vol.226 譜面台のロック
12月31日。
午後11時47分。
JHKホール屋上。
バラララララ……!
プロペラの回転が止まる。
機内のドアが開く。
僕はPCを抱いて、ヘリから降りる。
コンクリートが揺れてる。
いや、揺れてるのは僕の三半規管か。
寒い。
だけど、汗が噴き出して止まらない。
「できた……!」
僕は空に向かって、掠れた声で叫んだ。
声が、自分のものじゃないみたいに乾いていた。
達成感と疲労で、膝が笑っている。
後ろから降りてきたユージが、僕の背中を支える。
ひどい顔だ。
泣きそうなのか、怒ってるのか。
「……悪かったな、けんたろう」
「え?」
「ヘリの中で見てたよ。
お前、必死だったけど……最後にデータ送ったの、2回だけだったよな」
ユージは自分の頭をガシガシと掻いた。
「3曲やるって大見得切ったのは俺だ。
なのに、お前を追い詰めて……結局2曲しかできなくて。
俺が悪かった。
ステージに出たら、俺が土下座して謝るよ」
僕は息を切らしながら、ニヤリと笑った。
「さっき送ったデータ、あれ『2曲目と3曲目のセット』だよ。
片方を打ち込みながら、もう片方のメロを頭の端で回してた。
同時進行で作ってたんだよ」
ユージが固まった。
後ろにいた綾音さんが、バッグを取り落としそうになった。
「は……?」
綾音さんも固まって、僕とユージを交互に見た。
「……今、何て?」
「3曲、全部できたよ」
数秒の沈黙。
そしてユージが「うおおおお!」と叫んで、僕を抱きしめた。
暑苦しい。
けど、嬉しい。
「移動!急いで!」
スタッフが叫ぶ。
「衣装室はこちらです!」
「いらねえ!」
ユージが怒鳴った。
「着替えてる時間なんてねえだろ!
このままで行く!」
僕たちは、福岡のライブの衣装のまま、走り出した。
♪ ♪ ♪
屋上から非常階段へ。
スタッフの先導。
無線が飛ぶ。
「入った、入った!
通路確保!
エレベーター止めろ!
カメラ、回して!
いや今は回すな、邪魔!」
怒号と足音。
年末歌合戦の舞台裏は、きらびやかな表舞台とは真逆の、泥臭い戦場。
エレベーターからスタジオまでの通路。
ユージは耳にイヤホンを突っ込み、険しい顔でタブレットを睨む。
僕が送ったばかりのデモ音源。
「……いや、無理だろこれ!」
ユージが悲鳴を上げた。
「まだ1回しか聴いてねえぞ!?
歌詞もメロディも覚えきれるわけねえ!
しかも3曲目、なんだこの早口言葉!
本番で舌嚙むぞ!」
当然だ。
普通なら、スタジオに缶詰になって身体に染み込ませる。
それを「今から数万人の前でやれ」?
自殺行為にも程がある。
並走していた綾音さんが、スタッフに叫んだ。
「譜面台!
譜面台を用意してください!」
「えっ、本番で譜面台ですか!?
そんなの、JHKの歴史で前例が……」
「ボーカルが歌詞覚えてないんです!
棒立ちになるよりマシでしょ!
あとタブレット3台!
急いで!」
綾音さんの剣幕に、スタッフが青ざめて走り出す。
♪ ♪ ♪
ステージ袖。
熱と光の匂い。
司会者の絶叫が響く。
「お待たせいたしました!
空から舞い降りた、規格外のニューカマー!
Synaptic Driveの登場です!!」
光の洪水。
地割れのような大歓声。
僕たちは飛び出す。
着替えていない。
福岡ドームのカウントダウンライブで汗を吸ったままの衣装。
ユージは光るテープの貼られたジャケット。
僕はステージ用の黒いシャツの裾を押し込む暇もない。
年末歌合戦仕様の綺麗さはない。
でも、その汚れと熱が、「今ここへ来た」証拠だった。
ユージがステージ中央へ走る。
その手には、黒い譜面台。
舞台監督が袖で「おい!?」と声を上げるが、もう遅い。
ユージは堂々とセンターマイクの横に譜面台をドン!と置く。
会場がざわめく。
「え、譜面?」
「歌詞カード?」
全国民が注目する晴れ舞台で、堂々とカンニングペーパーを置くアーティストなんて前代未聞だ。
ユージはマイクを掴み、ニヤリと笑って観客を見渡した。
「おい、笑うんじゃねえぞ!」
第一声。
会場が一瞬静まる。
「俺たちは今、ヘリから降りたばっかりだ!
そしてこの曲たちは、空の上で産まれたばっかりの赤ちゃんだ!」
ユージは譜面台をバシッと叩いた。
プラスチックの乾いた音がマイクに乗る。
「俺もまだ1回しか聴いてねえ!
歌詞なんて覚えてるわけねえだろ!
だからこれを見ながら歌う!
文句あるか!?」
あまりの開き直り。
あまりの正直さ。
会場が呆気にとられ——そして次の瞬間、爆発的な歓声に包まれた。
「うおおおお!!」
「バカだろお前ら!!」
「最高!!」
「マジで出来立てなのかよ!!」
♪ ♪ ♪
直山の配信が、音割れするほど跳ねる。
「譜面台ァ!?!?
年末歌合戦で譜面台置くやつ初めて見た!!
でもこれが正しい!
だって出来立てなんだろ!?
正直さがいちばんロックなんだよ!!」
直山は画面の向こうに指を突きつける。
「JHK!
止めんなよ!
これはもう、放送事故じゃなくて放送事件だからな!!」
♪ ♪ ♪
ステージスタッフが無線に叫ぶ。
「どうします!?どうします!?譜面台、画が——!」
返ってきたのは、諦めと、微かな興奮が混じった声だった。
『……入れろ。今はそれどころじゃない』
JHKが折れた。
ユージが勝った。
袖のスタッフがいっせいに天を仰ぐ。
笑ってる人もいる
でも、もう止められない。
ユージは「かっこつけること」よりも「音を届けること」を選んだ。
権力に中指を立てる。
どうしようもないロック。
ネットも大騒ぎだ。
『譜面台www』
『伝説確定』
『本当にヘリで作ったんだ……』
『ガチの即興ライブじゃん』
『この状況で歌えるユージもすげえよ』
『JHKスタッフの顔が見たい』
『これ許されるの!?』
『伝説始まった』
ユージが振り返り、僕を見た。
「準備はいいな?」という目。
僕はシルエットの先。
キーボードの前に座り、大きく息を吸った。
僕の目の前にも、ガムテープで固定されたタブレットがある。
さあ、始めよう。
リハーサルなし。
正真正銘のぶっつけ本番。
日本一無謀なライブの幕開けだ。




