vol.90 Midnight Verdict ――夜を駆ける
Synaptic Driveが宇宙の始まりを描いた灼熱。
その余韻がドームの空気に溶けきる前に、世界は再び塗り替えられた。
アリーナの照明が一斉に深い蒼色に染まり、次にステージへ降り注いだスポットライトの中心に現れたのは、夜の支配者――Midnight Verdict。
割れんばかりの歓声が地響きとなり、無数のペンライトが期待に揺れる海原と化す。
彼女たちの出で立ちは、これまでのどのグループとも一線を画していた。
黒を基調としながらも、銀糸の刺繍やレザーを巧みに組み合わせ、騎士の甲冑のようにも、堕天使のドレスのようにも見える、ロックでいて気品を失わないステージ衣装。
その姿は、夜を駆けるために生まれた芸術品そのものだった。
誰もが新曲『天使が舞い降りた日』を予期していた静寂の中、女王・けいとが静かにマイクを握る。
銀色のマイクを唇にそっと触れさせ、端正な声で告げる。
「皆さま、今宵はありがとうございます。
新曲は、また必ず――。
今は、わたしたちの魂を委ねる一曲を。
心の奥底まで、貴方に届きますように」
けいとが告げた曲名に、会場は驚愕と歓喜のどよめきに包まれた。
「――『Running into the night』!」
それは、アルバムに秘められた、ロックとユーロビートが危険なまでに融合した一曲。
知る人ぞ知る、彼女たちの牙。
イントロが鳴り響いた瞬間、ヘビーなギターリフが空気を切り裂き、パワフルなドラムが全観客の心臓を鷲掴みにした。
ステージ中央、あやがギターを低く構え、シャウトに近い、しかしどこか甘く危険な熱を帯びた声で歌い始める。
普段の愛らしさは影を潜め、解き放たれた衝動が彼女を支配していた。
【閉ざされた夜の淵で 彷徨う心 鎖を断ち切り 解き放つ時だ 偽りの笑顔はもう いらない 素顔のままで 走り出すのさ】
その歌声に呼応するように、かおりのベースが夜の底を這うような重低音を轟かせる。
彼女は表情一つ変えない。
だが、その指先から繰り出されるグルーヴは、雄弁に、獰猛に、サウンドの背骨を形成していた。
さやかのタイトなドラムは、統制された嵐のようにビートを叩き出し、会場の鼓動と完璧にシンクロしていく。
間奏、主役はあやだった。
彼女の指がギターのネックを滑り、夜空を切り裂く流星群のようなギターソロが炸裂する。
それは単なる速弾きではない。
泣き、叫び、歓喜する、感情の奔流そのもの。
その激しいロックサウンドの渦の中を、けいとのシンセサイザーが銀河の煌めきを散りばめるように駆け巡り、ひなたとこはるの天使の梯子のようなコーラスが、楽曲に壮大な奥行きを与えていた。
汗が、彼女たちの頬を伝い、スポットライトを浴びて宝石のように輝く。
激しく、それでいてどこまでも優雅。
計算され尽くしたカオス。
それがMidnight Verdictの真髄だった。
【Running into the night! 駆け抜けろ夜を! 自由を求めて 魂を燃やせ!】
最後は、あやの絶叫にも似たロングトーンと共に、全ての音が完璧なタイミングで止んだ。
後に残されたのは、鳴り響く心臓の音と、息をすることさえ忘れた数万人の沈黙だった。
♦ネットの反応♦
「ミドヴァの『Running into the night』とかレアすぎ!神セトリかよ!」
「あやちゃん、いつも可愛いのに今日ロックすぎて惚れ直した…あのギャップは国宝」
「かおり様のベースライン、音源の5倍はえぐい。指先だけで世界を支配してる…」 「けいと様の選曲とMC、完全に女王様。ひれ伏すしかない」
「もう何がなんだかわからないくらい最高!今日の『STARLIGHT SYMPHONY』、間違いなく伝説になる!」
ザッツ小泉の女王の騎士団チャンネル
「皆さん、ご覧になりましたか。
これこそが我が女王陛下の深慮遠謀。
Synaptic Driveが示した『宇宙』に対し、『夜』の支配者は我々であると、高らかに宣言されたのです。
あや様の覚醒、かおり様の重厚な調べ…我々騎士団は、ただひれ伏すのみです」 (ファンからの返信:「団長!感涙です!」「まさに!」「女王陛下万歳!」)
♪ ♪ ♪
バックステージ。Synaptic Driveのユージは、モニターに映るあやの姿に、口元を抑えきれずにいた。
「……おいおい、反則だろ、アレは」
呆れたような声色とは裏腹に、その目は誇らしさと愛情で爛々と輝いている。
隣にいたけんたろうの肩を、興奮のままにバン、と叩いた。
「見たか、けんたろう!アレが俺の女なんだよ。普段の天使みたいな顔もいいが……俺はな、ああやって牙を剥く、ロックなあやが一番好きなんだ」
珍しく素直なユージの言葉に、けんたろうは微笑んだ。
「うん、すごくカッコよかった。ユージの魂に、火をつけられたんじゃない?」
「うるせぇ。俺の魂はいつでも燃えてる」
憎まれ口を叩きながらも、ユージの顔は完全に緩みきっていた。
一方、Dream Jumpsの控え室では、めぐみが呆然とモニターを見つめていた。
「え……?さっきまで、あんなに可愛く笑ってた人が……同じ人、なの…?」
自分たちが放つ太陽のような「光」とは全く異なる、闇を切り裂いて進む「強さ」。
その圧倒的な熱量とカリスマ性に、彼女はただ打ちのめされていた。
そして、会場の別の部屋では、一条零が微動だにせず、ステージの残響に耳を澄ましていた。
隣に座る伝説のプロデューサー、真壁が、彼女の反応を愉しむように口を開く。
「どうだ、零。驚いたか?
彼女たちなりの、君への挨拶、といったところかな」
零はゆっくりと真壁に視線を戻すと、その黒曜石の瞳に静かな光を灯した。
「……挨拶、ですか。だとしたら、随分と礼儀正しい」
その声には、冷たさとは違う、ある種の敬意が滲んでいた。
「あの音は、ひとつの美しい星系です。
秩序と混沌がせめぎ合い、その摩擦熱で新たな恒星を産み落とそうとしている。
……特に、あのボーカルとベース。
互いが引力となり、ひとつの生命体として夜を定義しようとしている。
見事なものです」
真壁は、零が他者をここまで具体的に評価することに内心驚きながらも、満足げに頷いた。
「ほう……。では、君の音楽を脅かす存在になりそうかな?」
その問いに、一条零は初めて、ふ、と微笑んだ。
それは絶対者の笑みではなく、好敵手の登場を喜ぶ、純粋な音楽家の笑みだった。
「脅かす?いいえ。むしろ、楽しみが増えました」
彼女は静かに立ち上がる。
「素晴らしい音楽は、私の魂を刺激します。
彼らの輝きが強ければ強いほど、私の音楽もまた、さらにその先へ行ける」
その言葉には、もはや神のような孤高さはなかった。
ただ、誰よりも音楽を愛し、高みを目指し続ける、一人のアーティストとしての純粋な情熱と自信が満ちていた。
「さあ、行きましょう。私の音を、世界が待っていますから」
零は圧倒的なオーラをその身に纏い、次なる自身のステージへと、静かに歩みを進めていく。
真壁は、その人間味あふれる情熱を宿した背中を、静かに見送った。
本当の交響曲は、まだ始まったばかりだった。




