでも取りに行ったのだろう。
その行動から察するに、恐らく何者かに追われているのだろうか。
と、いろいろ考えてみたものの、どれも推測の域から出ることがなく、それよりもこの後のスケジュールについて思考を巡らせた方がいいということになった。
「......それにしても、いい天気だな。面倒くさいことに絶好のお出かけ日和となりましたか」
気温と気候ともに良好で、やはり昨日の夜とは一転しており、道草や花などは勿論のこと、この季節の代表的な季語ともなっている桜が、太陽の光に照らされて綺麗だ。
......いい日常の風景だな。
「......お、戻ってきたか」
「!」
自分が振り返って家の方を見ると、マリーが予想通りマスクをかけていて、少しだけ驚いた表情をしながら自分を見ていた。
あれ、自分なんか変なことしたかな?
「どうしたの?」
と、マリーの様子が気になり聞いてみた。
するとマリーは少しだけ考える素振りを見せていたが、すぐに普通のマリーに戻り「ううん、なんでもないわ」と軽く笑みを浮かべて、マスクと一緒にかけてきた眼鏡をクイッと上げた。
「......声をかけずに気付かれたのって、今までなかったかも......」
マリーは小声で何かを呟いていた。
「?」
自分は少し様子がおかしいマリーに首を傾げるも、気にしても仕方がないので、駅へと続く道を歩き始めた。マリーも自分の横に付き、昨日の夜に二人で歩いた道を逆方向に進んだ。
「......そういえばさ、言いたくなかったらいいんだけど」
歩き始めてから3分ぐらいが過ぎた頃に、自分は出かける前からずっと聞こうと思っていたことを口にすることにした。といっても、答えが半分以上知っている質問なので、回答が知りたいというよりも、マリー本人から口で言ってもらうことが目的なわけだが。
「うん」
マリーも「言いたくなかったら」というワードで質問の内容を少し察したのか、俯いてて表情は見えないが声のトーンが少しだけ下がったのが分かった。
かなり重い事情を聞こうとしているので、全く気が進まないのだが、マリーの事情を知っている分、聞かないわけにもいかない。
「なんで、人の家に泊めてもらわないといけなくなったの? しかも、見ず知らずの男に声をかけてまで」
「......」
マリーは自分の問いに口が噤み、少しの間無言を保っていた。しかし、自分の様子を伺うと諦めたかのように話し始めた。
「やっぱり気になるわよね......」
「あぁ」
「最初に言っとくわ、全部を話すことはできないの。これは私のためというよりは、あんた達のためだから......」
「自分たちのため......」
殺し屋の実態は一般人の自分には計り知れないだろうが、もしかして事実を伝えたら、自分たちが危ない目にあってしまう可能性があるということだろうか。ドラマとかでよくある、素性を知ったからには生かしておけない、みたいな展開になるのだろう。裏社会のことを聞くんだ。それぐらいのリスクがあることは経験上では理解している。
自分は覚悟の内だということで、黙ってマリーの話を聞くことにした。
マリーも自分の表情を見て、呆れたように口を開いた。
「おかしな人ね。昨日知り合ったばかりの女の子のために、聞くだけでもリスクが出る話を言ってほしいなんて」
「自分はおかしくないぞ。ただ、リスクリターンが苦手なだけだ」
「それ自分で言う? やっぱりおかしいわ」
マリーは小さく笑った。
「それとまぁ、マリーみたいな人は放っとけない性格になってしまったんだろうな」
「私みたいな人? そんな人いるの? 見たところ家の住人達で私と同じような性格や容姿の人なんていなかった気がするけど」
「あー、そうだな。そういうところは全員が全くって言っていいほど似てないよな。一人一人の個性が強すぎて、そのおかげで自分と未来の影が薄くなりつつあるし」
「何言ってんの。あんたも立派ではないけど個性があるじゃない。今はその本性を隠さないといけないから、凡人を演じているようだけどね」
「ごほんっ、なんのことかな?」
「あ、外ではこのことは言っちゃいけない話だったわね」
不味いな。このままだと普通に自分の黒歴史を漏らしてしまうぞ、こいつ。
「そんなことより、さっきの質問に答えてくれ」
このままだと、また自分が再起不能になりかねない話題に繋がってしまいかねない。流石に白昼堂々とあんな醜態を晒してしまうのは避けたい。
「......わかったわ」
