16、愚かな王子の執着
ずっと会えないままだった。それで良いと思っていた。
だけど、やっぱり会えたら嬉しいと思ってしまう自分。あぁ、情けない。ほらもう涙目だ。
「お別れを、言いに来てくれたの? 」
「お別れ、か… 」
眉をしかめて悲しげなジーク。あぁ、こうやって寂しがってくれるんだ。悪いとは思うけど、やっぱり嬉しいと思ってしまう。
私のいなくなった世界を、少しは寂しいと思ってくるのかな。だとしたら、とても嬉しい。そう思ってしまう私は、残酷なのだろう。ごめん。
たぶん、泣き笑いのような表情の私。それを見て、ジークはふぅと息を一つ吐いた。
何か胸につかえたものを吐き出すかのような、そんな仕草。
そして、笑った。
美しく、背筋が凍るほどきれいな笑みに、私は恐ろしさを感じた。
「ねぇ、俺は君が好きだよ。手放したくないって思うほどに、愛している。 そして、マナも俺の事を好きだと思ってくれたよね? 」
愛の告白に優しい声色。でもそれとは裏腹に、秘められた意思は有無を言わさないとでもいうかのように私を圧迫する。どうしよう、怖い。
そして、とても嬉しい。
伝えられないと諦めたはずの言葉が、私の口から出かかる。
気持ちを伝える言葉。私の思いを伝える言葉。貴方が好きというたったそれだけの言葉。
でも、だめだ。
思わず落としてしまった涙は、頬を伝って落ちる。
どうか涙と一緒にこの恋も消えてしまって。
かなわない恋なんていらない。
いらないんだよ。
「ごめんなさい。 私には、この世界で貴方に幸せに生きてほしい 」
今度は、真っ直ぐにジークを見据えて言えた。視界が涙で歪むけど、しっかりとジークの顔は見えている。驚いたような、絶望のような、そんな表情は見えている。
そんな表情をさせてしまう自分が恨めしくって、そして少しだけ誇らしかった。
きっと、こんな風に王子様を絶望に陥れることができるのは私だけだ。あぁ、なんて、酷く自分勝手な喜び。
それにしても、誰かを傷つけるのって、それと同じかそれ以上に傷つくんだね。あぁ、苦しいなぁ。
でも、大丈夫。ジークも、私も、どうせ全部を忘れちゃうんだから。
『世界の理として、貴方も、そして王子様も、今回のことは忘れてしまうわ。異世界の記憶もやはり害でしかないからね。覚えていたら、また繰り返してしまうでしょう 』
凛とした表情で教えてくれた彼女に感謝した。
だから、私はこの場を何とか乗り越えるだけでいい。そうしたら、またいつもの日常に戻るのだ。何もなかったみたいに、暮らすことができる。
「嫌だ! 俺は、そんなの嫌だ!マナと一緒に生きたい! 」
顔を歪めて、ジークは泣き出しそうな表情で叫んだ。それは、癇癪を起す子どものよう。思い通りにいかないことへの憤りを、喚き散らして表している。
ありがとう。そうやって惜しまれることで、私の恋は満たされる。選べたかもしれない未来を、諦めることができる。
緩んだ手を離した。目に涙をいっぱいためたジークに向かって、精一杯微笑む。
「ごめん。 どうか、諦めて 」
そっと頭を下げて見えたのは、私たちの境目。
噴水の縁が私たちの境界線。絶対に越えられない、異世界というへだたりだ。
渦を巻き、煌めく水は天まで届いた。それと当時に私から泡があふれた。
私の体からあふれる泡は、天に上がる。体はどんどん薄くなって水の中へ少しずつ引きずり込まれていく。
目を閉じて流れに身を任せようとしたところで、ぎゅっと抱きしめられ引き上げられた。
消えかけの私にはその感触は酷く曖昧だけど、その手を強さとか熱さとかは不思議と感じられた。特に、私の頭に触れる手が熱い。…ん? 熱い?
「やっぱり俺は嫌だ。諦めることなんて、忘れられることなんて許せない。だから、魔法をかけるよ 」
泣き声で呟く言葉は、酷く弱弱しい。だけど、その内容はとても恐ろしいことのように聞こえる。
「ちょっと、ジーク何を言っているの? 」
「マナこそ、何を言っているんだ!! 」
顔を上げれば、涙をポロポロと落して泣いているジーク。う、なんかすごく可愛いんだけど。どうしよう。いや、どうしようもないんだけどさ。
「俺のことが好きだって、全身で伝えているのに。なのに、どうして…。俺はそんな選択をした君を許さない 」
「え? 」
小さく何かを呟いたかと思うと、私の後頭部の熱がさらに強くなった。というか、なんかすごく熱いんだけど!! 燃えてるんじゃないの?
もうどうしようもないくらい熱いのに、頭は一ミリだって動かせない。なんだこれ、なんの試練だ!!
「覚えておいて。どんな形であれ、君をまた連れ戻す。 なにがあっても、絶対に俺から逃げられない。 どうか、その全てを覚えておいて 」
「何言ってんの!! 」
どんって、ジークを突放そうとジークを押すけどビクともしない。くそぅ、やっぱりコイツ強い。
言わずにおこうと思った気持ちがどんどん溢れて、止まらない。なんだろう、胸が熱くって痛くって苦しい。
でも、言わなきゃいけないってよく分からない強い気持ちが湧いてくる。
「私がどんな気持ちで決めたと思っているのよ!! やっぱり、アンタは顔だけの泣き虫王子だわ。 信じられない、もう、もう馬鹿みたいじゃない… 」
はぁ、と半透明になった私は盛大に溜息をついた。なんか、私ばっかりが凄く悪いみたいじゃないの。何が許さない、よ。
「そもそも、こんな世界に私を呼び込んだのは、アンタ!! だから、私を返す責任くらいとりなさいよね 」
うっと、涙目を潤ませるジーク。だから、その顔は可愛すぎて反則よ。
「そう、私は戻るわ。…でも、この恋くらいは置いて行ってもいいかなって思っちゃった じゃない 」
もう向こうが見えるくらいまで透き通った手をジークの顔に伸ばす。しっかりと目を開いて焼き付けておこう。
私の一番に好きな人。絶対に忘れたくない人。
「私、ジークが好き。泡になっても、あなたの傍にいるから。だから覚えておいて、この世界で貴方は一人ぼっちじゃない 」
そっと、触れるだけのキス。これで、ちゃんと私の気持ちは伝わったはずだ。
だって、ジークのこんな嬉しそうな顔見たことないもの。
最後にこんな笑顔を見ることができて良かった、とそう思ったところで私の体は急速に水の中に落ちていく。
もう時間がないんだね。
「また、会おう 」
泣きそうな声で縋りつくように絞り出された必死の言葉。
また会おうなんて、無理に決まっている。決まっているけど、これがジークがこの世界で生きるために必要ならば、今は頷こう。
「もう一回、呼んでくれるの? 」
「うん、俺はマナを呼ぶよ。その時は、 」
最後の言葉は聞こえず、私は水の中へ滑り落ちた。気になるんだけど、まぁいいだろう。幸せな夢一瞬でも思い描けただけで十分だ。
消えかけの私。ジークの手には、もう触れられない。
落ちていく水の中、キラキラと金色の髪が光っている。
碧い瞳は悲しそうに歪み、必死に手が伸ばされる。
ごめんね。
私では、その手を掴めない。
でも、泡になっても傍にいるから。
だから、どうか泣かないで。