vol.38 歌姫の変貌
数日後。国民的音楽番組『ミュージック・フォレスト』の生放送が始まった。ユージのアパートでテレビを見ていた僕とユージは、今夜の主役の登場を固唾をのんで見守っていた。
「さあ、今夜も始まりました!司会のポッキー田中です!」
軽快なオープニングトークの後、ベテラン司会者の田中が満を持して次のアーティストを紹介する。
「続いては、この方です!その圧倒的な存在感と歌声で、現代の音楽シーンに君臨する歌姫、一条零さん!今夜はあの大ヒットナンバーを、特別なバージョンで披露してくださるそうです!『Starlight Tears』!」
紹介と共に、一条零がステージの中央に現れた。スモークの中から現れた彼女は、僕たちの知る、完璧に構築されたミステリアスでクールな存在そのもの。どこか近寄りがたい神聖さを纏っていた。しかし、イントロが流れ出した瞬間、僕の全身の感覚が警鐘を鳴らした。
「あれ…?一条さんの歌、変わった…」
僕が真っ先にその変化に気づき、思わず呟いた。これは、単なる歌唱技術の向上ではない。魂の在り方が変わったとしか思えない歌声だった。
「そうか?…いや、マジだ…全然違うぞ!」
隣のユージも、目を見開いて画面に食い入る。
『Starlight Tears』は、失恋の哀愁を歌ったポップスだ。これまでの彼女の歌唱は、悲しみを深く、そしてどこか突き放したように神秘的に表現するものだった。だが今、僕たちの耳に届くその歌声は違う。確かに悲しみを湛えているのに、その奥には、これまでになかった力強い希望が燃えていた。絶望の淵で見た一筋の光を、掴み取ろうとする意志。
僕の中に渦巻く、誰にも理解されない孤独や創作の苦しみ――その「心の闇」を、彼女は否定しない。完全に理解はできなくとも、その存在を確かに捉え、闇ごと抱きしめて光へと昇華させようとしている。そんな、あまりにも優しい受容の感覚に襲われた。
「すごい…」
僕の口から、感嘆の声が漏れた。これは、僕が知らない一条零であり、同時に、僕の魂の最も深い部分に呼応する、新しい一条零の表現だった。数週間前のゲリラライブで全てを吐き出して以来、空っぽになった僕の心を、彼女の歌声が満たしていく。
♪ ♪ ♪
同じ頃、レッスンスタジオで大型モニターを見ていたMidnight Verdictのメンバーも、そのパフォーマンスに凍り付いていた。
「……一条零、歌い方が…」
あやが、驚愕に言葉を失う。
「……敵わない。もう、そういう次元じゃない」
ひなたは、険しい表情で画面を睨みつけ、絞り出すように言った。嫉妬と、抗いようのない才能への畏怖が、彼女のプライドを粉々に砕いていく。
「あんな歌…どうやったら歌えるっていうのよ…」
さやかとかおりは静かに顔を見合わせ、こはるも戸惑いを隠せない。
その中で、けいとは一人、全く別の種類の衝撃に打ちのめされていた。
一条零の歌に宿る、光と影。その仄暗く、しかし美しい影は、自分が恋人として隣にいても決して触れることのできない、けんたろうの内面の奥深くにあるものだった。彼の音楽の源泉が、あの孤独な闇にあることを、彼女は薄々感じていた。だが、怖くて踏み込めなかった。彼の苦しみを直視できず、いつも明るく、優しい「けんたろうちゃん」の姿だけを求めていた。
それなのに、一条零は――。
(彼の、あの部分を……引き出せるのは、私じゃなくて……)
冷房の下なのに、背中に汗がつうっと落ちる。彼の笑顔を思い出そうとして、思い出せない。自分には決して見せることのない彼の魂の本当の姿を、一条零が音楽を通して、世界中の前で鮮やかに描き出している。その事実が、恋人である自分の存在意義すら揺るがすようで、彼女を絶望の淵に突き落とした。
♪ ♪ ♪
圧巻の歌唱を終えた一条零は、再びいつもの神秘的な歌姫の仮面を被っていた。司会の田中が、興奮気味に尋ねる。
「一条さん、素晴らしいパフォーマンスでした!正直、今までの『Starlight Tears』とは全く違う、魂が揺さぶられるような歌声でしたが、何か心境の変化が?」
「…聴いた人の、想像にお任せします」
氷のような表情で、彼女は言葉少なに答えるだけだ。そして、番組の終盤。田中が、核心に迫る質問を投げかけた。
「先日、Synaptic Driveのけんたろうさんの楽曲を歌いたいという、衝撃的な発言がありましたが、今もそのお気持ちに変わりはありませんか?」
スタジオ中が息をのむ。一条零は、一瞬の間を置いた。その瞳には、ほんのわずかな迷いと、確かな決意が宿っているように見えた。
「……私は、けんたろうさんの歌を、静かに待つだけです」
その言葉は、彼の才能という「光」だけでなく、創作の苦しみという「闇」をも受け入れ、彼の魂が再び歌う時を信じて待つ、という深い響きを持っていた。誰もが彼女のプロとしての姿勢に感心しかけた、その時だった。
一条零の唇の端が、ゆっくりと持ち上がった。
一条零が笑った
ミステリアスな絶対的歌姫が笑った!
