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vol.37 vol.37 歌姫と僕だけの秘密

 一条零との密会を終え、僕はRogue Soundの事務所へと戻った。

 サングラス越しに見る世界は、数時間前よりもずっと鮮やかに見える。

 けれど、胸の内側では、さっき交わした言葉と、触れてしまった何かの重さが、いつまでもざわついていた。


 事務所のドアを開ける。

 蛍光灯の白い光。紙コップのコーヒーの匂い。

 さっきまでいた、密やかで上等なスタジオとは真逆の、いつもの空気。


 その真ん中に、社長、ユージ、そして綾音さんが、三角形のように立っていた。

 全員、露骨にソワソワしている。


「けんたろうくん、どうだったんだい…?」


 社長が真っ先に口を開いた。

 大げさだが、彼らにとって一条零との接触はそれほどのリスクだったのだ。

 僕の顔を見ても、彼らはまだ一条零の真の意図を測りかねているようだった。


 僕は深呼吸した。

 どこから話せばいいのか。


「一条零さんは…とんでもない存在でした。」


 ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。


「彼女は、僕の音楽の深い部分を、誰よりも正確に理解していました。

 僕が何を伝えたいのか、どうしてそのメロディが生まれたのか…すべてを見透かされているようでした。

 その洞察の鋭さ、音楽への深い知識…本当に、圧倒されました。」


 綾音さんが口元を押さえる。

 ユージが真顔で頷く。

 ここまでは、想定内の「絶対的歌姫・一条零」の話だ。

 だが、次の一言が空気を凍らせた。


「そして……」


 言うべきか、一瞬迷った。


 でも、隠し通せるはずがない。


「僕が、けいとさんを追いかけていることも……彼女は、すぐに気づきました」


「「「えっ……!?」」」


 三人の声が、見事に重なった。

 ユージが椅子から腰を浮かせる。


「マジかよ……!」


 綾音さんが両手で口を覆う。


「嘘……どうやって……!?」


 社長だけが、深く、深く眉間にシワを刻んでいる。


「……で、どうなったんだ」


「でも…秘密は守ってくれると言ってくれました。

 僕たちの音楽活動に悪影響が出たら困るからって…」


 沈黙。


 それから、三人が同時に息を吐いた。


 信じたい。

 いや、信じるしかない。

 あの真っ直ぐな瞳を思い出せば、嘘をつくような人には見えなかった。


 心の中でそう付け足す。

 口には出さないけれど。


 僕の報告に、三人はほっとしたように、同時に息を吐き出した。

 その反応が、むしろ一条零という存在の重さを物語っているみたいだった。


「今後、一条零さんとの関係をどうするか…今はまだわかりません。

 でも、彼女は僕の曲を歌える日を待っていると言っていました。」


 一条零という神話が、現実の時間軸の上に、はっきりと乗ってしまったことを――

 それぞれが、それぞれの立場で飲み込もうとしているような沈黙。


 その重たい空気を切り裂いたのは、やはりこの男だった。


「ところでさ」


 急にトーンが変わる。


「一条零って、テレビで見るよりぶっ飛んだ美人だよな~。

 実際はどうだったんだ?

 クールで近寄りがたい雰囲気だったろ?」


 空気を軽くしようとしたのか、ただの好奇心か。

 そのあたりがユージらしい。


 ユージの言葉に、綾音さんも身を乗り出す。


「そうですよ!

 私なんて先日会った時、緊張で息ができませんでしたもん。

 目も合わせられないような……」


 二人の言葉に、一条零との時間がフラッシュバックする。



「えっと…人当たりが良くて…すごく可愛らしい人でしたよ。」



 一拍、間が空いた。


 そして。


「「「はあああああ!?」」」


 事務所が爆発した。


「あの、一条零が……可愛らしい……?」


 ユージが、呆然と呟いた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 綾音さんが椅子から立ち上がる。


「嘘〜〜〜〜!

 あの一条零ですよ!?

『可愛らしい』なんて形容詞、彼女の辞書にあるわけないじゃないですか!

 絶対そんなキャラじゃないでしょ!

 見間違いです!

 幻覚です!」


「いや、本当に……」


「だよな!

 絶対、極度の緊張でけんたろうの脳がバグったんだよ」


「いや、だから……」


「けんたろう」


 ユージが真顔で僕の肩を掴んだ。


「お前、変な電波でも受信したんじゃないのか?」


「してないよ!」


「一条零だぞ?

 あの、『絶対的歌姫』だぞ?

『音の求道者』だぞ?

 そんな人が『可愛らしい』わけ……

 マジだったら、日本はひっくり返ってるって!」


「……」


 社長が、腕を組んだまま天井を見上げている。


「社長まで黙らないでくださいよ!」


「映像で見る限り、神聖でクールなイメージだが……

 うーむ、可愛い……?

 ……可愛いのか?」


 三人の視線が、僕に集中する。

 まるで、宇宙人を見るような目だ。


 言い返そうとして、やめた。

 彼らは、テレビの中の「一条零」しか知らない。

 神聖で、近寄りがたくて、完璧な歌姫。

 あの素顔に触れた僕の言葉が、信じられないのは当然だ。


 ……もしも、誰もが『本当の一条零』を知ってしまったら。

 世界は、どんなふうにざわつくんだろう。

 そしてその時――

 僕は、どんな顔をしているんだろう。

 きっと倒れちゃうんじゃないのだろうか。


 そんな想像が、ふっと胸をかすめた。

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