気が付くと自分たちは駅前に着いていたらしく、その中にある喫茶店でゆっくりと話を聞くことにした。幸い、休日だったこともあり店の内外はそこそこ賑やかだったので、自分たちの声は周りの音でごまかせるようだった。
マリーはコーヒーを淹れた紙コップを指先で触りながら話してくれた。
「わたしね、フランスである仕事をしていたの。人には言えない真っ黒な仕事」
「真っ黒な仕事?」
「そう、黒くて汚い仕事をね。内容は言えないけど」
自傷気味に笑みを浮かべたマリー。
「その仕事はね、必ず人を不幸にする仕事なの。満たされるのは私のお財布だけで、恨まれることはあっても、褒められることは一切ない。孤独で、冷たく、温かいのは自分の体温だけ......」
「......」
「そんな仕事が嫌になったの。だから、逃げ出した」
話始めてから、心なしかマリーが小刻みに震えている気がした。本当に寒空の下を薄着で立ち尽くしてるように、寒さと不安感が入り混じっているようだった。
「.....いつ逃げ出したの?」
「1週間前よ。丁度住んでみたい日本に来ていたことだし、フランス内だと逃げることすらできない状態だったから、この際にと思って......最初の数日間は大変だったなぁ~。逃げても逃げても追手がついてきて、毎日夜も眠れない。お金もそんなにないから、ホテルとかの部屋を借りることもできなし」
「そうなのか......裏の仕事って報酬とかはよさそうだから、お金には困らないイメージだった」
「......そうね、そのお金を使っていれば、あんたに声をかけることもなかったわね。でも、使えないの。今あれを使ってしまったら、またあの人形みたいな私に戻ってしまいそうで......」
人形...そう口にしたマリーは、何かに恐怖するように目を瞑って下唇を噛んでいた。
その時、今日の朝に縁ちゃんから聞いた話を思い出した。
『マリーさん、昨日の夜は一睡もせずに布団に包まって震えていました。何度も震えながら掠れた声で「ごめんなさい」「そんなつもりじゃ」と言っていて、布団の中に入っていたから分かりませんが、泣いていたと思います。とても、とても辛そうにしていました......』
まだまだ聞きたいことが自分にはあったのだが、これ以上聞くと自分の心も耐えられそうにない。話の大まかなことは聞けたし、マリーが過去の自分と必死に戦っていることも分かった。
自分は話を切り上げようとした。
「マリー......ごめん、もういいよ。これ以上は話さなくても」
そう言うと、マリーは自分の表情を見て、辛そうだが笑ってくれた。
「なんであんたがそんな顔をするの。私はただ泊めてくれたから、その説明責任を果たしているだけよ」
「マリー......」
「それより、まだ聞きたいことがあるなら答えるわ」
マリーは手に持っていたコーヒーを一口飲み、自分の質問を待っていた。
「......分かった。ただ、本当に答えられないぐらいに辛くなったら言ってほしい」
「当然よ。事前に言った通り、全てには答えないんだから」
「じゃあ、さっきの話で質問なんだけど、追手はまだいるの?」
「追手はいると思うけど、今はいないと思うわ。今もそこら辺にいたら人の家に泊めてもらうことなんてしていないしね」
「そっか。それは良かったよ」
「そうね、今は安心していいわよ。仮にあんた達が危なくなりそうになったら、すぐに家を出ていくつもりだし」
自分が言った「良かった」という言葉は、自分たちの保身のためではなく、どちらかというとマリーが追われていないことに対してのことだったのだが。自分たちが危ない目に合いそうな時はその時に考えられればいいし。
「家を出ていく話は置いといて、追手についてなんだけど何人ぐらいいるの?」
「1人かな...多分」
「1人? 想像ではもっといるように感じたけど」
「んー、あまりに人数が多いと逆に邪魔になるし。それにその1人ってのが少し厄介なのよね」
「追跡が上手いとか?」
「そういうこと......全く、面倒な奴だわ」
言葉の後ろのほうは、苦汁を舐めているような顔をしていた。どうやら様子を見る限り、その追手というのはマリーの知り合いらしい。
「それはかなり大変だな。じゃあ、最後の質問......やめたくなったきっかけとかあるの?」
「......」
最後の質問に対して、マリーが答えたのは暫くの沈黙だった。
しかし、その沈黙が5分続いたところでマリーはようやく口を開いた。
「......ねぇ、アニメっていいよね」
......はい?