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vol.45 2兆分の1のKISS BABY

 渋谷のゲリラCM。

 深夜ラジオの電撃発表。

 そして三日目の夜——僕らは最後の奇襲を仕掛けた。


 大手テレビ局の生放送音楽番組。

 Rogue Soundの社長が番組側に直談判。

 その異常なまでの話題性から、視聴率の起爆剤になると踏んだ番組プロデューサーが、異例の決断を下したのだ。


「さて、今夜もありがとうございました!

 来週も豪華ゲストを…」


 お笑い芸人・マヨネーズ田村が番組を締めようとしたその時。

 隣に立つグラビアアイドル・若月千冬の目が、大きく見開かれた。

 慌ててカンペを指差す。


「え?

 田村さん、まだ何か…お客さん?」


「おっと、終了ギリギリに飛び込みゲストですって!

 一体誰でしょうねぇ?」


 白々しい煽り。

 観客席から、期待という名のさざ波。

 その瞬間。


 ブツン。


 スタジオの全照明が落ちた。

 闇。

 そして、一本のスポットライトが、ステージの入口を鋭利に切り裂く。

 浮かび上がったのは、二つの影。


「「「キャーーーーーーッ!!!」」」


 悲鳴か、歓声か。

 鼓膜を食い破るような轟音がスタジオを揺るがす。


「えええええ!?

 Synaptic Drive!?

 マジで!?」


 田村の声が裏返る。

 台本にはない興奮。


 何百という目線が、音も立てずにこちらへ集中する。

 僕は一礼し、まっすぐに、ステージ中央のピアノへ歩く。

 脳裏にあるのは、けいとさんの顔だけ。

 それ以外は全部、ノイズだ。


 指を振り下ろす。


 激しく、歪みきったギターリフ。

 これまでのユーロビートの記憶を粉砕する。

 ロックだ。

 それも、血の味がするような。

 僕のピアノが、その暴走する音に食らいつく。

 挑発し、絡み合い、火花を散らす。


 新曲『KISS BABY』。


 ユージがマイクスタンドを掴む。

 喉の奥に火の粉を抱えたような、ワイルドで情熱的なシャウトへと姿を変える。



 KISS BABY この夜に溶けて

 君の声だけ 僕を生かしてる

 KISS BABY 壊れてもいいよ

 抱きしめてよ 嘘でもいいから



 ――煌く照明、爆発する歓声。

 舞台上でユージが叫ぶ――



 KISS BABY この夢が終わっても

 君の記憶が 僕を縛ってる

 KISS BABY 消えてもいいよ

 最後のキス それだけでいい



 最後のフレーズが空気に溶けたあと、会場は一瞬だけ、真空みたいに静かになった。

 そして次の瞬間、巨大な何かが崩れ落ちるみたいな歓声が襲いかかる。


 その凄まじい熱量は、テレビの画面を通して、日本中の居間やワンルームへと流れ出していった。


 ♪ ♪ ♪


 けいとはテレビの前で動けなかった。

『KISS BABY』

 ――その圧倒的な熱量、剥き出しの情熱は、まるで自分宛てに届いた叫びのようだった。

 言葉を失い、ただ静かに頬を濡らすしかない。


 KISS BABY 壊れてもいいよ

 抱きしめてよ 嘘でもいいから――


(けんたろうちゃん……私はちゃんと、あなたの音楽を聴いてるよ)


 一条零は、自室のモニターでそのパフォーマンスを見ながら、面白そうに口角を上げた。

「ロックまでやるなんて…あなたの音楽は本当に面白い」

 けんたろうを追いかける者として、彼の底知れない才能に改めて戦慄と喜びを感じていた。


 そして、Dream Jumpsのデビューが控えるプロデューサーの春本は、役員室で苦々しく呟いた。

「……まさかここまでやるとは…」

 彼の緻密な計算を完全に超えたこの「現象」を前に、野心家のプライドが静かに軋む音を立てていた。


 ♪ ♪ ♪


 曲が終わる。

 肩で息をするユージに、マヨネーズ田村がよろめきながらマイクを向ける。


「いやー、Synaptic Drive!すごい!

 ゲリラ三部作、最後はテレビ生出演とは!

