vol.55 女王の証明
最後の音が消えた。
息をするのさえ、不作法。
静けさが降りる。
スタジオの呼吸が、同じ高さで宙に浮く。
魔法のような数秒。
次の瞬間、拍手が割れる。
歓声が遅れて追いつく。
波。
うねり。
天井へぶつかる跳ね返る。
Dream Jumpsのときの熱狂とは違う。
作られた明るさじゃない。
胸の奥から搾り出した賞賛。
それが、音になって押し寄せた。
舞台袖。
光を失った太陽。
Dream Jumpsの5人。
ついさっきまで日本中を照らしていたはずの笑顔。
今は凍り付いている。
センターのめぐみの唇が、音もなく震えた。
「これが…本物の『女王』…。
私たちの太陽の光じゃ、届かない…」
ダンスの申し子であるりおが、白くなるほど拳を握りしめている。
「レベルが違う…。
音、空気、お客さんの視線。
全部が支配されてる…」
愛嬌たっぷりの笑顔が武器のゆずは、顔を青くしている。
「お客さんの顔が…私たちの時と全然違う。
楽しませるんじゃなくて、心を直接揺さぶってる…」
グループ随一の歌唱力を誇るももは、ただただ言葉を失う。
「あの歌声……技術じゃない。
感情、そのもの……。
心臓、掴まれた……」
末っ子のあいに至っては、恐怖で涙さえ流せない。
「こわい…勝てないよ…あんな人たちに…」
彼女たちの前に立っているのは、憧れではない。
高くて、美しくて、手を伸ばせば伸ばすほど遠ざかる壁だ。
そこへ、ステージを降りてきたMidnight Verdictの六人が通り過ぎる。
黒い衣装が、拍手の余熱をまとって歩いてくる。
すれ違いざま。
けいとが足を止める。
視線だけが、めぐみに。
言葉はない。
けれど、その涼やかな瞳は物語る。
『まだ、早い』
一瞥。
それだけで相手をひざまづかせる、女王の重力。
続いて、あやが肩をすくめるように笑って、軽くウインク。
『可愛いお遊戯だったわよ』
そんな幻聴が聞こえそうなほどの余裕。
Dream Jumpsの誰も、背中を見送ることしかできなかった。
♪ ♪ ♪
その夜、熱狂はネットの世界で爆発した。
動画サイトのトップには、同じ瞬間が何十通りにも切り取られて並ぶ。
まず目に入ったのは、あのサムネイル。
【女王の騎士団へ】
我が女王の御前でひざまずけ。けいと様の伝説を目撃せよ。
「女王の騎士団長」ザッツ小泉が、背筋の伸びた姿勢でカメラに向かって一礼した。
スーツの襟を正す仕草。
言葉より先に、礼節。
声は低く、整っている。
熱を隠しているのではない。
熱を磨いている。
「諸君、ごきげんよう。
今夜ほど『帰還』という言葉が、安っぽく聞こえる夜はありませんでした」
小泉は一拍置き、ため息みたいに笑う。
「けいと様は、沈黙を闇にしなかった。
闇を、音に変えた。
――それだけです。
たったそれだけで、会場は支配されました」
彼は語りながら、画面の隅に小さく当夜の映像を流す。
視線はカメラから逸れない。
逸れないのに、見ているのは明らかに数秒だ。
「『天使が舞い降りた日』。
まず、タイトル。
日本語。
これが何を意味するか。
彼女は今夜、物語を前に出したのです。
技巧ではなく、告白を。
そして驚くべきは、告白を甘くせず、凛と立てたこと」
熱はあるのに声は静かで、その静けさが逆に怖い。
「息の置き方が違う。
一番の出だし、あの子音の立て方。
泣かせに来ていない。
媚びていない。
それでも胸が痛いのは、彼女が嘘をついていないからです」
小泉は最後に、もう一度だけ綺麗に頭を下げた。
「以上。
今夜は神話などではありません。
証明です。
女王が女王である理由を、ただ音楽で示した。
それだけの夜です」
もう一つは、極彩色の文字が躍る暴力的なサムネイル。
【音楽シーン、大爆発ッ!】
おいテメェら!神々の戦争が始まってんだよ!乗り遅れんな!
再生した瞬間、音割れした絶叫が飛んでくる。
熱血YouTuber、セブ直山が机をバンバン叩きながら吼えている。
「うおおおお!
見たかオイ!
Synaptic Drive!
一条零!
そしてDream Jumps!
全部ヤベェ!
全部最高だろ!」
「いいか、今のシーンには渦がある!
ひとつは、謎のプロデューサー『けんたろう』って名前の渦だ!
もうひとつは――女王けいと!
孤高の渦だ!
この二つがぶつかったらどうなる!?
想像しただけで、脳みそ沸騰だろ!」
ネットの掲示板は、もはや制御不能な熱に浮かされる。
『けいとの告白ソング、ガチ泣きした』
『いや、時代の勢いはシナドラだろ』
『つーか、マジで「けんたろう」って何者?』
『けいとvsけんたろう、この構図がエグい』
♪ ♪ ♪
無数の声。
声、声、声。
賞賛。
憶測。
嫉妬。
期待。
デジタルの砂嵐が、巨大なノイズとなって僕を飲み込もうとする。
怖いほどの反響だ。
自分の指先から生まれたささやかな音が、世界を揺らしているなんて。
ポケットの中で、スマホが短く震えた。
画面に表示されたのは、たった一人の名前。
けいとさん:『見てくれた?』
たったそれだけ。
なのに、すべてを見透かされた気がした。
世界中が彼女を「女王」と呼んで騒いでいるこの瞬間。
彼女は僕だけに問いかけてくる。
二人だけの秘密の音が鳴った気がした。




