vol.24 女王の椅子は、譲らない
「けんたろうさんの歌を歌いたい」
「『少しだけでいい 伝えたい』」
一条零のユーロビート新曲発表と、記者会見での衝撃波。
瞬く間に日本中を駆け巡り、Midnight Verdictの練習スタジオにも当然に。
「まじかよ、一条零がユーロビート……」
あやが、スマホをテーブルに叩きつけるように置いた。
画面には、記者会見で気高く立つ一条零の姿。
いつもなら汗とコーヒーの匂いが混じり合うスタジオが、今日はやけに静かで、冷たい蛍光灯のジー…という音だけが耳につく。
「しかも、『あなたは知らない』の歌詞まで……。
けんたろうちゃん、どうするんだろ?」
こはるの声が震えてる。
無理もなかった。
少し前まで、彼女たちにとっての「けんたろう」は、けいとが連れてくる人懐っこい年下の彼氏であり、愛すべきマスコットのような存在だったはずだ。
それが、いつの間にか日本のトップアーティストから名指しでラブコール?
展開が急すぎて、誰も現実感を掴めずにいた。
けいとは、モニターに映る一条零の瞳を見て、思わず視線を落とした。
カメラのレンズ越しにも、こちらの心臓を射抜いてくる。
デビューが決まり、距離を置いたのは自分だ。
「大人として」「プロとして」線を引かなきゃいけないと、自分に言い聞かせて。
あの夜、部屋を飛び出していった彼の背中。
それ以来、スマホは沈黙を守っている。
僕の孤独を分かってくれない―――
そう訴えるような彼の歌が、今も耳の奥で響く。
愛している。
でも、彼の音楽については、まだ何も知らない。
なのに、どうして一条零という全くの他人が、彼の魂の理解者であるかのように振る舞い、彼の言葉を代弁するのだろう。
理解できない。
ただ、胸の奥をぐしゃぐしゃにかき回されるような、不愉快さ。
後悔という名の黒い泥が、胸を汚していく。
その、重苦しい沈黙を破ったのは、ひなただった。
「――面白いじゃん」
彼女は、ニッと口の端を吊り上げて笑った。
その軽さが、逆に鋭い。
全員の視線が集まる。
「ねぇ、けいと。
確かにあの人、すごいよ?
日本のてっぺんだもん。
文句なしの歌姫」
ひなたは、肩をすくめながら続ける。
「でもさ、ウチらのけんたろうちゃんに手ぇ出すとか、いい度胸してない?」
それは、奪われてはならないものを守ろうとする、純粋で原始的な怒り。
だが、その単純さが、淀んだ空気に風穴を開けた。
「そうだよ!」
さやかが勢いよく声を上げる。
「あの人、けんたろうちゃんの曲、すごいって言ってたけどさ。
けいとちゃんの前でどんな顔して笑うか、私たちにどう甘えるか、なんにも知らないでしょ?」
そう言いながら、さやかは心配そうに、けいとの腕をそっと掴む。
ぬくもりが、けいとを現実に引き戻す。
それまで黙って壁に寄りかかっていたかおりが、フッと息を漏らす。
「——惚れたのは曲。
人は、まだ」
低く、冷たいのに、不思議と心強い声。
そうだ。
私たちは知っている。
けいとの隣で、照れくさそうに笑う彼を。
猫みたいに甘えた声を出して、くだらない話で笑う彼を。
天才プロデューサーではない、ただの男の子としての彼を。
一条零は、彼の才能という「結果」に惹かれただけだ。
けいとの心の中で渦巻いていた冷たい霧が、仲間たちの熱によって、みるみる晴れていく。
霧の向こうから現れたのは、研ぎ澄まされた闘志だった。
「……あの目、ガチじゃん。
音楽にじゃなくて、けんたろうって才能にベタ惚れしてる目だわ、あれ」
あやが、今度は面白そうに笑いながら言った。
「ま、でも、どっちの音楽が本物か、これからハッキリするってことじゃない?」
軽口ひとつで、スタジオの温度が一段階上がる。
そうだ。
私たちは今、間違いなく「来てる」。
風は、確かに自分たちの背中を押している。
「歌姫の王座?」
けいとは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、もう揺らぎはない。
そこにあるのは、自分たちの誇りを守るため、絶対的歌姫に挑む者の、氷のように冷たく、そして燃えるように熱い覚悟。
「ひっくり返しにいこうか、その椅子ごと」
その言葉に、メンバー全員が息を呑み、そして、一斉に笑った。
そうだ、これこそが私たちのリーダー。
私たちの女王、けいとだ。
けいとは、スタジオの隅に置かれたキーボードに歩み寄る。
冷たい鍵盤に指を置いた。
(あなたの音楽のことは、まだよく分からない)
(でも、あなたのことは、誰よりも私が知っている)
(それだけで、十分)
彼女が一つ、和音を鳴らす。
それは、反撃の狼煙を上げる、力強いファンファーレだった。
「次のテレビ、楽しみになってきたね」
ひなたが、いたずらっぽく笑いながら言う。
全員が、力強く頷いた。
あるのは、最強の敵を前にした武者震いと、自分たちの音楽への絶対的な自信。
日本の頂点に立つ絶対的歌姫。
その喉元に、私たちMidnight Verdictが、牙を突き立てる。
運命のTV共演は、数日後に迫っていた。




