6、開いてしまった扉について
それは、世界の掟。
この世界の神が定めた絶対の理。
世界の守りであり、同時に呪いでもあるソレからは、誰も逃げられないと
悲しそうな瞳で、魔女は語った。
幸せな記憶を反芻しながら、私は今日はまだジークが来ないなぁと目を閉じる。
その時、ザァっと雑音が耳に届いた。
テレビの砂嵐のような音。だけど、この部屋にテレビなんてあるはずがない。
部屋中を見渡しても異変なんてあるはずもなく、首をかしげるとまた雑音がした。
「お…おぃ…きこ…え…へんじを… 」
聞き覚えのある声。この声は、もしかして。
私は急いで、うろ覚えながら手で印を結んだ。そして、必死で音に集中する。
これは確か、ずっと前にノア様に教えてもらった「声送り」という魔法の一種だ。
私みたいに魔力がほとんど無い者でも、印を結んで集中すれば相手の声を受け取ることができるという簡単な魔法。
かすかな音に集中していくと、雑音はだんだん消えていき相手の声がよく聞こえてくるようなってきた。
『おい、聞こえたら返事をしろ。ただし、近くに王子がいない場合のみだ。近くに王子がいるならば、絶対に返事をするな。応答もいらん!! 』
「大丈夫ですよ、ノア様。ジークはいません 」
私の応答に驚いたのか、「うお」なんて情けない声を出している。
そんな声が面白くて思わず笑ってしまった。
『お前…今の状態がわかっているのか。よく笑っていられるものだな 』
「だって、ノア様がそんな声だすなんて、めったにないですよね。だから、驚いちゃって、つい 」
はぁ、と大きく溜息をつかれたのが聞こえる。
『元気そうだな。お前のおかげでこちらは軟禁状態なんだぞ 』
「それは、すみませんでした。でも、ノア様だってジークに全て教えていたんでしょ 」
責めるように言い返せば、「は?」と困惑したような声が返ってきた。
『…王子が、そうおっしゃったのか 』
「えぇ、ジークがしっかりと教えてくれました!! 」
どうだ!とばかりに言えば、しばらく無言が続いた。なんだ不気味な無言だなぁ。
『 くそ。お前さえ、覚えていれば… 』
悲痛な響きを含んだ言葉に、私は何も答えることができない。
「それは、いったいどういう意味で 」
言葉を続けようとしてズキンと軽い頭痛。それと共に、水中の映像が頭に浮かぶ。
ふわふわと漂う金色の光
泡が浮かぶ中、碧い瞳はやわらかに微笑んで
伸ばされる手は、しっかりと私の手を握る。
それは、
それは愛しい――、
『思い出せとはいわん。ソレは、世界を守るための秩序であり呪いだ。誰も逃れられん 』
「呪い…ですか? 」
呪いとは、束縛であり制約のようなものであると聞いている。
そんな物騒なものを、私はかけられた覚えはないのだけど。
『お前は、この世界に来るのは初めてじゃ…ない…ぞ 』
「え?ちょっと、それってどういう、あ、ノア様!!ノア様!! 」
雑音がひどくなり声が消される。そのうちに、いくら呼びかけても返事はなくなってしまった。
こんなこと今までなかった。もしかしたら、この部屋のせいなのかもしれない。
私は今、罰を受けている身である。そして、この部屋はどんなに住み心地がよくとも牢なのだ。
声送りを防ぐ結界があったとしてもおかしくはない。
「初めてじゃないって、言ったわよね… 」
ノア様の言葉に、私は狼狽えて部屋中をウロウロする。
初めてじゃない?ということは、前に来ている、と?
そんなはずはない。私は初めてこの国に来たはずだ。
だって、来たことがあるなら覚えているだろう。
私はこのゼガールをラカを初めて見た。
ジークにも初めて会った。
……あれ?
初めて会った時、城の噴水の深いところからジークをなんとか引っぱって地上に上がった。
その時、ジークはなんて言って私を迎えてくれた?
「大丈夫ですか? てか、ここどこなの?私、水たまりに落ちたんだけど! 」
「ごほっごほ…ありが、とう 」
「すごい、あなた外人さんなのに日本語わかるの。あ、ちょっと無理に起きたら、 」
「やっと…だ。 …もう、はなさ、な い 」
「ちょっと、何言って、あああ倒れたっ! 」
その時は、誰かと間違っているんだと思った。
切なさと愛おしさの入り混じった表情で私の手をつかむジークの態度は、初対面の私に対するものではななかったから。
でも、違ったとしたら。もしも、前に会っていたとしたら。
だとしたら、ジークの言葉もわかる気がする。
でも、私たちは前に会っているのだろうか?
ジークに会っていたとしたら忘れられるはずなんてない。
うーん、うーん、と悩んでいると扉が開く音がした。
この部屋に入れるのはただ一人だけであるから、ジークが来たんだ!と振り返ると、そこには、黒ずくめの少女が立っていた。
全身を黒で埋め尽くした少女は、印象的な真紅の瞳に美しい容姿をしていた。
黒ずくめでさえなければ、どこかの国のお姫様のような気品を漂わせた少女。
そんな少女が、私を見ると表情を歪ませた。
そして、我慢ならないというように大声で叫んだ。
「見つけた!!もう、本当にあの馬鹿は変わってないんだから!! 」
少女は、全身に怒気を孕みながら部屋に入ってきてソファにドスンと座った。
そんな少女の勢いに押された私は、メイドとしてのくせで紅茶を入れようと食器棚に走ったのだった。