 どうなってんの!?」


 ユージは汗に濡れた髪をかき上げ、ニヤリと笑った。


「うちのスーパープロデューサーはな、本当はこんなチマチマやりたくねーんだよ!」


 スタジオ中スローモーションになったような静かさ。

 次の言葉を待つ。


「あっという間に2兆曲くらいやっちまうからな!」


 一瞬の沈黙。


 そして、スタジオは爆笑の渦に包まれた。


 観客は腹を抱えて笑い、田村も

「2兆曲て!あんた!桁がおかしいだろ!」

 と盛大にツッコミを入れる。

 ユージはそんなカオスな状況を楽しそうに見渡すと、「アバヨ!」と一言残し、僕の肩を抱いて颯爽とステージを後にした。


 地鳴りのような歓声。

 僕の名を叫ぶ大歓声。

 その渦中で、たった一人にだけ届いてほしかった想いが――

 逆に、どんどん遠くかき消されていく。


 ネットの反応:セブ・直山、絶叫。

 その夜、人気Youtuberセブ・直山のチャンネルで、過去最速の緊急生配信が始まった。


「見たかお前らぁーーーっ!

 歴史が動いたぞ!

 3日で3曲!

 イケイケユーロ、哀愁ユーロ、からのゴリッゴリのロック!

『KISS BABY』!

 けんたろうの引き出しはどうなってんだ!

 ピアノとロックの融合、カッコよすぎて脳みそ痺れたわ!」


 セブ・直山は、マイクを握りしめて叫ぶ。


「そしてユージの『2兆曲』発言!

 あれは伝説になる!

 もうTwitterじゃ『#2兆曲』が世界トレンド1位だぞ!

 意味わかんねぇよ最高かよ!

 既存のルールブックをビリビリに破り捨てて、Synaptic Driveは完全に日本の音楽業界をハックした!

 これは革命だ!

 Midnight Verdictも一条零も、もう黙っちゃいねぇだろ!

 音楽業界は今日から、マジの戦国時代に突入したんだよ!」


 <ネットの反応>

「ちょっと待って、シルエットのけんたろうくん、今回も何も喋らなかったけど、存在感エグい…!」

「ユージさんの『2兆曲』って何!?www意味わかんないけど最高にロックだわww」

「『2兆曲』ってツッコミ待ちだろこれwwいや、でもSynaptic Driveなら本当にやりかねない気がする!」

 ゲリラプロモーションに賛否両論、しかし大半が絶賛!

「最初は戸惑ったけど、この3日間で完全にSynaptic Driveの沼にハマったわ。次は何してくれるんだ!?」

「心臓に悪いけど、毎日サプライズあって楽しい!他のアーティストもこれくらいやってほしい!」

 一方、

「ファンとしては嬉しいけど、ちょっと急すぎない?もう少し心の準備を…」

 といった戸惑いの声も少数ながら見られた。


「2兆曲」発言が大流行!

 ユージの「2兆曲」発言は瞬く間にネットミーム化。

「お前も2兆曲作れ!」

「俺の財布にも2兆円欲しい」

「今日中に宿題2兆個終わらせる!」

 など、様々な文脈で使われ、ネット上での拡散力を見せつけた。


「謎多きスーパープロデューサー・けんたろうの正体とは」

 テレビでのシルエット登場が話題を呼び、ベールに包まれた僕の正体に関心が集中。

「一体何歳なのか?」

「これまでの経歴は?」

「なぜ顔を出さないのか?」

 など、憶測だけが、好き勝手な形をして飛び交っていた。


 熱狂の渦は、僕の想像をはるかに超えて巨大化していた。


 嵐の中心。

 僕の心臓だけが、凍りついたように静かだった。

 ユージの隣で廊下を歩く。

 足音が虚しく響く。


『NEVERLAND』で歌ったのは、変わることへの恐怖。

『I WANNA BE YOUR SUPERHERO』で歌ったのは、届かない想いと守りたいという願い。

 そして、この『KISS BABY』に込めたのは、ただ一つの、どうしようもないほどの愛情だ。


 世間が「2兆曲」と騒ぐ中、僕が届けたかったのは、このたった3曲に込めた、たった一つの想いだけ。


 熱狂の波が少しずつ引いていく深夜、僕は一人、部屋の窓から街のネオンを見つめる。

 けいとさんに追いつきたい。

 振り向いて欲しい。


 でも、僕が多くの光を浴びれば浴びるほど、二人の間に深い影が落ちていく。

 スポットライトが強すぎて、けいとさんの姿すら、眩しさの向こうに見えなくなりそうだ。



 KISS BABY この夜に溶けて

 君の声だけ 僕を生かしてる――



 何のための音楽だったのか──

 自分で掘った穴に、いま、静かに落ちていく。

 掘る道具を手離せないまま、その底がどこに繋がっているのかも知らず。


 2兆分の1。

 窓の外のネオンだけが、僕のちっぽけな絶望を、黙って見つめていた。

 けいとさん、僕の思い、少しでも……。

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