vol.221 歌う地上、削る空
12月31日。
午後8時10分。
JHKホール。
暗転。
床面LEDが白い線だけを走らせて、まるで心電図のように脈打つ。
そこへ、シンプルなバンドセットが浮かび上がる。
若手ロックバンド——「NeonHowl」。
ボーカルは短髪で、目が鋭い。
ギターは低く構え、ベースは笑わない。
ドラムが、最初の一撃で客席の肺を叩く。
曲は『NOISE SIGN』。
サビ前、ボーカルが叫ぶ。
「黙ってるなら、こっちから鳴らすぜ!」
派手な演出はない。
あるのは音圧と、まっすぐな怒り。
観客は拳を上げ、JHKホールが一瞬だけライブハウスの形になる。
直山が叫ぶ。
「こういうバンドが挟まると効く!
テレビ用に整ってた空気に、爪立ててくるんだよ!
若いのに目がマジだ!」
♪ ♪ ♪
続いて、とびきり元気なイントロが弾ける。
五番手、chika。
ポニーテールを揺らし、ステージ狭しと駆け回る姿は、まさにエネルギーの塊。
曲は『元気爆弾☆』。
【朝の光がスニーカー叩いてる】
【寝ぐせのままでダッシュ!今日も遅刻ギリ!】
【「ま、いっか♪」って笑えばリスタート】
【転んだ跡も勲章に変わるんだ】
歌詞はバカみたいに明るく、まっすぐで、嘘がない。
会場全体が元気にされる側になって、同時に笑う。
それが、国民行事の魔法。
直山が息を切らしながら笑う。
「これだよこれ!
意味不明なのに正しい!
元気って、理屈じゃないんだよな!」
【どんなブルーも混ぜればスカイブルー!】
【泣いたあとに見える空が本物だよね】
サビでドーム全体が一斉にジャンプし、物理的に会場が揺れる。
【おっす♪オッス♪押忍!】
【恋にパンチ!愛にキック!】
【片想いなんてチキンウイングフェイスロック♪】
【涙ごと笑い飛ばせ☆】
【世界にドロップキック!】
【夢を守るため元気爆弾☆】
「見てるだけで寿命が延びる!」とネット民も大盛り上がりだ。
ラストの「元気☆爆☆発!」の掛け声と共に、巨大なクラッカーが弾けた。
♪ ♪ ♪
しかし、次の瞬間。
会場の空気が一変する。
照明が深い青に変わり、静謐なピアノの音が響く。
六番手、JON。
普段は激しいスラップベースで会場を燃やす彼だが、今夜は違う。
黒いスーツに身を包み、スタンドマイクの前に静かに立つ。
曲は『嘘』。
彼の隠れた名曲と呼ばれる、極上のバラードだ。
【君の言う嘘は嘘ともうわかっていたんだ】
【さよならの代わりに優しく笑ったね】
ハスキーで渋い歌声が、大人の悲恋を歌い上げる。
「かっこいい……」「渋すぎる」と、会場の空気がしっとりと濡れていく。
派手な演出がないからこそ、言葉が痛い。
直山の声が、珍しく低くなる。
「……これ、刺さるやつだ。
派手に泣かせない。
静かに殺すタイプの曲。
こういうのが一番、後に残るんだよな」
♪ ♪ ♪
その余韻を切り裂くように、ピコピコとした電子音が鳴り響く。
七番手、ami。
「恋ってさ。
証明できないくせに、みんな正解探すんだよね」
タイトなレザースーツに、白衣を羽織るという奇抜なスタイル。
彼女はニヤリと笑い、フラスコを振るようなダンスを見せる。
曲は『Scientific Love』。
電子音が、カチリ、と鳴る。
心拍みたいなビートが刻まれて、ギターがそこへ薄く刃を入れる。
amiの声は乾いているのに、妙に色っぽい。
【恋心のリトマス紙赤く染まったまま】
【君への引力ニュートンも想定外】
【光合成できない日陰の私は】
【君という太陽求めてるの】
小学校の理科室で習った単語が、恋の言葉に変わる。
キャッチーで中毒性のあるテクノポップだ。
【止まれない慣性の法則ブレーキ故障中】
【水溶液の濃度計算割り切れない想い】
【この実験は失敗?それとも大発見?】
「あんたたち、私の実験結果教えてくれる?」
挑発的なMCに、会場が沸く。
彼女の知的でキュートなパフォーマンスは、今夜のステージに新たな色を加えた。
華やかで、多様で、最高に楽しい音楽の祭典。
地上は、幸福な音で満たされていた。
♪ ♪ ♪
――その頃。
上空1000メートル。
ヘリコプターの機内。
そこは、地上の華やかな喧騒とは無縁の、灰色の世界。
耳を塞ぎたくなるようなプロペラの轟音と、絶え間なく伝わる低い振動。
会話はない。
いや、会話をする気力すら、今の彼らには残っていない。
ユージは腕を組み、窓の外に流れる漆黒の闇を見つめる。
ガラスに映る自分の顔は、ひどく疲れている。
いつもの笑みは消え、眉間には深いシワが刻まれていた。
(俺が余計なことを言わなければ……)
何度目かもわからない自責の念が、胸を締め付ける。
あの大言壮語が、相棒をここまで追い詰めてしまった。
隣の席で、けんたろうは一心不乱にPCに向かっている。
顔色は蝋人形のように白く、唇はカサカサに乾いている。
時折、何かに取り憑かれたように指が痙攣する。
見ているだけで痛々しい。
(もういい。十分だ)
ユージは腹をくくっていた。
東京に着いたら、まず全国民の前で土下座しよう。
俺の見栄で嘘をつきましたと。
自分がピエロになって、笑いものになればいい。
そうすれば、けんたろうへの批判はすべて自分に向く。
それが、兄貴分としてしてやれる最後の償いだ。
けれど。
心のどこか片隅で、微かな、しかし強烈な期待を捨てきれない自分がいるのも事実だった。
(もしかしたら……)
こいつなら。
この天才なら。
この絶望的な状況すらもひっくり返して、とんでもない曲を生み出してしまうんじゃないか。
そんな、残酷なほどの信頼が、ユージの胸の中で燻っていた。
「諦めたい(楽にさせてやりたい)」自分と、「信じたい(伝説が見たい)」自分。
その矛盾が、彼を押し黙らせていた。
向かいの席に座る綾音もまた、複雑な思いでけんたろうを見つめていた。
彼女はマネージャーだ。
スケジュールを守ること、そしてアーティストの健康を守ること。
それが仕事だ。
今のけんたろうの状態は、明らかに異常だ。
本来なら、PCを取り上げてでも休ませるべきなのかもしれない。
(でも、止められない)
彼の瞳を見てしまったからだ。
モニターの光を反射するその瞳は、深淵を覗き込むように暗く、そして美しく輝いていた。
何かに取り憑かれたように、ただひたすらに音を紡ぐ姿。
それは、痛々しいと同時に、神々しくすらあった。
(これが、才能というものなの……?)
綾音は恐怖に近い感情を抱いていた。
このままでは、彼が彼でなくなってしまうのではないか。
音楽という怪物に、魂ごと食い尽くされてしまうのではないか。
それでも彼女は、その荘厳な「儀式」を止めることができなかった。
ただ、祈るように見守るだけ。
「……」
けんたろうは、二人の視線など気づいていないようだった。
世界には自分と、画面の中の五線譜しか存在しない。
轟音すらも聞こえていないのかもしれない。
そんな没入感の中で、彼の指先だけが生き物のように動いている。
空飛ぶ密室の中で、それぞれの想いが交錯する。




