vol.245 甘い禁忌
箱根の昼は、眩しいほど平和だった。
青い空。
湯気。
笑い声。
けれど、僕とユージ、綾音さんの3人は、どこか上の空だった。
「……美味いな、この蕎麦」
「そうですね……コシがあって」
綾音さんがスマホを伏せた。
さっきまで映っていたのはCrimson Kissの切り抜き。
再生数の伸びが気持ち悪いほど早い。
「……今夜、『サウンド・ウェーブ』の放送です。
共演は、Crimson Kiss、SDB96、Tatsuyaさん」
ユージが小さく舌打ちする。
「絵ができすぎてるな」
偶然じゃない。
誰かが公開処刑の舞台に整えたんだ。
♪ ♪ ♪
夜、旅館の部屋。
テレビの中のスタジオは白くて、ここだけ別世界だ。
『今夜は豪華3組の共演!
アイドルのメインストリート、SDB96!
ダンス&ボーカルの貴公子、Tatsuya!
そして話題沸騰のニューカマー、Crimson Kiss!』
トップバッター、Tatsuya。
『Sweetest Taboo』
柔らかなギター、甘いスネア。
にじむ色気が、綺麗に刺さる。
【君の瞳に溺れたい それはSweetest Taboo】
【指先が触れるたび とろけるMelody】
【僕だけを見て Baby, close your eyes...】
洗練されたポップス。
カメラに向かってウインクを飛ばすと、スタジオの女性客から黄色い歓声が上がる。
誰も傷つけない、砂糖菓子のように甘い。
ユージが「相変わらず完璧だな、あいつは」と唸る。
♪ ♪ ♪
二番手、SDB96。
親しみやすいディスコサウンドが、会場の手拍子を揃えていく。
【恋するフォーチュンビスケット】
【未来はけっこういいものだよ Hey! Hey! Hey!】
ハッピーなオーラが画面から溢れ出す。
見ているだけで笑顔になれる、平和の象徴のようなステージ。
綾音さんも「やっぱりSDB96は元気をくれますね」と微笑んだ。
ネットの実況も穏やかだった。
『Tatsuyaかっこいい』
『SDB96癒される~』
——ここまでは、平和だった。
CMが明けるまでは。
♪ ♪ ♪
三番手、Crimson Kiss。
『Scarlet Desire』
低音が床を這い、照明が犯罪みたいに赤くなる。
空気が甘さから危険へ切り替わる。
赤のミナ。
青のリサ。
歩くだけでカメラが従う。
【おままごとは終わりにして】
【あなたのルール 今夜 捨てて】
ベースの気持ち悪いズレ。
伸びすぎる残響。
僕が口にした修正が、支配の鎖になって鳴る。
【Scarlet Desire】
【嫌いなら もっと見て】
【恥ずかしいほど 欲しくなるまで】
サビで客席が悲鳴を上げた。
歓声じゃない。
魂を奪われた声だ。
曲が終わると、一拍の静寂のあと、爆発的な拍手が起きた。
さっきまでの二組とはまるで違う、畏怖に近い服従。
♪ ♪ ♪
「……先輩たちのステージ、素敵でした。
とっても『平和』で。
でも、今の時代にはちょっと……『退屈』すぎて眠くなっちゃったっす」
ミナが冷たく鼻で笑う。
Tatsuyaの笑顔が凍りつき、SDB96のメンバーが涙目になるのが映し出された。
それは音楽番組というより、公開処刑だった。
二人は止まらない。
「優しいだけじゃ、勝てないっすよ?」
「嫌いって言いながら、みんな見てるから」
司会者が笑顔のまま引きつる。
そして決め台詞みたいにリサが言った。
「明日、ランキング見てね」
♪ ♪ ♪
数字が、勝敗を固定する。
切り抜きが回り、ショート動画が増殖し、叩くための再生まで燃料になる。
『中毒性えぐい』
『嫌いなのに見ちゃう』
『Tatsuya、完全に食われてたな』
『SDB96平和すぎてつらい』
『セクシーすぎる!もう普通のアイドル聴けない』
『毒の時代きた』
『誰が作ってんの?』
『時代が変わった音がした』
批判も伸びる。
伸びるから、また伸びる。
♪ ♪ ♪
セブ直山の配信。
彼は頭を抱え、モニターの前でうめいていた。
「……やべえ。
これ、放送事故だろ。
あのSDB96が……Tatsuyaが……『前座』にされちまった」
フラッシュ久美子は別の火で笑う。
「見た?
これが『時代』よ。
数で勝負するアイドル?
媚びを売る王子様?
そんなの、Crimson Kissの『個』の強さの前じゃ、紙切れ同然ね。
嫌いなら見なきゃいいじゃん。
欲望は嘘つかないでしょ」
擁護と反発が噛み合う。
炎が太くなる。
♪ ♪ ♪
テレビが黒くなって、僕の顔が映った。
情けない顔。
あのベースラインも、ボーカル処理も、全部僕が教えたことだ。
僕のインスピレーションが、今は鋭利な刃物となって、かつての仲間たちを切り刻んでいる。
(僕の音楽が、人を傷つけている……)
人を幸せにするはずの僕の才能が、誰かを不幸にする凶器になった。
鬱の闇よりも深く、冷たい絶望。
「責任」という鎖。
僕の首に金属の冷たさが絡みつく。




