カモミール --4--
「逃げてきました…… いいえ、逃げる途中でした」
「逃げる途中か……ふむ。お嬢さんはこの世界から逃げようとしたと」
俯いたまま小さく頷く。
「逃げ道はほかに幾らでもあるだろう。それなのにどうしてこの世界から?」
店員さんはカップを置くと手を組んだ。細くしなやかな指だった。
僕はまた一口、香りを楽しむ……余裕もなく彼女の話に集中する。
「もう嫌なんです。世界が、人が、使い物にならない自分の体が!」
「使い物に成らない体?」
「ただ玩具の様に私欲のために使われ、必要ない時は無造作に片付けられて、私は物じゃない!」
さっきまでの静けさが嘘のようだ。
無言を通して溜まった感情を一気に吐き出しているのか、彼女は続ける。
「嫌なんです!私自身が! この体が嫌です。嫌嫌嫌あぁぁぁぁ!!!」
「落ち着きなさい!!」
びくっと体が仰け反ってしまった。
テーブルを叩きにっこりと笑顔を放つ。
「良い?落ち着いて。軽く一口お茶を飲んで?」
初めて顔を上げた彼女。突然のことで驚いているのか、店員さんの笑顔が不気味だったのか、僕にはわからない。ただちょっとの間にっこりと笑う店員さんを見るとカップを手に取りゆっくりとお茶を飲んだ。
「ゆっくり、落ち着いて話してごらん?私でも力に慣れるかもしれないわ」
「はい……」
――小さい頃の話。男の子と変わらない位のやんちゃで元気の良い女の子でした。友達の多くは男の子で……性別とか特に意識していませんでした。
男の子と一緒に遊ぶ女の子。同じ位の年の子から見たらおかしいと思われますよね、当然だと思います。
だから私は苛められた。誰がとかは覚えていません。私より年上で……高学年の子だと思います。
学校の裏、植木に囲まれて見通しが悪く雨も降っていて雨音は私の声を消していました。
………
服はボロボロに破かれ太ももや足は泥と血で汚れ、真っ青にな手首と枯れ果てたのど。男の子たちが居なくなって私は泣くことも出来ず無でした。
園芸用のさび付いたシャベルの持ち手には赤いインクをぶちまけた様な私の血が合った気がします。
雨なのですぐに流れて消えました。色や、“忘れ物”は。でも私は流されることはなく、ずっと其処に居ました。
それがずっとトラウマで…… 大学で彼が出来ても体を預けることが怖かった。それでも愛していました。出来ることはがんばった。どんな形でも彼を喜ばせてあげようとがんばった。
それでも、体だけは預けられなかった。何度と吐き出した。何度も……
彼は優しかった…… やさしくて怖かった……
大丈夫だよ 君が居るだけで幸せだ 君を愛しているよ……
そんなの、始めだけはじめの数週まで。
手首を押さえつけ、口には彼の下着を詰められ……
あの時と同じ。優しかった彼はその時は、その時だけは狂気に満ちいると思えた……
優しさは全部嘘なんだって。
絶えられず彼から去ろうとしましたよ。
それは許されず、私はずっと……
「それでお嬢さんは逃げようと立ち上がった。という事かな?」
「はい……」
僕は何も居えなかった。
優しさが重い、優しさが怖い。
“元彼女”の声が頭の中でループを繰り返す。一つ一つが僕に突き刺さる。
「お茶が冷めてしまったな。入れなおそう」
店員さんがカウンターへ戻る。
彼女はまた俯き一つ、一つと悔しさと悲しさが溢れ出る。
硬く握った拳はどこへ向ければ良いのか分からず居場所を失った。




