4、意地の悪い彼について
落ちていく水の中、キラキラと金色の髪が光っている。
碧い瞳は悲しそうに歪み、必死に手が伸ばされる。
ごめんね。
今の私では、その手を掴めない。
でも、泡になっても傍にいるから。
だから、どうか泣かないで。
ぱちっと目を開けると、いつもの天井でなくてビックリする。あぁ、そうか私は今謹慎中の身だっけ。
むくりと体を起こす。さっきまで見ていた何か。
一体、なんの夢だろう。思い出そうとすると、苦しくて切なくて涙が出そうになる。
うーん…と、この不思議な感じに戸惑っていると、後ろから声がした。
「どうしたの?」
「きゃ!」
びっくりして振り向けば、笑顔のジークが居た。後ろのテーブルには食事の用意がされている。
あぁ、朝ごはんを持ってきてくれたのか。
「びっくりしたぁ。ジーク、おはよー 」
「うん、おはよう 」
そう言って、ジークは当たり前のようにキスをしようとするものだから、びっくりして飛びのいた。
「ななななななに!? 」
「挨拶だよ 」
仕方ないなぁとでも言いたそうに私の頭を撫でるジーク。うぅ、起き掛けのごわごわ頭には、あまり触って欲しくないんだけど。
「あんまり心臓によくない挨拶だ、ね 」
「そうかな、続けていれば慣れちゃうよ 」
「慣れません! 」
恐ろしいことをさらりと告げる王子様に私は思わず反論する。
昨日もそうだったけど、ジークと私の感覚は違っているのかもしれない。
それも、決定的に。
赤い顔を隠しながら、食事が整えられたテーブルへ向かう。
メイドの誰かが用意してくれたのだろうか。なんだか、いつもと並べ方が違う気がする。
というか、ちょっと、これは、
「並べ方が、変だ… 」
「あぁ、やっぱり分かるんだ 」
面白そうにニヤニヤしながらソファーに座るジーク。促されて私も隣に座る。
「いつもの通りにはいかないね 」
「…もしかして、ジークがテーブルセットしたの?」
恐る恐る聞いてみれば、満面の笑みで頷くジーク。なんてことだ!
王子が、いやもうすぐ王になる人にテーブルセットをさせるなんて怒られちゃう。
「メイドさんたちにお願いすればいいでしょう 」
「うーん、この部屋に俺以外はいれたくないから 」
「じゃあ、私が用意したのに… 」
「いや、マナのご飯を俺が用意したかったんだ 」
一瞬、どこから反論したらよいのかわからなくなった。
王族としての自覚をしっかりと持つべきだし、私なんかに気を使わなくてもいいのに。
でも、嬉しそうなジークを見ていると、そんな言葉は胸の中で消えてしまった。
「…ありがとう、ジーク 」
「どういたしまして。マナのその言葉を聞けただけで、とても嬉しい 」
私の心臓を壊しそうな優しく甘い言葉に、やっとの思いで小さく頷く。
なんて返事をしたらいいのかなんてわからないから、必死で目の前のご飯に手を伸ばした。
はむはむと美味しい朝食を食べながら、私はふと気が付いたことをジークに聞いてみた。
「そういえば、ノア様は元気にしている…? 」
私に協力するとか言いながら、しっかりとジークに情報を流していたノア様。
裏切ったという表現は正しくないだろう。ノア様の主は最初から最後まで王子であるジークであった。
だから、ノア様は己の立場からして正しいことをしていた。
だけど今だけは言わせて欲しい。
裏切り者め!!
「ちょっと謹慎してもらっている。けど、元々ノアは研究室に篭っていたから、いつもと変わらず実験三昧みたいだ。心配? 」
「うん。私のわがままにつき合わせて、色々と迷惑をかけちゃったからね 」
今回の事で宮廷魔道士長という地位を脅かすことになってしまったかもしれない。
もちろん、そのことを考えなかったわけでもないし、ノア様も分かっていたはずだ。
それでもやっぱり申し訳ないと思ってしまう。
「マナは優しいね。ノアなんてマナのことを気にもせず、実験ばかりしているよ 」
「ううん、ノア様は優しいよ。無理を言った私に、一晩中お説教してくれるほど心配してくれたんだから 」
一晩中お説教なんて、相手のことを少なからず思っていなければできないことだ。
なんだかんだ言って私のお願いを聞いて、元の世界に戻る方法を考えてくれたノア様には感謝しなきゃいけない。
照れたように笑う私を見て、ジークは不機嫌そうにため息を一つ。
「でも、最終的にノアは君を裏切った。大切な君を切り捨てたんだ 」
冷たく呟かれたその言葉に、私はなんだか悲しくなった。
ノア様にとって、ジークはもっとも尊く大切な存在である。
それこそ、私なんかとは比べ物にならないほどに重要な人。だからノア様が私よりジークを選ぶなんて当たり前のことだ。
そんな当たり前のことをジークがわかっていてくれないなんて、なんだかノア様が可哀想に思えてしまった。
大切な思いが伝わらないのは切ないなと思うと同時に、どうして気が付かないのってジークに対して憤りも感じる。
「ちがうよ、ノア様はジークを大切に思うからこそ、当たり前のことをしたんだよ 」
思わず責めるような冷たい声色になって、はっとした。
一番悪い私がこんなことを言える立場ではない。
でも、ジークにはノア様の気持ち悪いほどの忠誠心をわかって欲しいのだ。
「本当に、マナは… 」
クっと微笑むジークの笑みはいつもと違って歪んでいる。まるで、嫌なものを見ているかのような表情。
私のさっきの言い方で気分を悪くしてしまったのだろう。ジークのこんな表情は初めて見る。
いけない、すぐ謝らなくちゃ。
「あの、…ごめん、なさい 」
「なにが?」
いつもどおりの笑顔をつくったジークだけど、やっぱり目はどこか怖いまま。
どうしたら許してもらえるのだろうと狼狽える私を見て、だんだん笑顔もなくなっていく。
そして、無表情に近い表情になったジークは、はぁと溜息を一つ。
「ねぇ、それよりも、自分の心配をしてごらん。マナは罪を犯して『此処』に入っているんだよ。昨日、仕事がどうとかいっていたけど、もうメイドの仕事はできないよ 」
ささやく様に呟かれた言葉は、私の心に重く沈んだ。
お城を出た後の生活。それを考えるのは正直、辛い。
私はここを出たら元の世界に帰るから、メイドの仕事がもうできないならそれで良い。
むしろ、引継ぎとかいろいろ面倒なことしなくてラッキーなくらいだ。
だけど、ジークに会えなくなると思うと、やっぱり寂しくて悲しくなってしまう自分がいる。
きっと、出会う前と同じ生活には、戻れないだろう。
「そうだね、同じ生活は送れないよね。…お城を離れてジークと会えなくなるのは、やっぱり寂しい 」
思わず本音が零れて、ついでに涙も出そうになって急いでうつむいた。
そんな私の頭に手が触れる。優しく撫でてくれる手は、私を慰めてくれているようだ。
「…ごめん。ちょっと意地悪を言いすぎた。大丈夫、マナはいつでも俺に会えるよ 」
顔を上げれば、申し訳なさそうに微笑むジーク。
いつも通りのその表情は、私をとても安心させると同時に、どうしようもなく泣き出したい気持ちにもさせた。
王子様の優しさは、いつも私を嬉しくさせて苦しめるんだ。