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vol.235 恋バナ①

 ミニバンはまだ、東名高速を西へ走り続けていた。

 左手に広がる相模湾が、冬の太陽を浴びて光っている。

 その景色を見た瞬間、胸の奥でスイッチが入った。


 見覚えがあるガードレールと海の青。

 それは、僕が一度すべてを投げ出し、逃げ出した時の記憶と繋がっていた。

 精神的に追い詰められ、行き倒れていた僕を拾ってくれた人。

 藤原しずくさん。


(しずくさん……元気かな)


 ふと、年末歌合戦での彼女の姿が脳裏をよぎる。

 僕が提供した楽曲『ASUKA』。

 彼女はその曲で業界を賑わせた。

 ステージで力強く歌う彼女は美しかったけれど、僕の記憶の中の彼女は、もっと柔らかくて、甘い匂いがして、母親みたいに僕を包み込んでくれる存在だった。


 今の僕が一番求めている「無償の愛」と「肯定」が、あの記憶の中にあった。


「……僕ね、しずくさんと旅をしてた時、このまま一緒になるのも一つの人生かな、なんて思っちゃったんだ」


 独り言のつもりが、静かな車内にはっきりと響いた。

 ユージが目を丸くし、綾音さんが振り返る。

 僕は隠さずに続けた。


「あの時、本当に弱ってたから。

 何も求めず、ただ可愛がってくれる優しさに救われたんだよ」


 綾音さんが優しく微笑む。


「放っておけないオーラがありますからね。

 しずくさんも、守ってあげたかったんだと思いますよ」


 守る。

 その言葉で、ある事実に気づく。

 けいとさん、一条零さん、しずくさん、ゆりこさん。

 めぐみちゃんは年下か。

 僕の周りは、最前線で活躍している年上の女性ばかりだ。


 ふと気になって、助手席の綾音さんに尋ねた。


「ねえ、綾音さんはどう思う?

 年下の男って、恋愛対象としてアリ?」


 綾音さんは手元のタブレットで確認していた地図から目を離さない。

 困ったように、ちょっと間をおいて答えた。


「……年齢ですか?

 関係ないと思いますよ」


 いつもの冷静なトーン。

 頼れる綾音さんの声。

 ちょっとの間は、変な質問をしたから?


「その人がどんなに脆くても……一生懸命に夢を追っている姿を見たら、支えたいと思うのは自然なことです。

 それは恋愛というより……一種の『職業病』みたいなものかもしれませんね」


 彼女はそこで言葉を切り、振り返って困ったように笑った。


「私は今、手のかかる『弟たち』の世話で手一杯ですから。

 これ以上、年下はごめんです。

 ありえない、ですね!」


 弟たち。

 その言葉選びに、僕は妙に納得してしまった。

 彼女にとって僕らは「手のかかる弟」なのか。


「おーおー、言われてんぞ!

 俺たちは手のかかる弟だってよ!

 俺、綾音ちゃんより年上だぜ?」


 ユージが茶化すように笑う。

「おい、まさか浮気宣言か?

 けいとちゃんに怒られるぞ?」


「ち、違うよ!

 ただの一般論!」


 僕は慌てて否定した。

 僕の心にはいつだってけいとさんしかいない。

 ユージはハンドルを握り直しながら、呆れたように、でも優しく笑った。


「ま、いろんな人に愛されるのは事実だ。

 お前は本当に罪な男だよ、ったく」


 罪な男。

 その言葉に、僕は複雑な気持ちで窓の外へ視線を戻した。

 多くの愛に支えられている幸福と、応えなければならない重圧。


 綾音さんはもう、前を向いて地図の確認に戻っていた。

 その頼もしい背中を見ながら、僕は安堵していた。

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