vol.237 恋バナ③
車は小田原厚木道路に入り、景色がぱっと開けた。
Dream Jumpsの話題でひとしきり盛り上がったあとの車内は、いい具合にゆるんでいる。
だが運転席の男だけは、まだ恋バナのアクセルをゆるめない。
「じゃあ次は、本丸といこうか」
ユージがニヤリと笑った。
「Midnight Verdictだ。
もちろん、けいとちゃんとあやは抜きな。
その二人を入れたら、俺とお前の惚気話で終わっちまう」
「う……」
僕はシートに沈み込む。
難易度が跳ね上がった。
Midnight Verdict。
僕の恋人けいとさんと、ユージの恋人あやさんがいる。
彼女たちを追いかけて、僕らは走り出した。
「ユージ、それは勘弁してよ……みんなと仲が良いんだし、順位なんてつけられないよ」
「比べんのは順位じゃねえ、好みだ好み。
男同士の戯言だろ?
ほら、遠慮すんな!」
綾音さんが助手席から振り返り、口だけで「誰でしょう?」と急かす。
僕は観念して、顔を並べた。
けいとさん。
あやさん。
——恋人枠は除外。
おっとり癒し系の、さやかさん。
ミステリアスなかおりさん。
悪ノリ小悪魔のひなたちゃん。
そして、ゆるふわ天然のこはるちゃん。
みんな魅力的だ。
でも今の僕が、無意識に手を伸ばしてしまうのは——。
「……さやかさん、かな」
蚊の鳴くような声。
ユージが「ほう!」と目を丸くした。
「さやかちゃんか!
意外と地味なとこ攻めるな。
もっと派手なのが好きかと思ってた」
「地味じゃないよ。
さやかさんは……優しいから。
いつも一歩引いて周りを見てて、僕がダメになりそうな時も、何も言わずに背中を支えてくれる気がする。
今の僕には、そういう人が——」
言いかけて、自分で息を呑む。
刺激はいらない。
ただ、包まれたい。
そんなふうに思ってしまっている。
「なるほどなー。
今のけんたろうは、癒しを求めてるわけだ」
ユージが大きく頷く。
そこまでは良かった。
次の一言さえなければ。
「それにさやかちゃん、意外と胸もあるからな!
ありゃー、Midnight Verdictで――」
ブッ、と僕がむせた瞬間、
「最低!!」
バシッ!
綾音さんが観光ガイドブックでユージの頭を叩いた。
「いった!
なにすんだよ、綾音ちゃん!」
「なに言ってるんですか!
セクハラです!
さやかさんに失礼すぎます!
せっかく良い話してたのに、全部台無しじゃないですか!」
綾音さんは本気で怒っていた。
赤い顔で、運転の邪魔にならないギリギリの角度から、ポカポカ追撃する。
「別にいいじゃんか、男の会話だろ!?
事実——」
「ユージくんと一緒にしないでください!
もう、本当にデリカシーがない!」
車内が一気に騒がしくなる。
低レベルで、いつもの光景。
でも、その喧騒が、今の僕には心地よかった。
静寂が怖い僕には助かる。
僕は、ここぞとばかりに反撃した。
「そういうユージはどうなんだよ!
さっきから僕ばっかり!
ユージは誰なんだよ、あやさん抜きで!」
ユージが言葉に詰まる。
綾音さんが手を止めて、にっこりする。
「そうです。
正直に答えてください。
嘘はなしですよ」
「くそっ……寄ってたかって……」
ユージは観念したように息を吐き、頭をかいた。
「……ひなた、かな」
意外な名前に、僕と綾音さんは顔を見合わせた。
ひなたちゃん。
悪ノリがひどくて、元気印で、うるさいあの子。
「へぇ。
ひなちゃんですか」
綾音さんが妙に納得した顔で笑う。
「似た者同士ですね。
お祭り男と、お祭り女。
気が合いそうです」
「うるせえ!
あいつとなら、湿っぽい話にならなそうだからだよ!」
ユージが照れ隠しみたいに声を荒げる。
湿っぽい話にならない。
それは、今のこの車内の空気そのものだった。
僕たちは笑った。
重苦しさが、嘘みたいに軽くなる。
窓の外、箱根の山影が迫ってくる。
心の鉛色は、まだ消えない。
それでも、この馬鹿げた喧騒の中にいる時だけは、呼吸ができる。
僕たちの車は、深い緑の底へと吸い込まれていった。




