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vol.211 優しい音が足元をさらう

 Rogue Soundのスタジオ。

 ギターの弦を張り替えているユージの背中に、僕は声をかけた。


「ユージ……僕、いつまで『K』でいればいいかな?」


 今の僕には、その問いかけが精一杯のSOSだった。

 ユージは手を止め、ゆっくりと振り返る。

 そして、僕の予想を裏切るほど軽く、フッと笑う。

 笑い方が、からかい半分。

 分かってる半分。


「ん?

 Kはもう置いとけよ。

 Synaptic Driveのスーパープロデューサーに戻ればいいんじゃないか?」


「え……?」


 あまりの軽さ。

 僕は拍子抜けした。

 こっちは夜も眠れないほど悩んでいると言うのに。

 ユージはまるで「昼飯はラーメンでいいんじゃない?」くらいのテンションだ。


「そ、そんな簡単に……」


「何言ってんだよ、けんたろう。

 お前はもう十分、Kとして世間に認められたろ?

 Midnight Verdictであれだけデカい花火を打ち上げたんだ。

 これ以上、コソコソ隠れる必要なんてないんだよ。

 隠れるのが目的になったら終わりだぞ」


 その言い方が、妙に心に刺さる。

 隠れるのが目的。

 ……いつから僕は、音楽より正体がバレないことを優先してたんだろう?


 ユージは立ち上がり、僕の肩をポンと叩いた。

 その手は大きく、温かい。


「あとは、Synaptic Driveとして堂々と活動すればいい。

 そんでさ、気が向いたら、ゲリラ的にまたK名義で曲を作ればいいんだよ!

 サプライズは何度あったっていいだろ?」


 ニヤリと笑うユージ。

 僕の中で凝り固まっていた何かが、崩れ落ちる。

 そうか。

 ゼロか百か、じゃないんだ。

 僕は勝手に自分を追い込んで、勝手に退路を断っていただけなのかもしれない。


「……サプライズ、か。

 ユージらしいや」


 肩の力が抜ける。

 ユージはいつも僕のことを一番に考えてくれる。

 最高の親友で、最高の兄貴分だ。


「ありがとう、ユージ」


 そう言えた時、僕は久しぶりに呼吸が深くなった気がした。


 ♪ ♪ ♪


「よし、K祭りは一旦休憩だ」


 ユージが宣言するように言った。


「けんたろう、少し休めよ?

 顔色、マジでヤバいからな」


「寝る寝る、大丈夫だよ」


 僕は曖昧に笑って誤魔化した。

 その瞬間、デスクワークをしていた綾音さんが、鋭い視線を投げてきた。


「けんたろうくん」


 声のトーンが低い。

 マネージャーモードだ。


「最近、『大丈夫』ばっかりですよ。

 昨日、何時に寝ましたか?」


「え……っと、たぶん、12時くらい……」


「嘘ね。

 目の下のクマが、もっと深い色してる。

 じゃあ、今日何食べた?」


「……朝はパンを少し。

 昼は……購買のパンを、半分……」


 言いながら、声が小さくなる。

 半分食べたところで、スポンジを噛んでいるような感覚に襲われて、残りはゴミ箱に捨ててしまったことは言えなかった。


「はぁ……」


 綾音さんは深いため息をついた。


「クリエイターが身を削るのは分かるけど、削りすぎて折れたら元も子もないのよ。

 ……新曲の打ち合わせだけはパッと終わらせましょう。

 短時間でね」


 彼女の厳しさは、優しさ。

 分かっている。

 でも、今の僕にはその優しさすら、重い毛布のようにのしかかる。


「……ユージ。

 次は、バラードとかどう?」


 僕の提案に、スタジオの空気が一瞬止まった。

 ユージが目を丸くする。


「バラード……?

 マジか。

 俺たち、ずっとBPM速めで攻めてきたじゃねーか」


「だからだよ。

 新しい挑戦がしたいんだ」


 本当は、怖い。

 速いビートが、心臓を急かしてくるみたいで。

 シンセサイザーの派手な音が、神経を逆撫でするみたいで。

 今の僕には、あの高揚感を受け止めるのは――


「挑戦、か……。

 まあ、けんたろうが言うなら面白そうだけど」


 ユージはまだ半信半疑だ。

 僕はポケットから、プラスチックのケースを取り出す。

 カセットテープだ。


「実はさ、もうできてるんだ」


「はあ!?」


 ユージが素っ頓狂な声を上げた。

 綾音さんも目を剥いている。


「この前、けいとさんの家に泊まった時にさ……

 なんか寝れなくって、天井を見てたら、なんか出来ちゃって」


「なんだよ、それ」


 PCの画面を見るのが辛い時がある。

 そんな時は、電源を入れることさえ出来ない。

 部屋の隅にあった古いラジカセと、埃をかぶったキーボード。

 デジタルに疲弊した僕の手。

 無意識にアナログな音を求めた結果。


 僕はカセットをデッキに押し込み、再生ボタンを押した。

 キュルキュルという回転音。

 そして、スピーカーから流れたのは、静謐なピアノの音色だった。


 タイトルは『さざなみ』。


 派手な装飾はない。

 ただ、寄せては返す波のようなピアノのリフレインと、心臓の鼓動のようなバスドラムだけ。


 ユージの表情から、笑みが消えた。

 綾音さんが、ペンを置いた。


 美しいメロディ。

 客観的に聴いてもそう思う。

 でも、僕には聞こえる。

 この曲の裏にある音が。


 ――ザザァ……ザザァ……。


 それは、浜辺の砂山を削り取っていく、冷たい潮の音。

 どんなに高く積み上げても、夜の間に波が来て、すべてを奪っていく。


「……これ」


 曲が終わった後、ユージがぽつりと呟いた。

 彼はしばらく黙り込み、そして静かに言った。


「俺、これ歌えるかも。……いや、歌いたいわ」


 いつもの熱血漢ユージの声ではない。

 何かに触れてしまったような、震える声だった。


 綾音さんも、珍しく言葉少なだった。


「……これ、刺さる人多いですよ。

 今までのSynaptic Driveとは違うけど、間違いなく名曲だわ」


 二人とも、「癒し」を感じてくれているようだ。

 よかった……

 

 ♪ ♪ ♪


 翌日、Synaptic Driveが初のバラードに挑戦するという情報は、瞬く間にSNSで拡散された。

「K」の正体探しと並行して、僕たちの新曲への期待が高まっていく。


『あのイケイケなバンドがバラード!?』

『絶対泣けるやつじゃん』

『タイトルの「さざなみ」ってだけでエモい』


 世間は盛り上がっている。

 僕の作った曲が、また多くの人に届こうとしている。

 本来なら、幸福の絶頂にいるはずだ。


 なのに、僕の心はどこか遠い場所に漂う。

 称賛の声が遠くで響く。

 だけど、冷たい水の中に沈んでいくような……


 さざなみは、優しい音のふりをする。

 足元だけをさらっていく。

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