第六話 小さき子住まいて
(………………なんかいる)
自分がいつの間にか樹になってからかなりの日数が立った。恐らくはここが別の世界なんだろうとは思うがそれを決定づける確証は今まで得られなかった。だからここが異世界であると断定するつもりはなかった。もちろんこの大地とこの大樹、落とした果実が起こした不思議はこの大樹の体を得る前では起こりえない、前の世界とされる世界ではありえない事象だったが、だからといって確信するまでは至っていない……いや、確信したくはなかった。その気持ちが強かったのだと思う。
しかしもうそれは叶わない。自分は木の枝の根本付近にいる、樹の幹に体を預けている小さな小さな存在を見つけたからだ。まあ小さいと言ってもそもそも自分であるこの大樹と比べればなんでも小さい扱いになるとは思うが、仮に人間と比べてもまだ小さいのでは、と思う存在だ。視点自体は元々の人間であったころの体の時の視点と近いので恐らくは間違っていないはず。
その小さな存在はまず透けている。この時点で普通の人間、または生物ではないと言うのがはっきりわかる。いや、透けている生物は珍しくもないのかもしれないが、かといってそれが明確に人型である上に、着ている服も透けていて、透けている中身内臓も見えないのは変だろう。透けているということはいわゆる幽霊のようなものか、とも思うのだが木の枝に座っている時点で実体を持っているのではないかとも思うのだが確実なことを言うのは難しい。その子が何を言っても言葉が聞こえるわけでもないし、触って確認することもできないので判断しようがない。
(初めての人間との接近遭遇……と言いたいところだけど、人間じゃなさそうなんだよなあ。そもそも人間という括りなのかは疑問。あえていうなら……精霊? どっちかって言うと妖精に近い気がするな)
妖精と明確に呼称する要因はその背中に生えている虫のような羽だ。虫、というと妙に感じる……なんだろう、水晶のように? ガラスのように? 刺々しい感じじゃなく、綺麗にすらりとしている微かに丸みを帯びている感じの、なんというか、表しやすい例えが思いつかないのは知識として持っている存在、出来事に該当する明確な存在がないためだろうか。もしくは自分の記憶が記憶喪失に近い状態だからか……正確には記憶喪失ではなく、記憶への封印の方が近いのだと思う。全く何もかもを思い出せないと言うわけではないみたいだし。もっとも自分の判断である以上正確に物を言うことはできないのだけど。
(なんか黄昏てるなあ……こう、疲れているような感じというべきか。さっきからずっとこの枝に座ってるけど他のことはしないんだろうか? まあ、ここですることなんてあるとは思えないけど。そもそもどういう生き方をしてるんだろうこの子?)
妖精の生き方など自分は知らない。そもそも見たのは今日が初めてだ。
(なんかできることないかな。と言っても大樹になっている自分にできることなんて果実を放るしかないし。そもそもその果実もサイズがサイズ、仮に自分に放ったらひどいことになるし。この子が実体持ってたら潰れるわ。まあ、特に何もできることなんて…………あ、ないわけでもないか? まあそれをしたって何か得になるかって言うと疑問だけど)
なんというか、この子が何処かに行っていなくなるのも寂しい。他に誰も、人に近しい何かはまだ存在していない。たとえ声が聞こえずとも、触れずとも、見ていることを知覚されないとしても、この子が動いて何かをしているのを見られるのであれば、それだけで十分なほど嬉しいし楽しいだろう。何処か変態チックな気はするが……そういえばこの大樹、性別あるのだろうか。木の性別なんて知ったこっちゃないのだが。精神で言えば自分の精神は一応男だけど。妖精の子は……多分、女の子? 雰囲気的にそんな感じ。体は子、って言うくらいに幼児体型、一般的な人間等身の体ではないのではっきりとは言えないんだが。どっちにしてもじーっとみてるのは変態チックだと思う。
