一話:知らぬ土地
「オレは、死んだんじゃなかったのか?」
目を覚ましたロアの第一声はそれだった。
確かに自分は何万もの騎士との戦いの末に死んだはずだ。
矢は何十本も刺さり、体中は傷だらけで血まみれで荒野の真ん中で倒れていた。
だというのに今は自分以外誰も倒れていない森のようなところで倒れこんでいる。
その上見たところ受けていたはずの傷の類は一切見当たらない。
さらに黒曜石であしらった軽鎧は損傷が何一つ無い上に腰には愛剣であるタナトスが提げられたままになっている。
五体満足の状況で緑生い茂る場所に倒れているのはどういうことなのか、と冷静に考えてはいるものの思い当たる節は無い。
さっきまでの出来事が夢だったのだろうか、と思うがそんなことはありえない。
手には騎士たちを斬り捨てていった感触が残っているし魔力の残量は先ほど満身創痍だったときと何一つ変わらない。
それにあの戦いが夢であるならばいつから夢を見ていたのか。
少なくとも迫害され、ずっと追われてきていた生活は夢などではない。
そう思えるほどロアはお気楽な思考回路をしていなかった。
「あの光が関係しているのか? 何らかの召喚魔法であるというのならば説明は付くが……」
魔法についてはそれなりに知識を持っているのだが、急に光を浴びただけでどこかへ召喚されるという魔法は聞いたことが無い。
それに人を召喚するためには召喚対象の倍の魔力を持った魔術師でなければならないと聞く。
ロアの魔力を上回る魔術師など世界に十人もいるか分からない上に倍となればひとりも存在しないだろうという自信があった。
一番説明が付きやすいことを自分の持ったスペックと知識から早くも手放さなければならないことにため息をついた。
そうなると一体何が起こったのだろうか。
あの荒野に魔方陣でも敷かれていて、それが何らかの条件で発動しどこかへ転移した、と考えるべきなのかもしれない。
ただ召喚魔法にしても魔方陣の発動にしても傷まで癒えていることはおかしい。
そうして思考は振り出しに戻ったのだが、よく考えればそんなことはどうでもいいことだった。
今の自分の身はどこへ行こうとも誰かに見つかれれば脅威とされ、すぐに追っ手がやってくることには違いが無い。
傷が癒えていることは幸いだが魔力はほぼ空の状態である。
森の中に棲む魔物程度なら剣術だけでどうにでもなるだろうが、やはり大規模な戦闘は無理な状態だ。
無理はできないし、一箇所にとどまるのは追われる身としては良くない。ロアはゆっくりと立ち上がる。
立ちあがった視界で辺りを見渡すが、やはりどこかなど判断できるわけも無かった。
それならばひとまずはここはどこなのかを把握し、そして身を隠せる場所を探すのが第一だろう、とロアは考え、歩き出す。
森自体はむやみやたらに茂っているという様子は無く、どこか手入れの届いたように見える。
となると近くに人が住んでいるのだろうか。もしくは誰かの所有地なのかもしれない。
なんとか人に見つかることは避けたいが、遭遇してしまえば誰かに知らされる前に倒してしまわなければならない、とロアは覚悟を決めていた。
一歩、二歩と慎重になって歩いていく。
残り僅かな魔力で自分の気配を殺してはいるもののばったり遭遇してしまえば致し方ないだろう。
そう思いながらひときわ大きな樹木の横を通り過ぎた時だった。
不意に向こう側から何か気配がした。
人ではない。それくらいは分かる。
では一体何が現れたのだろう、と目を凝らしてみる。
「何だ……? あんな魔物、見たことが無い」
数本の木の向こうから発せられる気配の正体は奇怪な見た目の魔物だった。
一番大きな特徴はその二つの頭である。
どちらも獅子のような頭であり、その両方が別々の方向を何か探すようにキョロキョロと動かしている。
それだけでも十分奇怪なのだが、さらにその魔物には白く大きな翼が生えていた。
まるで天馬を思い起こさせるような白い翼だが、尻尾はさらに不思議なもので蛇のような細くしなる尻尾を持っている。
