vol.223 女王の選択
12月31日。
午後11時20分。
JHKホール。
会場の熱狂は、冷たい焦燥へと変質していた。
タイムテーブルの崩壊。
Synaptic Driveが、来ない。
到着予定時刻を過ぎても、ヘリコプターの音は聞こえない。
舞台裏では、スタッフが青ざめた顔で走り回る。
空いた穴を埋めるため、後続のアーティストたちが次々と繰り上げられていく。
「次、行けますか!?」
「心の準備が!」
「やるしかないんです!」
舞台袖では、進行表が赤ペンだらけになっていた。
出演順が、また書き換えられる。
繰り上げ。
繰り上げ。
繰り上げ。
呼ばれたアーティストは驚きながらも、プロの顔でステージへ向かう。
送り出したスタッフは戻ってきて、さらに青ざめる。
まだだ。
まだ来ない。
セブ直山の配信が、悲鳴に近い声を上げる。
「おい、待て待て待て!
もう、撃つ弾がなくなるぞ!
アーティストがどんどん消化されていく!
このままだと番組が早く終わっちまう!」
コメント欄がパニックになる。
『誰か残ってる?』
『もう大御所しかいない』
『SynapticDriveマジで来ないの?』
『放送事故確定』
『もう誰か時間稼いで』
そして、ついにその時が来た。
司会者が、引きつった笑顔で進行表を確認する。
その指先が震えているのが、巨大モニター越しに伝わってしまった。
残っているアーティストは、たった二組。
次が、Midnight Verdict。
そして大トリ、一条零。
この二組が歌い終われば、今年の年末歌合戦は終わる。
Synaptic Driveの出番は、消滅する。
司会者の声が、ほんの少しだけ慎重になる。
放送用の明るさは保ったまま。
「皆さま、進行についてお知らせです。
演出の都合により、出演順を一部変更してお届けしています」
会場がざわめく。
わかっていた。
でも言われると、現実になる。
直山が配信で机を叩く。
「出ちまった……
演出の都合。
これ、もう言ってるようなもんだ。
まだ来てない。
しかも、もう残りがないぞ……」
コメント欄が一気に加速する。
『公式に言った』
『JHKスタッフの胃が死ぬ』
『零様まで行ったら終わりだぞ』
『MVが最後のクッションか』
『Reach out far頼む』
日本中が息を呑んだ。
全国民が焦っていた。
間に合うのか。
いや、もう無理なのか。
そんな絶望的な空気の中、司会者が声を張り上げた。
「続いては、美しきユーロビートの女王。
Midnight Verdictの皆さんです!」
歓声が上がる。
だが、どこか引きつった歓声だ。
観客は知っている。
これは盛り上がりの番ではなく、時間との勝負の番だと。
直山の声が高くなる。
「来たぞMidnightVerdict。
ここでReach out farなら、全員が納得する。
納得しすぎて逆に怖いけどな。
でも今夜の現場は、まずは事故を避けたいはずだ」
会場の誰もが、そして画面の向こうの数千万人が、同じ曲を期待していた。
『Reach out far』。
K作曲。
MidnightVerdictの最大の武器。
この重苦しい空気を吹き飛ばし、時間を稼ぎ、会場を一つにするには、その曲しかない。
誰もがそう信じていた。
ステージが暗転する。
6人のシルエットが浮かび上がる。
その瞬間。
Midnight Verdict専門チャンネル『ザッツ小泉の女王の騎士団』の配信。
小泉が椅子から転げ落ちんばかりに身を乗り出した。
「な……ッ!?」
小泉の眼鏡がズレる。
彼は画面を凝視し、絶句した。
そして次の瞬間、獣のような咆哮を上げた。
「おおおおおッ!!
皆のもの、刮目せよ!
総員、敬礼だ!!」
コメント欄の「騎士団員」たちがざわつく。
『団長!?』
『何が起きた』
「フォーメーションを見ろ!
普段ならセンターに立つのは、ギターのあや様です!
だが今宵、センターに鎮座ましますは……キーボードの前に座る、我らが女王・けいと様!」
ステージ上。
スポットライトが当たる。
小泉の言う通り、センターにはキーボードに向かうけいと。
あやはギターを持たず、一歩下がってけいとを守るように寄り添っている。
「『Reach out far』じゃない!
K氏の最強ヒット曲という『安牌』を、女王陛下はお捨てになられた!」
小泉は涙ながらに叫ぶ。
「これは……『天使が舞い降りた日』の布陣なり!」
それは、けいと自身が作詞作曲したバラード曲。
ヒットチャートを席巻したKの曲ではなく、彼女自身の魂から絞り出した、名曲。
「この土壇場で!
Synaptic Driveが来るかどうかも分からない、国民全員がパニックになっているこの極限状態で!
陛下は、他人の武器(Kの曲)ではなく、ご自身の剣(歌)で戦うことを選ばれたのだ!」
小泉の声が熱を帯びる。
「K氏への依存ではない!
借り物のヒット曲で場を繋ぐことへの拒絶!
これは女王としての誇り!
『私は私の歌で、この場を支配する』という、高潔なる宣言です!」
♪ ♪ ♪
会場がどよめく。
激しいイントロを期待していた観客の肩透かしを食らったような空気。
だが、けいとは動じない。
彼女はゆっくりと鍵盤に指を置いた。
その背中は凛として、迷いなど微塵も感じさせない。
あやが、さやかが、かおりが、ひなたが、こはるが。
メンバー全員が、女王の決断を信じ、覚悟を決めた顔で前を見据えている。
直山が配信で呟く。
「マジかよ……。
ここでバラードかよ。
時間稼ぎのお祭り騒ぎじゃなく、ガチの歌を聴かせるってのか」
会場の照明が、ゆっくり落ちていく。
客席の光が沈み、ステージが夜の穴になる。
その暗転の中で、誰もが固唾を呑んだ。
Synaptic Driveはまだ来ない。
残るは、この曲と、あと一組。
最初の音が鳴るまでの、永遠のような一瞬。
けいとが、深く息を吸い込む。




