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vol.210 熱狂が侵食する

 世界が、遅れて爆発した。


 その日の朝。

 僕のスマホは目覚ましのアラームよりも先に、通知の振動で暴れ出していた。

 ベッドの中で画面を見る。

 再生数、切り抜き動画の拡散、トレンド入り、チャートの順位。

 数字の列が、滝のように流れていく。

 本来ならガッツポーズをする場面だ。

 自分のつくった曲がトップを取った。

 Midnight Verdictがトップを取った、と。

 なのに、僕の胃はキュッと縮こまって、痛い。


 身体を起こそうとすると、地球の重力が倍になったみたいに感じる。

 制服に着替える時、ベルトの穴が一つ奥になったことに気づいた。

 ……また痩せたか?

 最近、泥のように眠いのに、布団に入ると目が冴える。

 朝食のパンをかじっても、古くなったスポンジを噛んでいるみたいで、味がしない。

 まあいい、今はリリース直後のプレッシャーとアドレナリンのせいだ。

 そう自分に言い聞かせて、家を出た。


 電車に乗ると、その「現実」は僕の生活圏にまで侵食していた。

 ドア上のモニター広告で、『Reach out far』のMVが流れている。

 サックスを構えるこはるちゃんのアップ。

 隣に立っていたサラリーマンが、イヤホンもせずに微かに口ずさんでいた。

「……♪~~Reach out far……」

 背筋がゾワッとした。

 嬉しい。

 嬉しいはずなのに。

 自分の皮膚が透明になって、中身を透かされているような恐怖。

 知らない人が、僕の脳内で鳴っていた音を歌っている。

 それは「大ヒット」という事実以上に、僕の心臓を冷たい手で鷲掴みにした。


 学校に着くと、教室はすでにライブハウスの熱狂を借りたみたいだった。


「いやマジでさー、あやちゃん可愛すぎない?

 俺、あやちゃんみたいな彼女欲しいわー」


 クラスメイトの早坂が、机に腰掛けてスマホを見ながらデレデレしている。

 彼はMidnight Verdictのライトなファンで、もっぱらルックス目当てだ。


「おい早坂!

 気安く『あやちゃん』とか呼んでんじゃないわよ!」


 そこに噛み付いたのは、佐藤梓。

 彼女は生粋のMidnight Verdictオタクにして、けいと様信者。


「Midnight Verdictはね、顔とかスタイルとか、そういう次元じゃないの!

 魂なの!

 新曲、聞いた!?

 見た?

 あのフォーメーション!

 けいと様がセンターから一歩引いて、全員を操るようなあの指先の動き!

 あれこそ女王の品格!」


「はいはい、梓はうるさいなー。

 でも曲はカッケーよな。

 なんかこう、燃えるっていうか」


 早坂を勢いで黙らせると、梓はくるりと僕の方を向いた。

 さっきまでのオタク特有の早口が鳴りを潜め、少しだけ声のトーンが落ちる。


「……ねえ、けんたろうくん」


 彼女の目は、僕の顔をじっと探っていた。


「あ、うん。……なに?」


「新曲、聴いたよね?

 すごかったでしょ」


「うん、すごかった。

 本当にかっこよかったよ」


 僕が答えると、梓はふっと安堵したように微笑んだ。

 まるで「あなたが認めてくれてよかった」とでも言いたげに。

 しかし、すぐに彼女の眉が曇った。


「てかさ……けんたろうくん、ちゃんと寝てる?」


「え?」


「なんか、顔色が紙みたいだよ。

 目の下のクマもひどいし。

 ……いろいろ、大変なんじゃない?」


 ドキリとした。

 彼女は僕が「K」だとは知らないはず。


 彼女の優しさが痛い。

 僕はうまく笑えていただろうか。

 仮面が、剥がれ落ちそうになっているんじゃないか。


 ♪ ♪ ♪


 放課後、その熱狂はネットの海でさらに巨大な渦となっていた。

 いつものように動画サイトを開く。

 音楽系YouTuberの二人の、対照的なサムネイル。


 まずは『セブ・直山』。

 サムネからして顔が赤い。

 再生すると、案の定、怒号のような称賛が飛んできた。


「おい!

 お前ら!

 とうとう【K】が、Midnight Verdictに曲を提供しちまったぞおおおお!」


 直山はテーブルをバンバン叩き、カメラを揺らす。


「俺はずっと言ってたよな!?

 Kのユーロビートと、Midnight Verdictの親和性は異常だって!

 それが実現したんだよ!

 でもな、俺が一番言いたいのはそこじゃねえ!」


 彼は急に声を潜め、真剣な顔でカメラに指を突きつけた。


「おい!

