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vol.54 天使が舞い降りた日

 番組MCのゴリマッチョ岡田が、いつもより一段高い声で煽る。

 待たせた分だけ、言葉が踊る。


「さあ、続いてはMidnight Verdictの皆さんです!

 久しぶりの新曲、本当に楽しみにしていました!」


 ステージの六人が手を振る。

 ライトを受けた笑顔は眩しいのに、どこか冷えても見える。


 リーダーのけいとさんが、一歩だけ前に出た。


「ありがとうございます。

 皆さんに、私たちの新しい一面をお見せできると思います」


 岡田が曲名を聞く。

 けいとさんは、ほんの少しだけ照れた。

 照れた、というより、胸の奥の何かを一度だけ確かめるように息を入れ替えた。


「今回のタイトルは……『天使が舞い降りた日』、です」


 空気が、一瞬遅れて揺れた。

 ざわめきがどよめきに変わり、どよめきが歓声に変わりきれないまま渦を巻く。

 日本語タイトル。

 その意外性が、人の喉の奥をくすぐって、声になりそこねた音を溢れさせる。


 テレビの前で、僕とけんたろうとユージは同時に固まった。


「あれ?

 あや、ギター持ってないぞ」


 ユージの指摘は鋭かった。

 ステージの最前線で音をかき鳴らすあやさんが、マイクスタンドの前でコーラスの位置に下がっている。

 ギターの代わりに、マイク。


「けいとさんが……キーボードでセンター?」


 僕は呟いてから、自分の声がやけに乾いていることに気づいた。

 フォーメーションが違う。

 いつもと違う。

 立ち位置も、空気も、彼女の瞳の色さえも。

 何が始まるんだ?


 けいとさんの細い指が、鍵盤に触れた。

 彼女が、ゆっくりと鍵盤に指を置いた。

 置いた、というより、触れた。祈るみたいに。


 低いシンセベースが、床を伝ってくる。

 Midnight Verdictらしい、と思った瞬間があった。

 安心が喉元まで上がりかけて、すぐに引っ込む。

 同じ速さの鼓動なのに、触れ方が違う。

 甘い。

 ロマンチック。

 胸の奥にだけ棘を残す。

 切なさが、音の影に隠れて近づいてくる。


 けいとさんが唇を開く。



 まだ声があどけなくて

 ふいに見せる真剣な顔に

 胸の奥 かすかに響いた

 知らない音がしたの



 鳥肌が立った。

 今までコーラスラインに隠れていた、けいとさんの本当の声。

 今、真正面から届いてくる声は、甘くて、少しハスキーで、そして驚くほど切実。

 胸の中心を、細い針で縫われるみたいに響く。



 季節はたぶん 春の終わり

 誰もいない あの公園で

 名前を呼ぶ その声に

 天使が そっと舞い降りた



 まさか。

 そんなはずはない。

 否定が追いつく前に、記憶が先に立ち上がった。


 あの日の空気。

 あの日の間。

 僕だけが知っているはずの空気が、歌になって流れてくる。

 僕は息を潜めた。

 僕は隣にいるユージの存在さえ忘れ、画面の中の彼女に吸い寄せられていた。



 何も言わずにそばにいた

 ただ それだけで苦しくて

 気づかれたくない気持ちが

 影のように揺れていた

 ふたりの間に降りてきた天使は

 まだ内緒ねって 微笑んだ

 こぼれそうな 想いごと

 風に隠してた



 サビで、音が一段明るくなる。

 その明るさが残酷だった。

 隠してきたものを、照らしてしまう明るさ。


 

 サビに入ると同時に、世界が色を変えた。

 あやさんのコーラスが、力強く背中を押す。

 ひなちゃんとこはるちゃんのハーモニーは、柔らかい羽になって支える。

 さやかさんのドラムだけが迷わない。

 切ない言葉を踏みつけるみたいに、一直線のビートを刻んでいく。

 全員が、リーダーの「告白」を全力で肯定し、支えている。

 ――行け、と言っている。



 ねえ 君は覚えてる?

 靴ひもがほどけてた午後

 しゃがむ背中に手をのせて

 言葉より先に 心が触れた

 年の差なんて 数えるほど

 だけど なぜか 遠く見えた

 そのまなざしの奥には

 知らない景色があった



 あの日の、アスファルトの熱さまで蘇る。

 ほどけた靴ひも。

 彼女の手のぬくもり。

 言葉なんていらなかった瞬間。

 年の差。

 秘密。

 追いつけない未来。

 口にすると道徳の匂いがしてしまう言葉。

 彼女は音に溶かす。

 ただの痛みとして差し出す。

 痛みは嘘をつけない。

 だから、怖い。

 



 君が夢を語るたびに

 少しだけ寂しくなるのは

 きっと未来のどこかで

 私がただ 願ってるから

 ふたりの間に降りてきた天使が

「今だけを大事にして」と言った

 だから今も

 胸の奥で光ってる



 最後のサビで、けいとさんの声が変わった。

 切なさの中に、決意が混ざる。

 過去を抱きしめたまま、未来へ歩く人の声だ。


 最後の音が消えた。

 スタジオは静かだった。

 静かすぎて、誰かの呼吸が罪みたいに聞こえる。

 完全なる静寂。

 魔法にかけられた数秒間。

 次の瞬間、拍手が割れた。

 歓声が遅れて追いついてきた。

 Dream Jumpsの時の熱狂とは違う。

 作った熱じゃない。

 深く沈んでから噴き上がる、感嘆の波。


『天使が舞い降りた日』。

 画面の向こう、けいとさんが静かに微笑む。


「今だけを大事にして」


 けいとさんと出会えた人生。

 その奇跡を運んでくれた天使に、僕は心の中で深く感謝した。

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