一話目 現在進行形で踊り狂う井戸から逃走中。
海と市場の港町、ベルレア。
海の潮の匂いと、香辛料の匂いが鼻をくすぐる。
海の上で、旋回するカモメ。
堤防に波がぶつかる音に、負けじと市場の客引きの声も大きくなる。
そんな賑やかな町ベルレアの端の草原では、これまた賑やかな一行が絶叫して走っていた。
何故なら、現在進行形で踊り狂う井戸から逃走しているからである。
くねくねと身を捩りながら、回転して跳ね上がるという謎の動作を繰り返しつつ追いかけてくる井戸は、怖い。
「だいじょーぶ、ですっ」
逃げ惑う一行の一人、避暑地へ向かう令嬢の格好をした少女は、ぐっと親指を立てた。
彼女は、伯爵令嬢フィシア。空を魔術で歩くという、狂人的な夢を持った変わり者である。
そして、今回の事件の発端を作った者でもある。
「どこが大丈夫なんや!?」
方言で尋ねたのは、晴れを呼ぶ儀式に使われるてるてる坊主(等身大ver)に取り憑いた精霊である。
てるてる坊主の突っ込みに、フィシアは何故か少し嬉しそうに胸を張って答える。
「持久戦で勝利して、この井戸を倒せばっ、空を歩く魔術の材料が手に入る、のですっ」
息が荒くなってきて、言葉も途切れ途切れになっている。
全く大丈夫じゃないやろ!とてるてる坊主は思った。
ジャンプしながら走るという無駄に消耗する追いかけ方をしている井戸より、自分たちの方がよっぽど疲れている。
それに、井戸が走ることも意味不明だが、井戸に疲れがあるのかも分からないのだ。
おおかた井戸に魔物の魂が取り憑いて動いているのだろうが……、人を追う執着心は侮れない。
かれこれもう三十分は、走り続けている。
己の主人が全く役立たないことが判明したてるてる坊主は、仲間に助けを求めることにした。
「ユーリっ!どうすればいいんや!?」
ユーリとは、メス狸の仲間で、転生前は社畜のリーマンである。何度も言うがリーマンである。
そんな彼?は、走るスピードは狸より人型の方が速いと人の姿に化けていた。
が。栗色のミディアムヘアを揺らして走る華奢な姿は、どこからどうみても少女である。
「ああっ!やっぱりスカート走りづれぇっ」
そう呻きながら、スカートの裾をお姫様のように摘んで走る彼の姿に、てるてる坊主は思わず笑いが漏れる。
中身リーマン美少女は、地団駄を踏んだ。
「お嬢!報連相、忘れんなよぉおおおお!!」
その叫びに、先頭を走っていたフィシアは首を傾げる。
「ほうれん草?あの野菜のことですか?」
「駄目だ、この人かの有名な報連相知らねぇ!」
その時、フィシアの肩から下げられた革鞄からひょこりと白いものが何個も覗いた。
それは、小さいてるてる坊主達ーーーミニてる達の頭だった。
まん丸な目をきょろきょろと動かし、辺りを見回す。
「ほーれんそー」
「どこですか?」
「お腹空きましたぁ」
そんな呑気な発言をしている場合ではない。
踊る井戸に狙われている今、命の危険もあるのだ。
もう完全なカオス状態である。
報連相は、踊り狂う井戸に喧嘩売るなら報告して、連絡して、相談しろという意味なのだが…。
踊り狂う井戸から逃げる、伯爵令嬢と布人形に狸。
かなりの視覚的暴力である。
いったい何故こうなったのか。
理由は簡単明白。
空を歩く魔術の材料をこの井戸が持っているからと、フィシアが井戸にいらぬ喧嘩をふっかけたからだ。
その時、脇腹が痛くなってきていたフィシアは耐えかねたようで、
「もう持久走は疲れました!なのでっ、魔術でさっさと倒そうと思います」
と、宣言し、逃げつつも魔術詠唱を始める。
「神世に素晴らしき御加護とともにいただきつかまつったこの力を、どうか最高火力で!」
ユーリは、フィシアの台詞を聞いて半眼で呟く。
「厨二」
その言葉に、フィシアは口をむずむずさせる。
おおかた、言い返したいけれど詠唱の最中だから余計なことを言えないので、悔しいのだろう。
「星核穿つ滅槍っ」
詠唱の最後の一節を叫んだフィシアは、手のひらを井戸に向ける。一瞬で曇った空が、雷を落とす時のような轟音を響かせ始める。そして、雲の隙間を縫って星槍が落ちてくる。まっすぐ、井戸に向かって。