 こはるちゃん、サックス吹けるってマジ??」


 直山の目が光る。


「あれ聴いたか?

 綺麗な音じゃねえんだよ。

 『息』が暴れてんだよ!

 プロの演奏家が整えた音じゃない。

 感情がブレスに乗っかって、歪んで、それが最高にエモいんだよ!

 サビ前の『溜め』もヤバい。

 アクセル全開で踏み込む直前の一瞬の静寂……

 あれを作った【K】って奴は、人間の心拍数をコントロールする悪魔か何かか!?」


 ……悪魔、か。

 今の僕には、その言葉が比喩に聞こえなかった。


 続けて、もう一方の『ザッツ小泉の女王の騎士団チャンネル』を開く。

 こちらは打って変わって静寂。

 整った画角。

 紅茶の湯気。


「まさか【K】氏が……

 今までミステリアスだったのに。音楽業界では有名人なのでしょうか?」


 小泉は困惑を隠さない。


「けいと様の曲でないのが寂しいですが……認めましょう。

 この【K】氏、ユーロビートを分かってらっしゃる」


 カチャリ、とソーサーにカップを置く音が響く。


「これは単なる楽曲提供ではない。

 【K】氏が、藤原しずくさん、Dream Jumps、一条零様、あらゆるアーティストを羽ばたかせています。

 ……恐ろしい才能です」



 二人の動画は、火に油を注いだ。

 ネット上には「K特定班」と呼ばれる集団が湧き上がり始めていた。


『このベースラインの作り、どっかで聴いたことあるんだよな。なあ?』

『Kの正体、そろそろバレるんじゃね?』


 そして、最も恐れていた連想が、トレンドに入り込んでくる。


『Kがこれだけユーロビート推しってことは……次はまさか、Synaptic Driveにも提供するのか?』

『Synaptic DriveのけんたろうとK、作風似すぎじゃね?』

『一条零ルートもある? けいと様はどうなる?』


 祝祭ムードの中に、一本だけ鋭い針が混じる。

 笑っていたはずのタイムラインが、急に冷たい捜査網に見えてくる。


 ♪ ♪ ♪


 僕は重い体を引きずって、Rogue Soundのスタジオへ向かった。

 ドアを開けると、ユージと綾音さんが深刻な顔でモニターを覗き込んでいた。


「……お疲れ」


 僕の声は、自分でも驚くほど掠れていた。


「おう、主役のお出ましだな」


 ユージが振り返る。

 いつもの軽口だが、その目は僕の顔をじっと観察していた。


「おい、けんたろう。

 お前、また痩せたんじゃねえか?

 ちゃんと飯食ってるか?」


「え?

 ああ、ちょっと忙しくて……」


 嘘だ。

 時間はあった。

 ただ、食と言うものに興味が出ないだけだ。


 綾音さんが心配そうに眉を寄せる。


「顔色も悪いわよ。

 クマすごいし。

 ……この『特定班』の動き、気にしてるんでしょ?」


 僕は力なくソファに沈み込む。

 体が鉛のように重い。

 一度座ると二度と立ち上がれない気がした。

 スマホの画面を見せる。

 「K特定」と「Synaptic Drive提供」の文字。


「……お前、世界に見つかり過ぎなんだよ」


 ユージがため息をつく。


「曲が売れるのはいい。

 最高だ。

 けど、この『探り』の熱量は、心配だな」


 スタジオの空気は澱んでいた。

 ヒットを祝うべき場所なのに、僕はまるで、迫り来る津波を前に立ち尽くしているような気分だった。

 バレるのが怖い?

 いや、違う。

 もっと根本的な枯渇。

 何かが、底をつきかけているような虚無感。


 ♪ ♪ ♪


 帰り道、電車の中で再びスマホを見た。

 画面には、直山の配信の切り抜き動画がおすすめに出ていた。

 タイトルが踊る。


『K、ついにMidnight Verdictへ。

 次はSynaptic Driveか?』


 その文字を見た瞬間、指が止まった。

 世間の妄想が、真実に追いつこうとしている。

 いや、追い越そうとしているのか。


「……結局、Kって誰だよ」


 窓に映る自分の顔を見つめる。

 やつれた頬、死んだ魚のような目。

 電車の揺れに合わせて、身体の芯がグラグラと揺れる。

 「天才プロデューサー」と呼ばれる裏側。

 僕自身が、一番分からなくなってきていた。


 二つ先の信号機の光がぶれて見えてる。

 

 築いてきた砂山。

 足元には潮。

 もう戻れない。

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