7、忘れてしまった彼女について
美しい真紅の瞳は、まるで宝石を見ているようだった。
少女が微笑んだなら、きっと大輪の薔薇が咲くようにその瞳は煌めくのだろう。
ぷりぷりと大変憤慨した様子の少女は、私の入れたお茶に口をつけもせず腕を組んだままだ。
ぶつぶつと呟かれる言葉は「馬鹿王子のくせに、こんなに完璧な固定結界張りやがって」とか
「才能の無駄遣い、許せない許せない…」と、どんどんその瞳はすさんでいく。
このままではいけないと私は恐る恐る聞いてみる。
「あの、どのような用事で… 」
すると少女は、今気付いたという風にはっとした表情になった。
「あぁ、ごめんなさいね。あいつがいるものだと思って、つい 」
ふふふ、と意地悪そうに微笑む少女を見て私は思わずほぅっと溜息をついてしまう。
あぁ、薔薇が咲いた。真っ赤な悪い薔薇が咲き誇っている。
美しくも悪い微笑に見とれていると、少女は詩をつむぐように語りかけきた。
「私は魔女よ。ねぇ、人魚姫。あなたは、泡になりたい?それとも、元の世界に戻りたい? 」
喋り出したと思ったら、よく分からないことを聞いてきた少女。
もしかして、人違いってやつかな?
「人魚姫って、私のことですか? 」
「ええそうよ。まぁ、人魚姫みたいに執着心バリバリで執念深いのはあっちだけど 」
人魚姫って、そんな恐ろしい昼ドラみたいな話だったけ?
童話の解釈とは人それぞれだとして、私とこの少女の読んだ人魚姫は何かが違ったのかもしれない。
一人、ぽかんとしていた私を見て、赤い少女は悲しそうな表情をした。
「そうよね、覚えていないわよね。私前に一度あなたに会っているのよ、この国で 」
寂しそうにティーカップに口をつける少女。こんな可愛い子に会っていたならば忘れるはずなんか…
「いいの、忘れてしまって当然なの。それが定理だから 」
そう言って少女は、にっこりと手を差し出してきた。
あぁ、握手を求められているんだ。
「改めて、初めまして。私はエンド。ワールズの魔女よ 」
ワールズというのは主に魔法に関するすべてを扱っている国の名前であると同時に、この世界の魔法という魔法を取り仕切る機関の名前でもある。
この機関に認定を受けることができるということは、相当な実力のものであるということである。
そんなすごい人が、どうしてここに?
「ふふふ、よくわからないって顔しているわね。そうよね、こんなわけの分からないところに監禁されていたんじゃ、外のことなんて分からないわよね 」
ふぅとため息をついた少女は、パチンと指を鳴らす。
すると、窓の外の景色が真っ白になり、次の瞬間切り替わるとジークの姿が見えた。
「ジーク!? 」
「この窓、便利な魔法鏡になってんのねー。こんな大きさの奴なんて滅多にお目にかかれないわー 」
これだから金のあるやつは…とぶつぶつボヤキながら、魔女の少女はパチン、パチンと指を鳴らしていく。
その度に、ジークに近づいていく映像。よく見るとそこは王宮のようで、難しい顔をして周囲の人と話している。
隣には、セリナ様も居て、不安そうにジークを見つめていた。
「ありゃー…もめてるわねぇ 」
「何が、あったんですか? 」
私の問いに、面白そうな表情を見せる少女。
「そういえば、あなた、好きな人はいるの? 」
「へ? 」
突然の質問。それって、今言うべきことなの?という疑問は浮かんだけど、とっさのことで思わず答えてしまう。
「好きな人…えっと、います 」
「それって、あの王子様よね 」
断定する形で言い切った少女の瞳には、この部屋に来て初めて切羽詰まったものが見えた。
そんな必死の表情をみてしまっては嘘なんてつけない。
「…はい 」
「よかったぁ。悲劇では終わらないようね 」
はぁーとほっとしたように微笑む少女。
いったい何が良かったなのか。
「じゃあ、王子様が好きなのに元の世界に戻りたいのは、さしずめ婚約者と並ぶ王子様の傍に居たくないとか、居たら迷惑になるとか、そう思ったからよね 」
「う 」
ずばり言い当てられてしまって私は言葉につまる。
結構悩んで出した結論なんですけどね。
ふふふと微笑まれて、私はますます小さくなっていく。