厨二扱いされた怒りも相まって、本当に最高火力になった魔術に井戸は為す術もない。
ドゴンという鈍い音の直後、
「ぴぎゃぁあああ!!!」
槍に穿たれた井戸は、マンドラゴラ並みの断末魔を上げると、動かなくなった。
「ふぅ。これで材料げっと、です」
しれっと世界上級魔法を使った伯爵令嬢は、額の汗を拭った。その様子に、ユーリは呆れたように言う。
「どこで、ンなもん覚えたんだよ?井戸に使う魔術じゃねえだろ、国ひとつ滅ぼす勢いだったぞ?」
ぽっかりと草原に空いた穴を、引き攣った顔をしてユーリは見つめた。
井戸のいたところには、一つの石が落ちている。
「はい?空を歩く魔術の研究をしてた時ですよ。あと、どこかというと、うちの屋敷の自室です」
「空歩きより、もっとヤベェの発明してやがる」
それより、とばかりにフィシアは頬を膨らませて、狸姿に戻っていたユーリの頰をつねった。
びよーんとお餅みたいに伸びる。
「厨二扱いしないでください。それが、魔術を使うときの掟なのですから。私だって嫌ですよ」
「痛ひぃ。わかったから、やめりぇ」
そんな二人のコントみたいな会話を横で聞いていた、てるてる坊主は、皆のオカンらしく言った。
「早く帰るで。日が沈んだらお化けが出るんや」
その言葉に、フィシアはお化けなんて地下迷宮にしかいませんよ〜っと正論で返す。
つい先日買ったばかりの新しい拠点に向かう帰路。
拠点を買ったのも、魔術研究をするためである。
フィシアは、井戸から手に入れた魔術石を自慢気にかかげた。きらりと輝く紫色の石。
陽の光に透かすと、小さく文字が彫り込まれており、その文字が魔術式となっているのが確認できた。
フィシアは、満足気に大きく一つ頷くと、てるてる坊主に尋ねた。
「今日の晩御飯は何ですか?てるてるぼーず」
てるてる坊主(等身大ver)のてるてるぼーずは、呆れたように肩をすくめた。
彼の名前が、てるてるぼーずなどという単調な名前になった理由。それは、フィシアのネーミングセンスが終わっていたからである。
「野菜多めのスープや」
「俺は、カップラーメンで」
横からそう言ったユーリを、てるてるぼーずは軽く睨む。
「野菜はたんとおあがり」
「そーですよー」
「ユーリさん、おこちゃまですね〜」
フィシアの鞄から顔を覗かせたミニてる達が、ユーリを煽る。きーっと怒るユーリであった。
そして、一度、拠点についた一行は、フィシアにより、持ち物を変えて再度拠点を出ることになった。
一行は、タオルとシャンプーやリンスー類に金貨をバスケットの中に入れ、拠点近くの銭湯にきていた。
「やっぱり、走り回って疲れたし、汗を洗い流して、疲れを癒して……フルーツ牛乳飲みましょうっ!」
「たぶん、最後のが一番の本命だよな?」
「ええ。その通りですよ」
ユーリの問いに真顔で頷いたフィシアに周りは少々引いたのだった。
「フィシア様〜」
「貴族令嬢としての」
「意識ないの〜?」
付いてきていたミニてる達の言葉に、フィシアの額に青筋が浮かんだのは言うまでもない。
人は連携プレーで悪口を言われる方が、一人に一気に言われるより、何千倍も腹が立つものである。
「は〜。のぼせました……」
ロッカーの鍵を開け、元の服に着替えるとフィシアは、更衣室のラタンの椅子に腰掛けた。
顔がほてって赤いのが、鏡を見ずともわかる。
自分から、ほくほくと白い湯気がたっている。
ここの銭湯には、サウナが付いているらしいので次回挑戦してみよう、とフィシアは決意する。
先ほど、紺色の髪の少女が挑戦していたのだ。
サウナ。非常に楽しみだ。
心なしか発音も甘美に聞こえる。
それに、年間パスを買ってしまったので毎日通わなければ元が取れない。
そろそろロビーに出て、お待ちかねのフルーツ牛乳を飲むとしよう、と考えるとフィシアは立ち上がった。
夏夜図書委員です。
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