vol.60 めぐみ、屈辱と遭遇
「ユージさん!
今日のパフォーマンス、本当に度肝を抜かれましたよ!
あの、けんたろうさんの『指先』の演出。
そして、ユージさんの言葉。
改めてSynaptic Driveのパワーを見せつけられた気がします!」
司会のマヨネーズ田村は、興奮を抑えきれない声で問いかけた。
ステージの熱が、まだ天井に張り付いたまま。
熱が会場の湿度を上げる。
ユージはマイクを握り、笑った。
笑い方が、勝者のものだった。
「ははっ、そうだろ?
Dream Jumps、かわいいけどよ……まだまだだな!」
会場がどよめく。
笑いと歓声が混ざる。
遠くで誰かの咳が聞こえる。
一瞬の間。
「あいつらも夢とか言ってるけどさ。
俺たちが『本物の音楽の夢』を見せてやる。
期待してろよ!」
言葉が人を刺す。
誰も目を逸らせない。
ユージはさらに続ける。
「けんたろうの指先、天才だろ?
時代が、ちょっと追いついたんだよ!
だから今日は指だけ。
全部見せたら、お前ら失神しちまうからな!」
笑いが起きる。
しかし、笑いの底に、粗い興奮が沈んでいる。
「次はもっとぶっ飛んだことする。
ちゃんとついてこいよ、お前ら!!」
最後の呼びかけが合図になり、歓声を持ち上げた。
その声は、音楽業界へ向けた宣戦布告にも聞こえた。
♪ ♪ ♪
番組が終わるより早く、スマホの通知が世界を叩き起こす。
動画は、切り抜かれ、煽られ、拡散された。
人気YouTuberのセブ直山は、サムネに赤い文字を踊らせた。
『【音楽シーン激震】Synaptic Drive、公開処刑か!?
神回・ミュージックコネクト』
再生ボタンを押した瞬間、彼の声は殴りかかってくる。
「見たかテメェら!
あれは共演じゃねぇ!」
一方的な殴り込みだ!」
机を叩く音。
セブ直山が画面の向こうで叫ぶ。
「ユージのやつ、『かわいいけどまだまだ』だぁ!?
公開処刑じゃねえか!
Dream Jumpsのファンども、今どんな気持ちだ!?」
コメントが雪崩れていく。
《シナドラキッズ》ユージ最高!よく言った!
《ドリーマーズ》言い方ひどすぎ!めぐみちゃん泣いてるかも…
《女王の騎士団》これが本物のバンドとアイドルの差か…
セブ直山はさらに叫ぶ。
「そして何より、あの『指先』だ!
けんたろうP!
顔も姿も見せずに、指だけで日本中を黙らせやがった!
あれはもはや神の指だ!
今、音楽シーンの神は、間違いなくSynaptic Driveだ!」
♪ ♪ ♪
Dream Jumpsの楽屋では、モニターの光だけが明るい。
その光に照らされているのに、五人の顔色は暗い。
めぐみは拳を握る。
指が痛い。
だけど、ほどけない。
「なんで、あんな言い方……」
声が、思ったより小さかった。
りおは腕を組み、余裕の形を作っている。
けれど足先が落ち着かない。
ももは袖で涙を拭いた。
あいは瞬きを忘れたように画面を見つめる。
ゆずだけが、唇を噛んでいる。
痛みで目を覚ますみたいに。
誰も、素直に勝ったとは思えなかった。
「私たち……このままでいいの?」
めぐみの言葉が、床に落ちた。
誰も拾えない。
楽屋の沈黙は、音がないのにうるさい。
♪ ♪ ♪
数日後。
めぐみは、地元の高校の学園祭にいた。
友達に引っ張られて来ただけだった。
焼きそばのソースが焦げる匂いがする。
クラスTシャツの笑い声が、廊下の曲がり角で弾ける。
体育館からは、下手なバンドが必死に鳴らしている音が漏れてくる。
この世界の温度は、あまりにも「普通」。
けれど、その温かさがめぐみの孤独を際立たせる。
(なんで、私がこんなところに…)
トップアイドルの自分が、なぜこんな場所に立っているのか。
Synaptic Driveに負けたばかりで、心はまだ傷だらけなのに。
数日前の言葉が、いまだに耳に残っている。
かわいいけど、まだまだ。
本物の音楽の夢を見せてやる。
暗闇の中の指先が、何度も再生される。
このままじゃだめだ。
変えなきゃ。
そう思うのに、何を変えればいいのかが分からない。
笑い声が足元を流れていく。
めぐみはその流れに乗れない。
喧騒から逃げるように、校舎の奥へと歩く。
そのとき。
教室の奥から、ピアノの音が聞こえた。
――ポロロン。
何気ない一音。
なのに、胸の奥を撫でる。
ざわめきが、遠のく。
「……え」
めぐみの身体が、先に歩き出した。
教室の扉は開け放たれていた。
埃の匂い。
午後の光。
古いアップライトピアノ。
その前に、ひとりの男子生徒がいた。
指が鍵盤に置かれる。
置かれただけなのに、空気が変わる。
その指の細さ。
触れる前の、微かな緊張。
音を出す直前の、ためらいのなさ。
めぐみの背筋が冷える。
テレビで見た、暗闇の白い指が重なる。
同じだ。
そんなはずがないのに、同じだ。
男子のそばにいた女子が笑って言った。
「梓さん」
めぐみは、その名に引っかかった。
そして、次の言葉で世界が止まる。
「けんたろうくん」
ありふれたはずの名前が、刃物みたいに耳へ入る。
鍵盤の上で、指が動く。
その動きが、確信を連れてくる。
まさか。
まさか、ここに。
めぐみは一歩も動けなくなった。
息をすることだけが、仕事になった。
普通の学園祭が、たった一音で運命に変わる。
そんなことが、ある?
ゆっくりと、めぐみの顔から虚勢が剥がれていく。
残ったのは、燃えるような静けさ。
負けたくない。
負けたまま消えるのが怖い。
夢を、誰かの言葉で玩具みたいに扱われるのが耐えられない。
トップアイドルとしてのプライドが、熱く燃えている。
まだ、ここで終わるわけにはいかない。
だから。
めぐみは、心の中で低く誓った。
あの指先が、夜を裂くなら。
私は、私の光で、もう一度夜を照らす。
その光が届くまで、目を逸らさない。
絶対に――勝ってやる。
そのためなら、どんな手を使ってでも。




