第二話 秘密は銭湯上がりの牛乳瓶の後
窓の外に見える空は、ぼんやりと仄かに月と星々に照らされている。道の、端々に設置された街灯にぽつりぽつりと、火が灯り始める。
「初めて飲みましたが、美味しいですし、喉越しがよいですね」
てるてるぼーずに、髪を櫛で解いてもらいつつ、フィシアはフルーツ牛乳を飲む。
だんだん風呂の利用者が、銭湯のフロントに集まってくる中、フィシア達は呑気に風呂上がりの牛乳を一杯飲んでいた。
「フィシア様はフルーツ牛乳ですか〜?」
「コーヒー牛乳も渋くておいしーですよ〜」
「子供舌ですね〜」
そう煽るミニてるに、うぬぬとフィシアは唸る。
その時。
「俺は、毎朝ブラックのコーヒー飲んでたんだぜ」
そうドヤ顔で言った人型ユーリに、ミニてるとフィシアは半眼を向けた。
その視線は、ユーリの手に握られたものに注がれている。
「なら何故コーヒー牛乳じゃなくて、フルーツ牛乳なんでしょうね〜?」
にこにこ不気味な笑みを浮かべたフィシアにそう言われて、ユーリは慌て始める。
「もしかして〜」
「苦いの嫌いなんですかぁ?」
「無理に威張らなくても〜」
最後にフィシアがトドメを刺す。
「そういうの、墓穴を掘るっていうんですよ」
「〜〜っ!!」
顔を、違う意味で真っ赤にしたユーリだった。
そこから、ミニてるに揶揄われ、こてんぱんにされたユーリは、ヤケクソ気味にフルーツ牛乳を飲み干す。
「……苦いのが嫌いかどうかで揶揄ったり、威張ったりしてる時点で子供やけどな」
本物の大人、てるてるぼーずの言葉に、仲良くフィシアとユーリは閉口したのだった。
そして、そんな気まずさから逃れるように、ユーリがフィシアに言う。
「てゆーか、あのとんでも魔術人前で撃つなよ?」
真顔でそう言ったユーリに、フィシアもまた神妙な面持ちで頷く。
「ええ。人前では、むやみやたらに使いませんよ」
その言葉に、ユーリは安堵の溜息をつき、同時に頭に浮かんだ疑問を口にする。
「なら何で、井戸に使ったんだ?」
「決まってるじゃないですか。私は空を歩くことに手を抜きませんよ」
絵画の昔の偉人のようなキリッとした顔で、断言するフィシア。
沈黙。
「ヤベェ奴だな、お嬢」
狸にヤベェ令嬢扱いされたフィシアは、失礼です〜と頰を膨らませた。
ずずずずぅううう。しゅごごごごぉおお。
盛大に音を立てながら、コーヒー牛乳を飲んでいたミニてる達は、ぴょこんと椅子から飛び降りた。
「飲み終わりましたよぉ」
「早くお家に〜」
「帰りましょ〜」
最後まで人を待たせていたくせに、急かすなんて大した度胸である。
しかし、そんなことを天然の度を超えた彼らに言っても労力の無駄なので、口にする者はいない。
「わかりました。帰りましょう」
バスケットを持ち直したフィシアは、立ち上がった。
そして、一行は銭湯を後にしたのだった。
拠点の洗面所で、歯磨きしていたフィシアの肩を、人型のユーリがつついた。
「ひゃんですか?」
もごもごとそう尋ねたフィシアに、ユーリは言いにくそうに切り出した。
「なあ、一個聞きたいことがある」
「今じゃないと駄目れすか?」
「い、いや。後で……いい」
そう言うと、ユーリはふいっと顔を背けて、洗面所を出て行った。
残されたフィシアは、ぺっと水を吐き捨てると、タオルで口を拭った。
てるてるぼーずやミニてるとは、家を“他領の視察”という題で出る前から一緒である。
故に、彼らはフィシアのことを知り尽くしている。
しかし、ユーリとはこの町にくる道中で出会ったばかりである。
フィシアは、自分でも己が変わった令嬢だと自覚している。だから、疑問が幾つあってもおかしくはないと思っていた。
洗面所を出て、一度リビングに向かい、水を一杯飲むと寝室に向かう。
机の上に丁寧に置かれたノートと万年筆を見つめ、ふっと笑みを浮かべる。
「待ってて。もうすぐ、行くから」
フィシアは、そう一人呟いた。
懐かしい日のことを思い出すかのような遠い目をして。
机に背を向け、パジャマを着て、ふかふかのシーツにダイブすると、瞬く間にフィシアを睡魔が襲った。
その時。
扉をノックする音が、部屋に響いた。
今、フィシアは猛烈に眠いのだ。
どうせ、今日の洗濯当番お前なのに忘れてるぞ、辺りのしょーも無いことだろうと結論を出す。
眠たすぎて、起き上がりたくないのだ。
きゅっと、人形を抱きしめる。
フィシアは数分前に交わした約束のことをすっかり忘れていたのだった。
「おい、フィシア?」
ノック音の主は、諦め悪く何度も名を呼んでくる。
このままでは、寝られない。
むくりと起き上がったフィシアは、虚ろな目で扉を見つめると、ベッドから降りる。
ゆっくりと扉を開けると、そこには不安げな顔をした人型のユーリがいた。
「ひゃい?何です?」
眠たい目を擦り、呂律の回らない口調でそう言ったフィシアに、ユーリは顔を顰める。
「質問しに行くって、さっき言っただろ。律儀に待ってた俺が不憫だ!」
そういうユーリを、寝ぼけ眼で爪先から頭のてっぺんまで見たフィシアが、今更ながらに言う。
栗色の髪からふわりと、石鹸の良い香りがする。
「そういえば、何でユーリって女姿に化けてるんですか?い、いや、女装癖だと言うのなら私は何も…」
「違うから、そんな目で見るな!」
そう叫ぶと、こっほんとわざとらしく一つ咳払いをするとユーリは口を開いた。
「転生した俺はメス狸でした。で、イケメンに化けようとしたのに、こんな姿にしか化けれなかった。以上」
「うわぁ。ごしゅーしょーさまです」
「だから、そんな目で見るなっつぅーのっ!あと、棒読みやめれ」
フィシアの目に、若干傷ついた顔をしたユーリは、もうっと腰に手を当てた。仕草が女子だ。
「話の腰折るなよな。こっちは結構、勇気出して決意固めてきたんだからな」
顔を赤くしてそう捲し立てると、ふぅと溜息をつく。
そして、鋭い瞳をフィシアに向ける。
明らかに、纏う空気と場の空気が変わった。
少しの間を置き、ユーリは口を開いた。
「どうして、お嬢はそんなに空を歩きたいんだよ?一体、何がお嬢を動かすんだ……?」




