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19、彼女の断片

 物語の、二度目のハジマリ。


 魔法使いファウストしか知らない「契約」と「見返り」。

 後悔と決意を胸に、奇跡を望んだ彼らの一瞬の出来事。



 美しい月の夜。

 その少年は現れた。


「僕はね、一途という言葉に弱いんだ」

 そう言いながら、微笑む美少年は悪魔のように美しかった。

 仕事帰り、水たまりから突然現れた少年はいきなりしゃべり始めたけれど、あいにく私にはそういうことへの耐性があったからかろうじて悲鳴は上げなかった。

「だって、僕もね、叶わない恋に身を焦がしている身だからさ。だから、君を見ているとその切なさが切実であることが痛いほどわかるよ 」


 私の困惑などお構いなしでしゃべり続ける少年。さっと差し出された手は、間違いなく私に向かっている。

 服装からして、あちらの世界の住人ということはわかる。


「だから、叶えてあげよう。君のその願いを、愛しい人の元へ行きたいのだろう 」

囁くようにしてつむがれた言葉は、とても甘い毒のように私の思考を鈍らせた。

 あちらの世界へ行ける。それはジークに会えるということだ。


 あちらの世界から帰って来て1年。

 必死で忘れようとして、でも忘れることができなかった願い。

 毎日、泣きながら願ったたった1つのこと。


「あなたは、だれ? 」

「名乗るほどのものじゃない。それよりも、君は彼に会いたくないの? 」

「会いたいに決まっているわ。でも、私が居たらジークは死んでしまう 」

「そうかな、君がいることで彼は本当に死んでしまうのかな? 」

 戸惑う私を見て、少年は面白そうな表情をした。


「彼は神に愛された者。そんな者を殺すこと本当にできるのかな? 」

「だって、天命を受けたものは、その通りにならなきゃ殺されちゃうって… 」

「そうだね。だから、彼らは問題の原因である君を消したんだよ 」


 問題の原因。ジークを世界の役割から救おうなんてことを考えてしまうのは、異世界の住人である私だけ。

 だから、私がいなければジークは道をはずれることなんてない。

 私さえ、いなければ。


「君は、唯一彼を救うことができる存在だからね 」


 救うという単語を聞いて顔を上げれば少年は無表情で月を見ていた。その表情は恐ろしいほど美しくて、身がすくむようだった。

 少年は何かを酷く憎んでいるようだ。そして、それが自分でないことに私は安堵した。きっと、彼の憎しみは恐ろしい。


「さぁ、早く決めて。ゆっくりしていたら、王子様が結婚してしまうよ 」

 結婚という言葉に私の思考は止まった。

 結婚…?ジークが、誰と?


「分からないっていう顔しているね。ふふ、それもそうか。君は異世界の住人だものね。そうだよ、君の王子様は結婚するんだ。今はまだ、婚約でしかないけどね。だって、そうだろう。大国の王子様なんだから、結婚はしなければならないだろう。彼にとっての結婚とは、神に与えられた義務の一つだからね 」

 にぃっと邪悪な顔をした少年。でも、私の眼にはそんなものは映らない。

 ジークが結婚をするなんて、信じたくない。


「だから、早く行かないと。王子様が世界の悪意に負けてしまう前に、君が助けてやらなきゃ。大丈夫、君さえ傍に居たら王子様だってあきらめない 」

 少年の言葉は、異世界でのジークの弱弱しい笑顔を思い出させた。

 泣きたくて、だけど絶対に泣けない立場の可哀そうな王子様は、あの世界では誰にも助けてもらえない。

 そんな彼を肯定できるのは、異世界の住人だけなのだろう。


 だから、ジークにとって異世界の住人である支援者は別に私でなくてもいいはずだ。

 こちらの世界で、私以上にジークの役に立てる人間は沢山いる。


 でも、私にとってはジークだけが唯一だ。


 他の誰かをと思うたびに、彼じゃなければならないと思い知った。

 会いたくて、切なくて、泣いてばかりいた。


 私の王子様は、あの人だけだった。何度も諦めようと思って、でも消えることのなかった恋。

 一度諦めてしまった未来。でも、私はジークに会いたいんだ。

 全てを捨てても、またあの人に会いたい。


 たとえ叶わない恋であろうとも、再び会うという奇跡を私は諦められない。

 諦められないの。


「どうすれば、いいの 」

「やっと、決めた。いいね、そういう顔大好きだ。一つのために全てを捨てられる顔。僕の愛しい人もそうやっていろんなものを捨ててきたんだ。そう、僕すらも。あぁ、今はそんなことどうでもよかったね。うん、それじゃあ、対価を一つ貰おうかな 」

