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vol.39 誠実になれ、女王

 一条零の変貌を映し出すテレビ画面。

 青白く光る。

 リビングの薄暗い空気を切り裂く。


 私たちは、その正面に座り、誰も言葉を発せない。

 けんたろうにだけ向けられた、満面の笑み。

 心臓を一突き。

 小さな氷のかけらが、静かに体の中へ落ちる。

 まだ胸の奥でうずく。


「あんなの、ずるいよ……っ!」


 あやが最初に声を上げる。

 どこか頼りない声。

 部屋の壁に溶ける。

 太陽のように快活な、あや。

 今は小さなランプのように頼りなく揺れる。


「……うん。

 私、零さんの歌、ずっと憧れてたけど。

 今日のはすごく……あったかかった。

 今までと、全然ちがう……」


 こはるのふわりとした、静かな声。

 彼女の細い指が毛布の端をいじっている。


 隣のさやかは、静かに首を垂れた。


「一条さん、きっと、何かを吹っ切ったのですね。

 とても素直な、嘘のない歌声でした……」


 純粋な憧れ。

 どうしようもない敗北感。


 私は、何も言えない。

 ソファの端で腕を組み、じっとテレビを睨みつける。

 背中には、窓際から染み込んでくる夜の冷たさ。

 足元では、焦りや絶望。

 黒い泥になって、じわじわと絡みつく。

 身じろぎするたびに、胸の奥まで冷たさが這い上がる。


 それでも、私は女王の仮面で、自分をかろうじて守っていた。


「ねーえ、けいと!」


 ひなたが、わざと大げさに背中をつつく。


「このままメソメソしてたら、マジであの女にけんたろうちゃん、取られちゃうよ?」


 いつもなら笑って返せるその軽さが、今は胸に小さな針を刺すように痛い。


「おだまり、ひなた」


 低く押し殺した声で返す。


「うわ、マジ顔~。

 でも、いまのちょっと可愛かったかも?」


 茶化すひなたを睨んでも、私の心は部屋の隅の闇へと沈んでいくばかり。


 私は、身体をさらにソファに沈める。

 部屋ごと、真っ暗なところへ沈んでいくような気がする。

 ステージ上の光り輝く女王の姿。

 そんなもの、どこにも見つからない。

 ただの、惨めでちっぽけな、失恋に怯える女の子がいるだけだ。


「けいとちゃん……」


 さやかはそっと私の隣に腰かける。

 白い手で軽く私の手を握る。


「心が嵐の中にいるときは、静かに過ぎ去るのを待つのも大切ですから」


 おしとやかな声。

 そのぬくもりが、氷塊に小さなひびを入れてくれる。


「けいとちゃーん、おなかすかない?」


 こはるが私の膝にこてん、と頭をのせる。


 心が空っぽのときはね、美味しいもので満たしてあげないと、もっと空っぽになっちゃうんだよぉ」


 彼女の髪が、柔らかな羽毛のようにふわりと触れてくる。

 この天然な温もりに、ほんの少しだけ心がほどけていく。


 みんなの優しさが、痛い。

 温かいのに、痛い。


「でも…」


 私の声は驚くほどか細い声だった。


 一条零の歌。けんたろうに向けられた笑顔。

 私のけんたろうを、失ってしまうかもしれない。

 その恐怖が、蛇のように胸に絡みつく。


 あやがテーブルをバン!とたたく。


「当たり前でしょ!

 けいとは私たちのリーダーで、けんたろうちゃんは私たちの弟分!

 どっちも諦めるなんて選択肢、あるわけないじゃん!」


 部屋の空気がピンと立つ。


「私たちはMidnight Verdictだよ!

 一条零に負けたままでいる気なんて、サラサラない!

 やるよ、けいと!」


 あやの太陽みたいな熱が、薄雲の向こうの光のように部屋を照らす。


「いっそSNSでラブラブアピールしちゃうとか?

『女王の恋人は私のもの♡』って感じで!」


「けんたろうちゃん、最近お星さまみたいなキラキラが足りてないお顔してるもん…。

 みんなでプラネタリウムに行ったら、元気になるかなぁ…?」


 ひなたとこはるの声が部屋に弾む。

 議論は熱を帯びて、この部屋の空気温度までも少しだけ上がる。

 でも私の心はまだ、霧に包まれてなかなか晴れなかった。

 その時。


「……うるさい」


 壁際にいたかおりの声。

 暖かさも熱も、一瞬で凍りつく。


「ギャーギャー騒いでるだけじゃ、なんの音も鳴らせねえよ」


 彼女はまっすぐに私を見据えた。

 私が必死に守ってきたプライド

 言い訳

 すべてを見通してる。


「嘘はダサい。

 ……けんたろうへの気持ちに、嘘ついてんじゃないよ」


 短く、重く告げる。


「――誠実になれ、けいと」


 その一言が、心臓を貫いく。

 空気が震えた。


 私は、彼への気持ちに、本当に誠実だっただろうか?

 彼を独り占めしたいと願いながら、「女王」としてのプライドや世間体を盾にして、傷つくことから逃げていただけじゃないのか。

「寂しい」の一言さえ飲み込んで、平気なふりをして。

 彼を遠ざけていたのは私自身だ。


 胸の奥で、何かが融けだす。

 私は、小さく息を吸って、顔を上げた。


「……私は、けんたろうちゃんを、誰よりも大切に思ってる」


 部屋がしんと静まった。


「絶対に……絶対に、失いたくない」


 全員が私を見つめている。

 その無言が、温かい毛布みたいに心にかぶさった。


「そっか!

 けいとがそう思ってる限り、私たちは全力でサポートするっ!」


 あやの笑顔が、真夏の太陽みたいに弾ける。


「私たちはMidnight Verdictです。

 けいとちゃんひとりの悩みじゃありません」


 さやかがやわらかな声で伝えてくれて、こはるも「ですー」とそっと添えるように笑う。


「けいとが動けば、風が変わる。」


 かおりが短く拳を握った。

 その目には、真っすぐな熱が宿っていた。


「いいね~!

 何かテンション上がってきた!

 じゃ、落ち込んでる時間なんてなーし!

 さっきよりいっぱい抱きしめてあげるよ、けいと!」


 ひなたがふざけ半分、本気半分で勢いよく私に飛びついてくる。私は思わず

「やめろ、お調子者!」

 思わず振り払う。

 けれど、口元が自然に、すこしだけ緩んでいるのが自分でも分かった。


 外はまだ暗く、夜の帳が部屋を静かに包んでいる。

 けれど。

 私たちの夜は、ここから明けるのだ。

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