そして、その表情は、まるで感情のダムが決壊したかのように、少女のような、満面の笑みへと変わったのだ。それは、僕がプライベートスタジオで見た、あの、素の笑顔だった。
テレビ画面を通して、その笑顔を見た誰もが、度肝を抜かれた。田中も、ゲストも、そしてテレビの前の全ての視聴者が、時が止まったかのように硬直する。
神聖で絶対的歌姫と言われる彼女が見せた、あまりにも人間的で、無防備な笑顔。
それは、彼女の歌の変化の理由を、そして僕との間に生まれた特別な繋がりを、世界中に告げる、あまりにも雄弁なメッセージだった。
♪ ♪ ♪
翌日。音楽レビュー系YouTuberのトップランナー、セブ・直山のチャンネルに、緊急動画がアップロードされた。背景には「【歴史的事件】」のテロップが踊っている。
「どうもー!セブ・直山です!おいお前ら、昨日の『ミュージック・フォレスト』、見たか!?見てない奴は人生損してるから今すぐTVerで見ろ!一条零が!あの『クールでミステリアスな歌姫』が!笑ったんだよ!!」
セブ・直山は、いつになく興奮してカメラに語りかける。
「SNSも案の定、『#一条零の笑顔』が世界トレンド1位!だがな、本質はそこじゃねえ!あの『Starlight Tears』の歌唱だよ!コメント欄も『悲しい曲なのに希望を感じた』『光が見えた』って絶賛の嵐だが、俺は断言する!あれは、Synaptic Driveのけんたろうへの、究極のアンサーソングだ!」
彼は一度息を吸い、さらに熱を込めて続けた。
「思い出せ!渋谷のゲリラライブで、けんたろうが見せた魂の叫び!あの誰にも理解されない闇の中から光を求める歌声が、一条零の魂を揺さぶったんだ!そして極めつけは、あの笑顔だ!『けんたろうさんの歌を待つ』って言った後の、あのプライベートな笑顔!あれはファンサービスなんかじゃねえ!世界中の誰でもなく、たった一人、『けんたろう』っていう個人に向けられた、あまりにもパーソナルなメッセージなんだ!」
セブ・直山の瞳は、確信に満ちていた。
「一条零の鉄壁の仮面を剥がし、新たな扉を開かせたのは、間違いなくけんたろうだ。これは恋愛とかゴシップとか、そんな陳腐な話じゃない。魂で共鳴し合う二人の天才が起こす化学反応が、今、日本の音楽シーンを根底から揺さぶろうとしてる!俺たちは、とんでもない物語の目撃者になっちまったんだよ!」
彼の言葉は瞬く間に拡散され、一条零の変貌とけんたろうの存在は、もはや切り離せない「事件」として、世間の巨大な熱狂の渦の中心となった。
@MusicFreak_90s MCもゲストも全員ポカーンとしてたなwwww あの一条零をあそこまで変える存在って…やっぱりけんたろうなのか。あのゲリラライブから、全部繋がってるんだな… #因果関係 #運命
@Rei_Daisuki はあ…もう…言葉にならない…一条零さんの新しい表情、美しすぎて息が止まった… あの笑顔が見れただけでも、今日生きててよかった…ありがとうございます… #一条零様 #女神降臨
@MidnightVerdict_OfficialFan ミドヴァの反撃はいつだ??#MidnightVerdict #女王の反撃はいつ
ネット上では、一条零の歌唱の変化と、最後の笑顔が最大の話題となり、瞬く間に「けんたろう」の存在と、彼と一条零の関係性についての憶測が飛び交い始めた。誰も見たことのない一条零の素顔は、音楽業界全体に新たな波紋を広げ、物語はますます混沌としていく。