「対価? 」


 聞きなれない言葉。私は何を渡せばよいのだろうか。

 うーん、と少年は難しい顔をして私を上から下まで無遠慮に眺めている。


「…うん、この世界での君の『存在』をもらうよ 」

「それって、どういう意味? 」

 ふふふ、と猫のように目を細めて、少年は笑う。

「簡単さ、一度あちらの世界に行ったら、君はもう戻ってこれないってことだよ 」

 それは、この世界との永遠の別離を言っているのか。

「戻れない? 」

「正確には、戻ってきても君の存在はこの世界には受け入れられないってことだよ。ほら覚えている?あちらの世界で、君は存在を拒否されて泡になりかけたじゃないか 」

 覚えている。手が足が、泡となって消えていく恐怖は計り知れなかった。

「それが、こちらの世界でも起こるってことかな。君の隷属は水だから、やっぱり泡になっちゃうね 」

 無邪気な顔で言い放つ少年は、言葉の裏でさぁ、どうすると私に決断を突きつける。


 一瞬の躊躇の後、私は覚悟を決める。

「いいわ、『存在』をあなたにあげる 」

「いいの? 君自身の記憶からも、この世界のことが消えていくよ。家族も友人も、すべて忘れてしまうよ。君自身の名前も、何もかも失われてしまうんだ 」


 消える、失われる。

 それは私という存在がなくなるということだ。

 この世界でも私が消える。それは、とても恐ろしい。


 でも、泣きそうな彼を思い出して私は首を振る。

 もう諦めることなんて、できない。

 私は彼の傍に行きたいんだ。たとえ泡になっても、傍に居たい。


 だから、全てを捨てられる。



「いいわ、全て捨てることになって、もかまわない 」

「…いいね、気に入ったよ 」


 少年が手をかざせば、地面が光りだした。私の足の下。歪な文字が描かれた魔法陣が出現する。

「君との契約は「再会」と「成就」の2つ。成されなければ君という存在は全ての世界から弾かれ泡になる。世界への非干渉のために読み書きは制限されるよ。それから…」

 今まで朗朗と歌うように語ってきた少年は、その時初めて顔を歪めた。


 痛いのと我慢しているような表情の少年は一瞬の躊躇の後思い口を開く。

「神に気づかれないために…今までの王子様に関する記憶に封印をかける。王子様が必死で繋いだ絆は一時的に君から失われる。君は全てを失って、あの世界に戻るんだ 」

「大丈夫よ 」

 あまりにも少年が切羽詰まった表情をするものだから私は思わず言ってしまった。

 だって、言わなければこの子は泣き出してしまいそうだったから。私はつくづく、泣きそうな男の子に弱いのだ。


「私は、私が願ったから行くの。たとえどんな結末が待っていたとしても、それは私の責任。だからね、泡になるときは笑ってやるわ 」

 精一杯の笑顔をつくれば、案外簡単に笑えたから驚いてしまった。

 あぁ、私はずっと前からこんな覚悟をしていたんだ。だって、久しぶりにとても自然に笑うことができているんだもの。


「…どんな形でもいい、彼の傍にいられるならば 」


 あの世界で、責任とか役割とかで溺れそうになっている彼の傍に居たいんだ。その後は、私という存在が消えたとしてもいい。

 一度諦めた未来を選ぶことができた。それだけで十分に奇跡なんだ。


「…君は強いね。人魚姫みたいだ 」

「人魚姫って、最後は王子様に選ばれず哀れ、泡になっちゃうじゃない 」


 苦笑する私を見て、少年は「ううん」と首を振る。

「違うよ、選ばなかったのは人魚姫の方だ。最愛の人を手に入れる道も、元の世界に戻る道も在りながら、それでも自分の幸せでなく誰かの幸せを選んだ。だからこそ、彼女はお姫様なんだよ。誰よりも尊いお姫様なんだ。それに、 」


 光が強くなり、もう目をあけていられない。

 少年が何か最後に叫んだ気がするけど、私には聞こえなかった。

 それでも、人魚姫は尊いお姫様だということがわかって、私には満足だった。


 だった泡になっても彼の幸せを願っていられたらいいな。

 そうして、私はすべてを忘れて、冷たい水の中に滑り落ちていった。


「君は一度も、自分の幸せを願わなかったね 」


 悪魔のような少年は、懐かしいものを見る瞳で彼女が消えていった地面を見つめた。

 全然似ていない。同じなのは髪の色くらいなのに、思い出してしまった。


 それが愛なのか、と呟く声は寂しげで悲しそうだ。

 自分には理解できないもの。そして、理解できなかったから今の自分がある。


 少年は、最愛の少女を思い出しながら、焦がれるように満月を見つめた。



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