「ねぇ、どうせ消えるんなら、最後に伝えてしまっても良いんじゃないの? 」
「え? 」
お茶請けに出したクッキーをつまみながら少女はいたずらっぽく笑う。
「だから、伝えてしまえば良いじゃない。好きですって言ってしまいなさい 」
「でも、私なんががそんなこと言ったら、ジーク困るし… 」
そう言いながらも、違うと頭の中では分かっていた。
一番は、私自身が耐えられないからだ。
ジークに「ごめんね」って言われるのに、耐えられない、から。
そんな私を見透かして、少女は笑みを深める。
「嘘ね、あなたは拒絶されるのが怖いのよ。相手に受け入れられなかった場合を考えて怖がっているだけ。そこに相手への思いやりの類はないわ 」
さらりと本当のことを言われて、私は何も言えなくなってしまう。
そう、その通り。
私はただ怖いのだ。
あんなに優しいジークに拒絶されるのが怖い。
特別でないという決定的な現実を突きつけられるのが、恐ろしい。
黙ってうつむいてしまった私を見て、少女はあわてたように言葉を続ける。
「ごめんなさい、つい、なんかいじめたくなっちゃって…。えっと、私は大丈夫だと思うわよ。まぁ、この手の話は、当人たちの話し合いでしか解決しないし、それに 」
難しい顔をした少女が指を鳴らせば、窓はいつも通りの景色を映し出すようになった。
「均衡への予定調和も影響しているのよねぇ…。まったく、人の恋路に世界がらみで嫌がらせなんて、相変わらずバカみたいだわ 」
溜息をつくようにして呟いてから、少女は立ち上がり、うーんと背伸びをした。
そして、何をか呟きながら、どこからか取り出した杖を一振りした。
その途端、ずずずっと空間が歪みはじめ、どんどんその大きさを増していく。
「えっと、これは、大丈夫ですか!? 」
「大丈夫。此処って異世界みたいなもんだから、召喚って形でしか転送できないのよねぇ 」
歪みが人ひとり分になったところで、さらに少女が何かを呟き杖を振ると、あたりには煙が充満した。
本当に大丈夫なのだろうか、と思いながら煙の中目を凝らしていると中から、なんとノア様が現れたのだ。
私も驚いたが、ノア様はもっと驚いたようで、いつもの眉間のしわもどこへやら。
「ノノノノア様!? 」
「は? これは一体…」
久しぶりのノア様はいつも通りの魔道士の服を着ているが、どこかやつれているように見える。
しかし、少女を見るとすぐに眉間にしわを寄せ、いつも通りの不機嫌顔。
それを見て少女は嬉しそうにきゃははは!と笑い出す。
「くそっ真紅の魔女、お前か 」
「相変わらずで何より。ねぇ、異世界召喚に関する研究を開示するつもりは…ないわね。ちょっと睨まないで 」
怖い怖い、と言いながら杖をくるくると回す少女。
何が起こったのかわからない私は、説明を求めるようにノア様を見つめた。
「すがるような目でこちらを見るな、気持ち悪い。おい、魔女どうやらうまくいったのだな 」
酷い言葉を私に放つノア様は、ちらりとも私を見ようとはしない。
しかし、こんなのはいつものことだから全然平気。
それよりも、いつも通り元気に私を罵るノア様を見ることができてちょっと安心したくらいだ。
「えぇ、感謝するわ魔道士。あんたの声送りを辿って、ここまで入り込むことができたの。まったく、あんたの主は本当に性質悪いわ。空間切断の固定結界なんて大層なもの…。ここは文字通り、異空間の檻ね 」
「やはりそうか、その女を守るには狭間に置くしかないからな 」
わからない言葉が飛び交うから、私はただ聞いていることしかできない。
「いやん、怖いわねぇ。ものすごい執着だと思わない 」
「うるさい、ただ一つの愛を真剣に貫いておられるだけだ!! 」
よく分からない話は続いているようで、私はただおいてぼりである。
仕方がないから、ノア様の分のお茶を入れようと私はその場を離れようとする、と
「ねぇ、彼は『王子様』をやめちゃうわよ 」
「は? 」
サラリと唐突に呟かれた言葉は、意味がよく分からない。
そんな私を置いてけぼりにして、魔女の少女はさらに言葉を続ける。
「あなたは、また消えてしまうの? 」
そう言って、寂しげな瞳をする少女を、遠い昔にどこかで見たような気がした。