vol.244 青い海が荒れる
箱根の旅館。
テレビを消しても、赤と青が目の奥で踊る。
ネットの海は、業火に包まれていた。
トレンドの中心は、ひとつの名前。
——Crimson Kiss。
♪ ♪ ♪
動画サイトを開けば、お馴染みの『音楽系YouTuber・セブ直山』が、画面から飛び出さんばかりに絶叫している。
「うおおおおー!
来たぞ来たぞ!
ブルーオーシャンにサメの群れが放たれたぞ!
『可愛い』も『カッコいい』も飽和状態!
そこに『猛毒』という名のヒールの登場だ!
全方位に喧嘩売って退路を断つ!
エンタメはこうでなくちゃ面白くねえんだよ!!」
♪ ♪ ♪
別チャンネルが、真逆の正義を掲げる。
『フラッシュ久美子』。
今、急上昇中のインフルエンサーだ。
言葉は軽快。
けれど、刃は鋭い。
「みんな『生意気』って叩いてるけど、私は拍手を送りたいわ。
今まで女性アイドルは、男性にとって都合のいい『清純』や『癒し』を押し付けられてきた。
でも彼女たちは違う。
男を踏み台にすると公言した。
これこそ新しい時代のアイコンよ。
男たちの顔色を伺う『いい子ちゃん』たちの時代は、もう終わりだと思わない?」
「結論。Crimson Kissは最高。
女がセクシーを武器にしたら軽いって言うやつ、黙れ」
チャットが割れる。
『表現の自由!』
『でも他人ディスはアウト』
『久美子の物言い強い』
『強く言わないと変わらん』
『DJの気持ち考えろ』
久美子は眉を上げた。
「女が【可愛い】をやれば媚び。
女が【強い】をやれば生意気。
女が【セクシー】をやれば軽い。
じゃあ何なら許されるの?って話」
一拍置く。
「自由だよ。
好かれるために表現してんじゃない。
勝つために表現する女がいてもいい」
「ディスが上品とは言わない。
でも、女が牙を見せた瞬間に軽いって叩くのは違うでしょ」
彼女の一言で、擁護が増える。
同時に反発も増える。
炎の色が、ただの音楽論争から、もっと根深い価値観の戦争へと変わっていく。
♪ ♪ ♪
世界が割れた。
その衝撃波は、名指しされた少女たちを直撃していた。
都内のダンススタジオ。
Dream Jumpsのメンバーたちは、鏡の前で立ち尽くしていた。
【お遊戯会】
【幼稚園児】
その言葉は、彼女たちが密かに抱えていたコンプレックスを的確に貫いていた。
沈黙を切り裂いたのは、しっかり者のあいだった。
「違う!
私たちの武器は『ピュアな希望』でしょ?
誰も傷つけない、最強の魔法なんだから!」
その言葉に、リーダーのめぐみが顔を上げる。
曇っていた瞳に、太陽が戻る。
「そうだね!
笑顔ひとつで世界は変えられるって証明してやろうよ!」
♪ ♪ ♪
一方、嵐の中心に近い場所では、雷が落ちていた。
Midnight Verdictの地下スタジオ。
ドンッ!と、ひなたがロッカーを蹴り上げた。
「ふざけんな!
気取ってるだぁ!?」
あやが吠え、リーダーのけいとが静かに一歩前に出る。
瞳の奥だけが青い炎で燃えていた。
「私たちを【気取ってる】で片付けるなら——音で黙らせるわよ」
あやが短くうなずく。
「上等だよ。
返り討ちにしてやる」
♪ ♪ ♪
業界全体が沸騰する中。
ネットニュースの片隅に、評論家の短いコメントが掲載されていた。
【西東京音楽大学准教授・佐野美月】
『これは音楽の競争ではなく物語の奪い合いだ。物語が過熱するほど、制作側の消耗は加速する』
短い言葉が、僕の逃げ道をふさぐ。
見透かされている感じがした。
♪ ♪ ♪
箱根の旅館。
僕は布団の中で、震えを止めようと必死だった。
世界が動き出した。
僕の撒いた種が、僕の大切な人たちを巻き込んで、巨大な嵐になろうとしている。
彼女たちが使う「武器」の殺傷能力を、僕は誰よりも知っている。
だって、僕が作ったのだから。
鬱という鉛が、全身にまとわりついている。
逃げたい。
でも、腹の底でドロドロとした熱い塊が渦巻いていた。
大切な仲間を傷つけられたことへの、どうしようもない怒り。
「……やらなきゃ」
鉛のように重い体を、その熱だけで無理やり動かす。
サメの群れに食い荒らされる前に、僕が、決着をつけなきゃいけない。
それが、武器を世に放ってしまった者の責任だから。