こんな複合的な体を持った魔物は見たことが無い。
あらゆる場所を訪れ、あらゆる魔物と戦ってきたロアだが、少なくとも自分の知識の中にこんな魔物は存在しない。
とはいったもののロアが訪れたことの無い地域はほとんどないし、世界中の魔物を記録した図鑑にもこんな魔物が載っていた記憶は無い。
もしかすると新種の魔物かもしれないが、未開の地など存在しなかった上にここは人が明らかに手入れを施した後がある森の中だ。
ならばこのような魔物は発見されていてもおかしくは無いだろう。
だがそうだとすればここは一体どこであの魔物は何なのか。
自分で考えたことだというのに余計に整理が付かなくなってしまう。
必死に考えすぎるために冷静さは欠かれていく。
そして、それが仇となった。
悠々と歩いていたはずの双頭の魔物がこちらに気づいたのだ。
しまった、と思ったときには既に遅く気配を殺すために使っていた魔法が、思考に必死になったことで集中が途切れて切れてしまっていたのだ。
普段なら絶対にしないミスにロアは驚きつつも、こう知らないことばかりでは仕方が無い、と腰に提げた愛剣を抜き放つ。
ロアが黒い刀身の長剣を構えたとほぼ同時に双頭の魔物はロアの目前まで迫っていた。
体長はかなり大きい。自分の二倍の高さはあるだろう、と冷静に相手を分析する。
間合いはおよそ六歩ぶんあいている。
グルル、と低いうなり声を上げる双頭の獣は今にも飛び掛ってきそうに見える。
ただそれをしないのはこちらが簡単にそれを許さないことを本能的に感じているからだろう。
魔物の本能というのは非常に優れている。それと同時に最も厄介なものでもある。
恐らく一瞬隙を見せればこの魔物は飛び掛ってくるだろう。
隙を見せれば、という条件が付くのなら話は簡単だ、とロアは左手に持った黒い愛剣を握りなおした。
そして次の瞬間、双頭の魔物の片方の頭は斬り落とされていた。
当然ロアの斬撃によるものである。
六歩もの間合いを瞬時に詰めた上に正確に頭を斬り落とす。離れ業に見えるがそもそも何万もの騎士を相手にして一人で殲滅させるほどの実力を持つロアにとって造作も無いことである。
悲鳴とも呻きともとれない声を上げながら反対側の頭がロアに襲い掛かる。
が、それも完全にロアは読みきっていた。
瞬時に上方へ跳躍したために頭はむなしく空を食む。
状況も把握できていない双頭の魔物の残った頭へとロアは愛剣を上から突き刺した。
「弱い、な」
初めて見た魔物だけあって慎重に戦おうと思っていたのだが思っていた以上に弱かった。
普段なら頭を斬り落とせば終わるのだが二つある分手間がかかった、とそんな程度にしか感じなかった。
魔物ならばロアとまともに対峙できるのはドラゴン程度なのだ。それには大きく劣る、と瞬時に判断したための一瞬の戦いだった。
最も、瞬時に終わらせなければ人が来る可能性が高まって困るのはロアなのだが。
魔物の血を払い、タナトスを納めるとロアは再び歩き出す。
魔物の死体の処理もしておきたいがそのために裂く魔力は残っていない。
気配を殺すための魔力を温存しておかなければ危険な場面に出会うことも多いだろう。
そして気配を殺しながら歩いていると確かに人の気配を感じた。
恐らく数はそう多くない。今でも十分対処できる数だろう。
そうならばここがどこであるかの手がかりを得なければならない、とロアは気配のするほうへ歩いていく。
すると僅かに開けたところが視界に入った。
一面にあった木はそこに限って生えておらず、僅かに草が生えている程度の広場のような場所だ。
気配を殺していることを確認し、草むらから広場を覗き見る。
そこには確かに人がいた。
女性が中心に座っており、その周りにもう一人正装をした女性がいる。
他には騎士と思われる者が数人いたが、あまり目にしない鎧の形状をしている。
ロアはそのまま気になって会話に耳を済ませることにした。
一話分は相変わらず長くは無いですが、こんな感じで投稿していくつもりです。