15、人魚姫の決意
異世界とやらに飛ばされてしまった私は、愛しい王子様を見つけた。
でも貴方は、この世界のお姫様と幸せになるべき人。
だったら私にできることは、泡になって消えてあげることだけだ。
「正しい決断をしたと、思うわ 」
魔女の少女エンドは、そう言いながらもどこか寂しげな瞳をして私を見た。
噴水の中、私はエンドと今日のことについて話をしている。今日の夜、私は元の世界に戻る。
ジークとお別れをして、元の世界に戻る。
そう考えるとズキン、と胸が痛くなったけどそれだけだ。傷は浅い方がいいんだ。
深くなってしまったら、それこそ取り返しがつかない。
「元の世界の服とか、身に着けてたものはすべてそろっている? 」
「はい、大丈夫です 」
噴水の隅にそっと置かれていた箱の中には、私が着てきた服や持ってきた物が入っていた。
久しぶりの服を懐かしいなぁ、と思うと同時に自分の帰るべき場所を思ってなんだか切なくなった。
まったく自分は薄情だ。今まで住んできた世界よりも、まだジークに未練があるなんて。
「王子様、あれからこっちに顔だしたの? 」
何気ない風にして聞かれたけど、ずっと気になっていたのだろう。
私は曖昧に言葉を濁しながら、あれから会っていないことを伝えた。
そう、あれから会っていない。
1日だって欠かすことなく来てくれていたジーク。でも、昨日は現れなかった。声送りで呼んでも答えてくれなかった。
ジークの来ない1日は本当に長くて、とても寂しかったんだっけ。
でも、それでいいんだ。もう会わない方がよい。だって、次に会ってしまったら私は言ってしまうだろう。
自分の気持ちを、伝えてしまう。
「まぁ、お互いにそれがいいのかもね。この世界は、ままならないことが多すぎる 」
漆黒の髪をなびかせながら、魔女の少女は赤い瞳を伏せた。それは、まるでこの結末を悲しんでいるかのようだった。
「ありがとう 」
「…別に、何もしていないわ。 私はただ役割を果たしているだけ 」
照れ隠しのように、どこからか取り出した杖をくるくると回す少女。
可愛らしくて十代の少女のようにみえるのだけど、魔女と言うくらいだから本当は何歳なんだろう。
気になる。けど、そんなことを聞いていいのかな。女性に年を聞くのって、すごく失礼なことなんだ。でも、最後だし、と私は恐る恐る聞いてみる。
「エンドさんは、どれくらい生きているの? 」
私の質問に、驚いたような表情。やっぱりまずいことを聞いてしまったのだろうか。
「…新鮮な呼ばれ方だわ。いつもは真紅の魔女とか呼ばれているから。あ、年は、そうね今年で19歳になるわ 」
「え? 19歳って、本当の19歳ってこと? 魔女年齢でとかじゃなくて? 」
ビックリして聞けば、その少女はクスクスと面白そうに笑う。その表情はあどけなく幼くて、確かに19歳の女の子なのだと感じさせられる。
「やっぱり新鮮だわ。私に年を聞く人間なんていなかった。でも、そうね。私はまだほんの19年しか生きていない。だから、 」
フッと寂しそうな顔に戻った瞬間。その少女の雰囲気がさっと変わった。
「たった1つしか、選べなかったの 」
それは喪失。選ぶことができず失くしてしまったものに対する哀愁。でも、そこには後悔の類はみえない。
彼女は失くしてしまったものに対して、一切後悔はしていないのだ。
あぁ、私も後悔なんてしない。諦めてしまった道に未練なんてない。だから、この選択をしたんだ。
ジークが生きているならば、それでいい。
「さぁ、時間よ 」
先ほどの表情など嘘のように、不敵に笑った少女はまさに魔女。美しい真紅の瞳を輝かせる真紅の魔女そのものだった。
「お願いします 」
魔女が杖を振るえば、水が噴水を取り囲んだ。
サラサラと螺旋を描く、美しい光の粒たち。幻想的な景色を、私はしばしば呆けたように見つめていた。
最後の思い出としては最高だ。さようなら、王子様と魔法と神さまのいる世界。
そう思って、目を閉じようとすれば、誰かに強く手を引かれた。
「ちょ、なに? 」
月は雲に隠れて、薄暗い庭。私の手を掴むのは大きく、一向に離す気配がない。まさか、土壇場でこんなわけのわからないことが起こるなんて。
狼狽えている私を引っ張って、手の主は噴水を出た。マズイ、私は噴水を出ることができない。出たら、泡になって消えてしまうんだ。
「まって!私、消えちゃうの! 」
噴水の向こう側へ引っぱられそうになって、必死にとどまる。掴まれている左手を振りほどこうともがく、と聞きなれた声が聞こえた。
「大丈夫だよ。 魔女はこの庭全てに結界をはっているから。 マナは消えないよ 」
「え? 」
ぱっと顔を上げた瞬間、月にかかっていた雲が晴れて月明かりが庭に差し込む。
そこには、うっすらと微笑むジークが立っていた。