表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/194

vol.47 交錯する想い

 あやのマンションのリビングは、めずらしく音を失っていた。

 いつもならスピーカーの余韻や、誰かの笑いが壁に跳ね返っているはずの部屋。

 今日は沈黙だけが沈殿している。

 ソファの繊維一本一本にまで、重苦しい沈黙が染みついていて剝がれない。


 引きずるように連れてこられたのは、けいと。

 スランプという名の霧に閉ざされ、自室に引きこもっていたけいとを、あやが半ば強引に連れ出した。

 その知らせにメンバーたちも集まり、気づけば全員が揃う。

 揃ったのに、輪にならない。

 中心が、凍っている。


 その輪の中心に、けいと。

 ソファの隅で膝を抱え、その表情は長い前髪の影に沈んでいる。

 ただ、膝を抱える指先が、まるで自分自身を押し留めるかのように白く浮かび上がり、彼女の内なる心を静かに物語る。


「……だから、会えないって言ってるでしょ」


 消え入りそうな、しかし棘のある声。

 部屋の空気が、微かに震える。

 あやのスマホには、ユージからの『準備OK』という短いメッセージ。


「理由を聞かせて。

 このままじゃ、けいとが壊れるだけだよ」


 あやの言葉は鋭いが、湿った優しさを帯びていた。

 けいとは返事をしない。前髪の向こうで、視線だけが逃げる。

 普段なら真っ先に軽口を叩いて空気を混ぜ返すひなたでさえ、今は腕を組み、唇を一文字に結んでいる。

 喉元まで出かかった冗談は、けいとのあまりに脆い背中を見て、音になる前に消えた。


 隣に座るこはるが、おずおずと口を開く。


「けいとちゃん……あったかいココア、飲む…?

 ふわふわになる魔法、かけといたから……」


 その不思議な優しさに、硬直していた空気がほんの少し溶け始めた。

 それでも、けいとの肩は動かない。

 さやかが、そっとその肩に手を置く。

 触れるというより、そこにいることを伝えるみたいに。


「怖いんだよね。

 けんたろうちゃんに会うのが」


 その一言で、けいとの肩が大きく震えた。

 息を止めていたものが、やっと外へ漏れる。


「……どの面下げて、会えっていうのよ……!」


「けいと……」


「『住む世界が変わる』なんて偉そうなこと言って、私から突き放したのに!

 なのに見てよ、今の私……!」


 声が掠れる。

 言葉が、喉に引っかかる。


「彼の隣にはもう立てない。

 一条零は、彼の音を……私よりずっと深く理解してる……。

 置いていかれたのは、私のほうじゃない……っ」



 スランプ

 焦燥

 プライド


 自らの言葉で愛する人を遠ざけたことへの悔恨。


 複雑な不協和音が、けいとの内側で鳴り響く。


 それまで、壁に寄りかかっていたかおりが、静かに口を開く。


「理解されるために、音を鳴らしてるのか?」


 その問いは、鋭利な刃物のように真っ直ぐにけいとの核心を突いた。

 部屋にいる全員の視線が、かおりに、そしてけいとに注がれる。


「違う……。

 私は、ただ……」


「なら、確かめに行けばいい。

 自分の音が、まだそこにあるのかを」


 かおりはそれだけ言うと、ふいと視線を窓の外へ向けた。

 窓ガラスに映る彼女の横顔が、どこか遠い景色を見つめている。

 その簡潔な言葉が、プライドと後悔の鎖を断ち切る鍵音となった。


 けいとは、ゆっくり顔を上げる。

 瞳の底に不安は濃い。

 それでも、その奥で小さな火が点る。


 彼女は、部屋にいる仲間たち一人一人の顔を、楽譜を読み込むように見つめる。

 そして、かすれた声で旋律を紡ぎ出した。


「……あや、さやか。

 付いてきてくれる?」


「はぁ!?

 アタシは!?」


 ひなたが声を上げる。


「しょーがないなー。

 アタシが護衛してやんよ!」


 いつもの調子で押し込むように言ってみせる。

 けいとは、弱々しく首を振った。


「ありがとう、ひなた。

 でも……あの時の決断を、一番近くで見てた二人に……そばにいてほしいの」


 ひなたは一瞬、口を尖らせる。

 けれどすぐ、息を吐いて髪をかき上げた。


「……へいへい。

 主役のワガママってやつね。

 ちゃんとケリつけてきな。

 じゃないと、アタシが乗り込んで全部ぶち壊すから」


 乱暴な言葉の裏に、ちゃんと帰ってこいが入っている。


「……私たち、ここで待ってるね」


 こはるはそう言って、キッチンへ向かった。

 ケトルに水を入れる音が、小さく鳴る。

 温かいものを用意する、その手つきが「帰る場所はここだよ」と黙って言っている。

 かおりも、頷いた。


「迷ったら、私たちの音を思い出して」


 けいとは、強く頷き返す。


「当たり前でしょ」


 あやがけいとの手を取る。その手は力強い。

 さやかが背中に添える掌は、柔らかい。

 三人分の体温に押されて、けいとはようやく立ち上がった。


 ♪ ♪ ♪


 同じ頃。

 別のスタジオでは、ユージが練習を終えたけんたろうの肩を、陽気に叩いていた。


「お疲れ、けんたろう。

 どうだ、このままドライブでも行かね?」


「え、いいね。

 どこ行くの?」


 最近の煮詰まりを知っているからこそ、わざと気軽に言う。

 けんたろうは疑いもせず、笑って頷いた。


「風の向くまま、気の向くままよ。

 ……いいフレーズでも降ってくるかもな」


 ユージは悪戯っぽく笑い、けんたろうの背中を押してスタジオの外へと促す。

 そのポケットの中。

 あやからの『向かう』という短い着信で震える。


 静かに。

 一度だけ。

 心拍のように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