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vol.68 めぐみ、まさかの急接近!?

 駅から少し離れた路地。

 看板の小さなカフェ。

 めぐみは迷わずそこへ滑り込む。

 けんたろうを半歩遅れで引きずり込む。

 隠れ家みたいな静けさが、夕暮れの奥に沈んでいく。

 客はまばら。

 夕方の光が、窓ガラスの縁で薄くほどけている。

 店内の空気はアンティーク時計の針みたいにゆっくり進む。


 窓際のカウンターに並んで座る。

 向かい合う席より逃げ道がないことだけがはっきりする。

 肩が触れそうで触れない。


 グラスの中で氷が鳴った。

 からん。

 小さな音がやけに大きく響く。

 店内が静かすぎて、心臓の音だけが目立ってしまう。


 隣にいるのは国民的アイドルDream Jumpsのめぐみ。

 現実感のない光景。

 緊張が足元からじわじわ這い上がる。


 けんたろうは喉の奥を整えてから言った。


「あの……どうして、僕がスーパープロデューサーだって思ったの?」


 声が少し震えているのは、冷房のせいじゃない。


 めぐみはストローをくるりと回す。

 その動きまで妙に自信満々で、答えは最初から決まっているみたいだった。


「だって〜、学園祭でちょっと弾いたピアノ」


 めぐみは指先をひらひらさせて、目の奥だけをいたずらっぽく光らせる。


「私、見てたんですよ。

 あの旋律、綺麗すぎ。

 ただ者じゃないって、肌で感じちゃったもん」


「え……学園祭に来てたの?」


 けんたろうの声が裏返りかける。


「来てたよ」


 めぐみは当然みたいに頷いて、次の札を切る。


「それにさっき、あのお調子者くんと音楽の話してたでしょ。

 コード進行とか、転調とか」


 けんたろうの胃がきゅっと縮む。

 早坂。

 帰り道。

 まさか、あそこで。


「あの曲をあんなふうに解剖できる人ってね」


 めぐみは笑っているのに、瞳だけが鋭い。


「専門家でも、そんなにいないよ。

 私、すぐピンと来ちゃった」


 けんたろうは苦笑いするしかなかった。

 見られていないと思っていた場所ほど、よく見られている。

 隠していたはずの輪郭が、少しずつ線になっていく。

 アイドルのキラキラしたフィルターの奥にある冷静さが、逆に怖い。


 めぐみは嬉しそうに畳みかける。


「あとね、一番の決め手は、こはるさん」


「……やっぱり」


 けんたろうの肩がわずかに跳ねる。


「けんたろうさんの話題を出した時の、Midnight Verdictのみなさんね」


 めぐみはカウンターの木目を指でなぞりながら、軽い声で重いことを言う。


「空気が、ちょっとだけ固くなった。

 特に、けいとさん」


 その名前が出た瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

 けいと。

 あの人の顔が、するりと視界に差し込む。


「あはは……」


 乾いた笑いが、氷より冷たく落ちる。

 言い逃れという選択肢は、もう残っていない。


 けんたろうは観念して、問いを変える。


「それで……今日は、どんな用なの?」


 めぐみは待ってましたとばかりに顔を上げる。


「決まってるじゃないですか!

 けんたろうさんの曲を、歌いたいんです!」


 まっすぐな目。

 宝石みたいに光っている。

 営業用の輝きじゃない。

 欲しいものを欲しいと言う目。


「え……」


 けんたろうの口から、間の抜けた声が漏れる。


「私ね」


 めぐみは胸の前で手を握って、言葉に熱を乗せる。


「ユーロビートが歌いたい。

 心も身体も揺さぶられる感じ。

 あれ、大好き!」


 熱意が物理的な圧になって迫ってくる。

 言葉も息も距離も、全部が近い。


「ちょ、ちょっと……いきなりは無理かな」


 けんたろうは笑ってごまかしながら、盾を探す。


「僕の曲は、その……ユージとの仲があるからこそ作れるんだ。

 二人でSynaptic Driveだから、簡単に他の人に、ってわけには……」


 誠実な断り文句。

 正論の盾。

 けれど、めぐみはそれを指で弾くみたいに軽く受け流す。


「ところでさ、けんたろうさんって、いつまで敬語なの?」


「え?」


 盾ごと取り落とす。

 けんたろうの目が瞬く。


「それに、何年生?」


 問いなのに、逃げ道を塞ぐ言い方。


「……二年生だけど」


「あ、じゃあ、私よりお兄さんだぁ」


 めぐみの顔がぱっと明るくなる。

 その一言が妙にずるい。

 上下関係が逆転したみたいに足元が揺れる。


「じゃあ、タメ語でいいじゃない?」


 めぐみは笑う。


「仲がどうとか言うなら、もっと仲良くなっちゃお」


 次の瞬間、椅子が鳴った。

 グイッ。


 擦れる音が、心臓を直接撫でる。

 めぐみが自分の椅子を引き寄せ、けんたろうとの距離をゼロにしにくる。

 距離が縮む。

 縮みすぎる。

 足が触れて、太ももが触れるか触れないかの境目が、もう曖昧だった。


(うわ……近い)


 髪から漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 困ったはずなのに嫌じゃない自分がいることが、いちばん困る。

 けんたろうの胸にまたけいとの顔が浮かんで、ごめんと声にしない謝罪が喉元まで上がってきた。

 背徳感は音のない拍手みたいに体の中で鳴る。

 罪悪感と高揚感がシェイカーの中で混ざり合って、言葉が出る前に彼の思考が固まる。


「そんなにかたくならないでよ〜」


 めぐみが覗き込む。

 まつげの影まで見える距離だ。


「でも、可愛い」


 囁きが甘く落ちる。


「これがスーパープロデューサーかぁ……」


 褒め言葉なのに、取り調べの続きみたいで、けんたろうの心臓は正確さを失って暴れ出す。


「ねぇ」


 めぐみの声が、さらに甘くなる。


「けんたろうさん、彼女いる?」


「ひえっ」


 情けない声が漏れた。

 逃げたいのに、カウンター席は逃がしてくれない。


「い、いない……かな。

 今は、そういうの、あんまり考えられないっていうか……」


 曖昧に濁して、濁した水の中に秘密が沈むのを祈る。

 めぐみは濁りを気にしない。

 むしろ次の一手を選ぶ目をしていて、獲物を見る目なのに、恋をする目にも似ていた。


「じゃあさ」


 めぐみは笑った。

 いたずらを思いついた子供みたいに、無邪気で、それでいて少しだけ大人の色気を孕んだ笑い方で。


「私、立候補しちゃおうかなぁ〜?」


 けんたろうの思考が、ぷつんと切れた。

 氷が、もう一度鳴る。

 からん。


 喉はからからなのに、水を飲む手が動かない。

 断れば面倒になる未来が見える。

 受ければもっと面倒になる未来が見える。

 どっちを選んでも詰んでいる気がして、けんたろうはただ、笑顔の置き場も言葉の逃げ道も見つけられないまま、目の前のアイドルの次の一言を待つしかなかった。

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