21、泡になっても
光がおさまり、庭はまた静寂を取り戻す。
マナは座り込んで、ただ静かに泣いていた。
それを見て、ノアもエンドも、そしてジークも困惑した表情を浮かべて立っている。
一人、ファウストと呼ばれた少年だけが、ただ嬉しそうにエンドの手を握って笑っていたが、すぐに我に返ったエンドに振り払われた。
「けちーっ!! これくらいいじゃん 」
「うるさい!! ねぇ、大丈夫? 」
エンドが声をかけて、マナはようやくそちらを向いた。光を取り戻した瞳は、懐かしい顔を見て微笑んだ。
「…エンドさん、なのね 」
立ち上がったマナは、迷うことなく目的の相手へ向かう。
いつからか、王子様が欲しかったわけじゃない。
彼に会った時から、私はただ彼だけが欲しかった。
ただ漠然と王子様を思っていたんじゃない。
ただ彼の幸せだけを願っていただけなんだ。
失われていたものを取り戻した今、私は私の願いを、望みを、はっきりと自覚した。
私は、彼と一緒に生きて、そして笑って泡になってやろう。
泡になっても、彼の傍に居たいんだ。
「ジーク!! 」
懐かしい名前を呼べば、泣き出しそうな顔で手を広げてくれた。だから、私は何の迷いもなく彼に抱き着いた。
「マナ…おかえり 」
「ごめんね 」
伝えたいことは沢山あった。だけど、今、この腕の中で言葉が出てこない。
私たちは、また出会うことができたんだ。
奇跡が、起こった。
「もう、離さない。だから、俺と一緒に、いて 」
ジークの声は震えていて、泣いているみたいだったから私はもっと強く抱きしめる。
覚えているよりも、もっと大きくなった。いっぱい成長して、知らない人みたいになった。
でも、この人は間違いなく私が愛おしいと思った人。
「私は、ずっと、傍に居るよ 」
もう、手を離すことはしない。
「…あれ、なんか嬉しそうな顔しているね 」
「うるさいわね、気のせいじゃない 」
エンドが言い終わらないうちにファウストは後ろへ飛びのいた。その瞬間、ファウストが立っていた場所には無数の氷の刃が突き刺さる。
「どんな契約をしたのかは知らないけど、彼女の存在が安定しているわ。何をしたの? 」
「んー、彼女は「再会」と「成就」を。彼は… 」
冷たく笑うファウストは悪魔のようだ。いや、本当に悪魔なのだ、とエンドは強く相手を睨みつけた。一瞬たりとも、気は抜けない。
「彼は「空間切断」と「忘却」を、ね 」
「忘却…? まさか、聖女の歌を使ったの 」
したり顔で頷くファウストを見て、エンドは頭を抱える。
あんな大昔の魔法を使うなんて信じられない。危険すぎる。世界を変える魔法を、こんな簡単に使うなんて…。
「だから、ね。ほら、世界は変わったよ。見てよ 」
ファウストが指差した先はノア。どこか呆けたような表情のノアを見て、エンドはさっと顔色を変えた。
「ちょっと、ねぇ、大丈夫? どうしたの 」
エンドの問いに、我に返ったノアはそれでも、不思議そうな表情で抱き合うマナとジークを見つめる。
「…あれは、誰だったのだろうか。覚えているはずなのに、分からない 」
「だれって、あぁ、そうね… 」
重たいため息を一つ吐いたエンドは、すぐさま魔法を発動させ、ノアを眠らせた。
これ以上、あれを見ていては負担がかかりすぎてしまう。
「誰かの思いとか、気持ちとかを丸ごと無視したあんたのその行為。やっぱり王子様と似ているわ 」
「やだなぁ、一緒にしないでほしい。それに、彼はもう王子ではないよ 」
「…そうね、この世界の記憶と記録から忘れられてしまっては、もうそんな肩書無いも同然よね 」
「聖女の歌」
数百年の昔、神に選ばれし聖女が魔王から己を隠すために使用したとされる古の大魔法。
この魔法は、世界から特定の人物の記憶と記録を抹消する。世界から忘れ去られた者は、別存在として世界に存在することになる。
魔法解除は対象の死。忘れ去られた者は、死を得ることによって世界に還ることになる。
「ねぇ、それで、エンドは何をしようとしたの? 」
悪戯げな瞳で聞き返されて、エンドは閉口した。
こんな結末を迎えた今、自分が考えたソレは、酷く滑稽な計画に思えてしまうだろう。
「さしずめ、異世界に丸投げしようとしたのかなぁ…王子様もろとも 」
ずばり、のことを言われて何も言えなくなるエンド。やはり、あまりにも力技すぎたのか。
「この世界の理に抗えないのならば、違う世界でやり直せば良いと思っただけよ 」
ふてくされながら、エンドは呟く。
マナという少女を見つけた時、エンドはジークの執着に対してある意味敬意さえ抱いた。
世界の均衡力さえもひれ伏して、自分がかけた魔法も解いて、あの男は少女をこの世界へ引きずり込んだのだろう。
ならば、もう良いかと、エンドは呆れつつも諦めて、そして決めた。
マナを元の世界へ戻すと一緒に、ジークもあちらの世界へ送ってしまおう、と。
世界はいくつも連なり、平行して存在している。
マナの世界は、この世界に比べて理が緩く歪んでいる。よって、その世界の「存在」を媒体とすれば異世界の存在も「認めて」しまうだろう。それこそ、異世界の住人の一人くらい十分に受容できるはずだ、とエンドは考えたのだ。
それは検証も立証もない、ただの憶測であり推測でしかない計画だった。
それでも、ただこの世界で消されることを待つよりはずっと確実に二人が生きていけるはずの計画。
しかし、その計画は魔法使いファウストの出現により消されてしまった。
なぜならば、マナにはもう帰るべき世界の「存在」が無くなってしまったから。
何の媒体もなく、異世界の物を受容するなど、それこそ世界が壊れてしまうだろう。
無残に散った計画を頭の隅に押しやりながら、エンドはこれからについて思案する。
今回の、この騒動の被害は? 均衡力として一体何がおこる? なにか、取り返しのつかない事態になっていないか…
「大丈夫だよ 」
思考を巡らすエンドに、ファウストは自信を持って言い放った。
「彼の存在は、世界という物語から完璧にはじき出された。だから、干渉も何もない。これで、「ジークフリード王子」は次の候補に受け継がれる。それは、この僕が保障するよ 」
にこりと笑うファウストを見て、エンドはその言葉が本当の事だと悟った。それは、とても屈辱的なことであり、同時に安堵するべきことでもあった。
世界の均衡力は動かない。ならば、魔女としてのエンドはもう動かなくて良いのだ。
「真紅の魔女としての私の役割は、お終いということね 」
そっと呟いたエンドの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
「…さて、目的も果たしたし、僕は行くよ。彼らのことは、任せたよ 」
「ちょっと、待ちなさい!! 」
庭に強い風が吹き渡る。次の瞬間、ファウストと呼ばれた少年は消えていた。
チっと舌打ちを一つするとともにエンドは意識を切り替え、華麗に振り返る。
「さぁ、あんたたち、これからこの世界でどうやって生きていくつもり? 」
美しい大輪の薔薇が咲いたような笑みで、少女は問うた。