vol.58 指先だけの宣戦布告
翌日。
スタジオのドアを開けた瞬間。
ソファでスマホをいじっていたユージが、獲物を見つけてニヤリと笑う。
「おう、けんたろう!
羨ましすぎるだろ!
女王の城に乗り込んで、ミドヴァの美女とお好み焼きパーティーだって?
前世でどんな徳を積んだら、そうなるんだよ!」
「声がでかい!
あやさんから聞いたんだろ……」
「当たりめーだろ!
速攻でメッセージ来たわ!」
やっぱり。
あやさんのニヤけ顔が目に浮かぶ。
その顔がなんだか腹立たしくて、僕は少しだけむくれた。
「もう、からかわないでよ……。
お好み焼きひっくり返すの失敗して、ぐっちゃぐちゃになっちゃったんだから」
「ぶははっ!
だろうな!
お前、不器用だもんな!
目に浮かぶぜ!」
笑い声がスタジオに響く。
その響き方が、少しだけ昨日のリビングと似ている。
僕は一瞬だけ、気が抜けた。
「けんたろうくん、おはよう」
近くのデスクから、綾音さんが立ち上がる。
いつも通り穏やかな声。
でも、近づく足取りがやけに静か。
僕は背筋を正してしまう。
「昨日は大変だったみたいだね。
お好み焼き、失敗しちゃったんだって?」
「綾音さん、おはようございます。
ええと、まあ……」
「すごいじゃない。
Midnight Verdictの美人お姉さんに囲まれて」
笑っているのに、瞳の奥が笑っていない。
心配が、浮いている。
薄い膜みたいに。
「プライベートに踏み込むつもりはないよ。
でもね、今のけんたろうくんは、たくさんの人の夢を背負ってる。
あなたが一歩間違えたら、Synaptic Driveも、けいとさんたちも傷つくのよ」
叱る口調じゃない。
諭すというより、守る人の声だ。
「……はい。
本当に、気をつけます」
僕が頷くと、綾音さんは少しだけ肩の力を抜いた。
「うん。
わかってくれればいいの」
その時だ。
ドアが乱暴に開く。
社長だ。
手には一枚の企画書。
部屋の空気が一変する。
仕事の匂い。
「お前ら、デカいのが来たぞ」
社長は紙をテーブルに叩きつけた。
「来週の『ミュージックコネクト』。
Dream Jumpsとの共演だ」
室温が、数度下がった気がした。
Dream Jumps。
今もっとも勢いのある、太陽のアイドルグループ。
「マジっすか……!」
ユージが息を呑む。
「ああ。
だが問題は一つだ」
社長の視線が、僕を射抜く。
「けんたろう。
お前をどうステージに上げるか、だ」
議論の火蓋が切られた。
「安全策を取るなら、けんたろうくんは完全に裏方です。
ステージ上には出せません」
綾音さんが即座に防御線を張る。
「いやいや、それじゃ意味ねぇだろ!」
ユージが食ってかかる。
「シナドラは俺とけんたろうのユニットだ!
あいつの存在感は見せつけなきゃダメなんだよ!」
「じゃあどうするのよ!
今回もシルエット?
仮面?
それだけでも詮索されるリスクがあるわ!」
正論と情熱の衝突。
僕は何も言えずに唇を噛んだ。
出たい。
僕もあの熱狂の中に立ちたい。
でも、顔を出せばすべてが終わる。
そのとき、ふと、頭の奥で何かが光った。
僕の武器。
僕の言葉。
それは……。
「……あの」
僕がおずおずと口を開くと、全員の視線が集まる。
言葉が引っかかる。
それでも、言いたい。
「顔も、姿も見せなくていい。
でも、僕の音楽がどこから生まれているか、それだけは見せたいんです。
僕の……指先だけを、映すことはできませんか?」
部屋が静まり返る。
「指先……?」
綾音さんが小さく呟く。
その横で、、ユージの目がぱっと点く。
「指先!
いいじゃん!
最高にミステリアスだ!
暗転したステージにスポットライトがバチーンと当たって、鍵盤の上を走る指だけが映るんだ!
で、俺がマイクで煽る!
『アイドルごっこは終わりだ!』ってな!」
「待て、ユージ」
社長が低い声で制す。
「ただの悪口は三流のやることだ」
社長は紙を机に置き、指で叩く。
合図みたいに一回。
そして二回。
「いいか、奴らは『夢』を売ってるプロだ。
だったらこっちは、混ぜ物なしの『本物』をぶつけるんだ」
ニヤリと笑う。
その笑い方は、勝ち筋をもう見ている。
「けんたろうの『指先』で、俺たちの音楽の魂を見せろ。
そしてユージ。お前が宣言しろ」
社長の言葉が、部屋の空気を震わせた。
「――俺たちが、本物の音楽の夢を見せてやる、と」
武者震いがした。
それは、ただの共演じゃない。
僕の指先が、僕たちの音楽が、この国の眩しさに別の光をぶつける夜になる。
指を動かすだけ。
なのに、そこに賭けられるものが大きすぎる。
背中が熱くなる。
僕は拳を握りしめ、静かに、そして深く頷いた。