(まあ、そんなことはさておいて……住むところを用意してやろう。まあ住んでくれるかは知らないけど)
樹の洞を作ることができる、できるからなんだと言うことをやって樹の洞内に、簡単な机やいすになるような凸凹、ベッドになるような平坦な部分、水飲み場みたいな場所などを作ってみる。まあ、結局この大樹の体なので他にできることはない。あ、でもどうせなら花でも咲かせてみようか? 最近はちょっとだけ、小さく花を咲かせることもできるようになっているし。果実が作れるなら花だって咲かせられるだろう、ということで色々と試してなんとかできるようにした。そもそもこれ果実を作るよりも先にすることじゃないだろうか? まあ果実は花とは別に作れるんだけど。この花が特に受粉すると言うことはなさそうだし。一体何なんだこの花は。
ある妖精はとても大きな樹を見かけ、まるでそれに誘われるように近づいて行った。
彼女は妖精と呼ばれる自然意志の塊である存在だ。妖精とはとても力の弱い存在であり、多くの場合は彼女たちのような普通の妖精は大多数の生命体の攻撃を受けて自然意志が散らされて消滅する。ほとんどは妖精に恨みがあるなどの理由があるものではなく、うざったいなどの自分勝手な理由、ストレス発散的なものだ。妖精自身も時々自分から他の生命体にちょっかいをかけることもある。それも見つけたら攻撃される原因だろうか。
妖精は意志の存在であるため明確な実体を持たない。しかし、攻撃に乗る攻撃意思を受ければその攻撃意思によって妖精の意思が破壊される。もちろん妖精側も耐久性はある程度持つが、妖精は意志の存在としてはかなり弱いのでちょと攻撃を受けるだけで消滅する危険がある。
大樹のところに来た彼女はそんな他生物からの攻撃意思から逃げ続け、自然がないかなり遠くまで逃げ延びた先で大樹を発見した。もちろん普通は大樹の側に生物がいると考えるだろう。その危険性を理解している他の逃げてきた妖精は彼女と同じように大樹に近づくことはなかった。せっかく逃げ延びたのだから。
そうでなくとも大樹に近寄った彼女は風の性質を持つ妖精で移動がしやすい方で、他の妖精と一緒に移動することは面倒であったということもあり、別れるのにちょうどいいタイミングだったため彼女は大樹のところに一人でやってきたのであった。
そうして大樹の枝に彼女は座り、遠く、枝から見える光景に視線を向ける。妖精のような意思の存在は成長にはかなりの時間が必要になる。周囲の自然の意思を取り込み成長する存在であるからだ。そうして成長すると精霊になる。精霊になれば妖精の時のように一方的のやられるようなことにはならず、相手が多かったり多少強くても対応できるようになる。しかしそれはいつになるだろう。遠い未来、とても先の話だ。それを待つのは彼女にとって大変なことだ。妖精は弱い。
大樹のところまできても何かできるわけではない。見かけたからなんとなく寄っただけだ。これから先どうしよう、どこかに行こうかと考えていたところに彼女の側の樹にさっきはみかけなかったような穴、樹の洞が開いているのを見つける。こんなところに樹の洞があったか、と思い中を除く。妖精は興味の移り変わりが大きい。彼女の場合風という流動的な性質が高いこともあるだろう。
樹の洞の中は自然にできたとは思えないような整い方をした、小さな人間の住んでいる家のような雰囲気の場所だった。生えているものは人間の家の中にある物に似ていて、そこならば妖精でも人間の真似をして生活ができそうである。あくまで真似程度のものだったが。
しかし、そんな他では見られない光景、得られない場所。そんなところに来てしまえば興味を持つ。自分たちを殺して回る人間のように、自分も家という場所で住んでみたい。そう思う妖精は他にもいることだろう。今、そこにいるのは自分だけだ。今なら独占できる。
そう思ったかは知らないが、彼女はそこに住み着いた。それは大樹の期待した結果だっただろう。